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ケープ・タウン ケープタウン

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百科事典マイペディアの解説

ケープ・タウン

アフリカ共和国,西ケープ州の州都。同国議会の所在地(立法上の首都)。アフリカ南端,大西洋岸のテーブル湾に臨む港湾都市で,造船,機械,農水産物加工などの工業が行われる
→関連項目ケープロベン[島]

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ケープ・タウン
けーぷたうん
Cape Town

南アフリカ共和国の南西部にある港湾都市。西ケープ州の州都であると同時に共和国議会の所在地である(旧ケープ州が4分割される1993年までは旧ケープ州の州都であった)。大西洋に突出するケープ半島の基部に位置し、テーブル湾に臨む。人口85万4616(1991)。半島部を含めたグレーター・ケープの人口は235万(2002推計では268万6000)で、人種別内訳は白人61万、カラード(混血)126万、インド人2万7000、黒人45万(1995)で、西ケープ州は現9州のうちカラードがもっとも多い。南緯約34度に位置しているため気候は地中海性気候で、夏は乾燥し冬は温和で暖かく、年平均気温は16.4℃である。降雨も適度にあり、年降水量は539.0ミリメートルである。
 1652年オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックが東インドへの寄港地として初めて入植した当時の人口は白人がわずか125人であったが、その後1806年イギリス植民地となってからは入植者が増え、ケープ・タウンの白人人口は、18世紀末約5000、19世紀中葉約9400、第一次世界大戦直後8万9000、1960年約30万と急増した。とくに人口の都市集中化は、19世紀後半のキンバリーのダイヤモンド鉱の発見、ウィトワーテルスランドの金鉱の発見に伴い、ケープ・タウンがそれら鉱山を結ぶ鉄道のターミナルとなったこと、また、第一次世界大戦以後、南アフリカの工業化が進み、ケープ・タウンは貿易港として栄えたほか、おもに農産物加工を中心とした軽工業が発展し、その労働力として多くのカラード、黒人をひきつけたことが原因となっている。
 市はテーブル湾の南側に位置し、三方をライオンズ・ヘッド、テーブル山、デビルズ・ピークに囲まれている。市の中心には南アフリカ共和国議事堂、主要官庁、州政庁、市庁舎のほか、テーブル湾に向かって造船所がある。また主要銀行、ホテル、教会、博物館、病院のほか、主要日刊新聞『ジ・アーガス』紙(英語系)と『デ・ブルヘル』紙(アフリカーンス語系)の本社がある。南アフリカでは白人入植の歴史がもっとも古い所だけあって歴史的遺跡も多く、グッド・ホープ城、フロート・ケルク(教会)、コープマンス・デ・ウェット・ハウス(18世紀のオランダ風建物)などがある。南アフリカ最初の鉄道(ウェリントン線)の始発駅として1859年ケープ・タウン駅がつくられた。そのほか、ケープ・タウンの創立者リーベックの全身像が目抜き通りのアデレイ街とヘーレンフラフト街の交差点に立ち、同じアデレイ街には第一次世界大戦の戦勝記念碑がある。周囲を囲む山の麓(ふもと)は住宅地で、郊外のロンデボッシュには広大なキャンパスをもつケープ・タウン大学(1829創立)があり、海岸部は海水浴場、保養地となっている。さらに市からケープ半島を南に下ると喜望峰に達し、途中のフォルス湾には軍港サイモンズ・タウンがある。[林 晃史]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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