ケルマーン(読み)けるまーん(英語表記)Kermān

デジタル大辞泉 「ケルマーン」の意味・読み・例文・類語

ケルマーン(Kermān)

イラン南東部の都市。ケルマーン州の州都。ルート砂漠の南西縁の高原地帯に位置する。ササン朝時代に建設中世にはペルシア湾中央アジアを結ぶ交通の要地になった。18世紀末、カージャール朝アガー=ムハンマドにより、前王朝のザンド朝を支持した多く住民が虐殺された。絨毯じゅうたんショール産地として有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケルマーン」の意味・わかりやすい解説

ケルマーン
けるまーん
Kermān

イラン南東部の都市。ケルマーン州の州都。テヘランの南東約1100キロメートル、標高1749メートルの高原に位置し、北にルート砂漠を控える。人口38万4991(1996)、53万7718(2016センサス)。年降水量203ミリメートル。ペルシア湾のバンダル・アッバース港とホラサーン、テヘランを結ぶ交通の要地である。カーペットとショールの産地として有名である。古代にこの地方はカルマニアと称した。ササン朝のバフラーム5世の時代に軍事植民都市としてケルマーン市が建設され、同時に新田開発も進んだ。1794年トルコ系のカージャール朝の始祖アガー・ムハンマドが、この町の住民が前王朝ザンド朝にくみしたとして2万人を超える住民を虐殺したことで知られる。カージャール朝第2代のファタリー・シャーの時代に旧市の北西に新市がつくられ、知事ワキーロル・モルクのもとで繁栄した。ザンド朝の建造物が多く、町の中心にはワキールバザールがある。ケルマーン市の南方180キロメートルに位置する都市バムBam(1996年人口約7万人)で、2003年12月26日マグニチュード6.3の地震が発生した。総死者数約3万人、負傷者約1万6000人、多くの建物が倒壊した。バム市北東の城塞(じょうさい)遺跡アルゲ・バムは、ほぼ全壊した。

[岡﨑正孝]

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改訂新版 世界大百科事典 「ケルマーン」の意味・わかりやすい解説

ケルマーン
Kermān

イラン中東部,カビール砂漠の南に位置する同名州の州都。人口52万9748(2003)。キルマーンとも呼ばれ,同地方は古代にはカルマニアCarmaniaと呼ばれた。標高1749mにあって冬季には厳寒となり,市内各家の屋根には煙突が目だつ。また,春と秋には砂嵐が多い。産業は小麦を中心とする農業およびじゅうたん生産。近年同市近くのサレ・チェシュメに銅製錬工場が建設中であったが,約90%が完成した時点でイラン革命に遭遇した。歴史的には7世紀にアラブ・イスラムの手中に落ち,10世紀以降は,ブワイフ朝,セルジューク朝,モンゴル,ティムール,アフガンと,諸民族の侵入,支配をしばしば受けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケルマーン」の意味・わかりやすい解説

ケルマーン
Kermān

イラン南東部,同名州の州都。不毛の丘陵群のふもとに広がる標高 1749mの砂礫性の平原に位置する。3世紀のササン朝の創始者アルダシール1世によって創建されたといわれる町で,10世紀にはこの地方の首都となった。もとはショールの製造で有名であったが,近郊のマーハーニーを中心とした絨毯製造が盛んになり,イラン最大の取引中心地となった。農産物や家畜の取引も行われている。年降水量 140mmという乾燥気候のため,飲料水ははるばるとカナート (地下水道) によって引かれている。人口 31万 1643 (1991) 。

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百科事典マイペディア 「ケルマーン」の意味・わかりやすい解説

ケルマーン

イラン中部の都市。北西にカビール砂漠を控え,自動車や隊商ルートの要地。じゅうたんや綿紡績工業がある。耕地は灌漑(かんがい)され,穀物,綿花,デーツなどを産する。11世紀以来のモスクがある。53万4441人(2011)。

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