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1897~1945
ドイツのナチ政治家。早くからヒトラー運動に参加。1926年ベルリン管区指導者となる。宣伝に特異の才があり,28年ナチ党の全国宣伝部長,33年啓蒙宣伝相としてヒトラー内閣に入閣,報道,芸術を統制,反ユダヤ主義を喧伝した。第二次世界大戦中総力戦全権委員となり,ベルリン陥落直前,ヒトラーにより後継首相に指名されたが,ヒトラー自決の翌日自殺。
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…政府の支持の下に,クレショフの映画実験工房やジガ・ベルトフの実験的記録映画〈キノ・グラス(映画眼)〉運動が推進されたのである。 ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスがいち早く〈映画局〉を設置し,クラカウアーによれば〈戦争が起るとすぐに,ドイツ宣伝省は,ニュース映画を戦争宣伝の効果的な道具にするために,可能なあらゆる手段を用いた〉ことも重要な映画史的事実である。ヒトラーがF.ラングに〈ナチ映画〉を作らせようとしたこと,アメリカに渡って国際的なスターになったマルレーネ・ディートリヒを呼びもどして〈第三帝国のスター〉に迎えようとしたこと,さらに〈ドイツ女性の完ぺきな典型〉とヒトラー自身が呼んだレニ・リーフェンシュタールに,オリンピック映画《民族の祭典》と《美の祭典》(ともに1938)を作らせて,ナチの力を世界に誇示することに成功したこともよく知られている。…
…第1次世界大戦中,ドイツ軍に捕らえられて収容所から脱出を企てるフランスの捕虜たち(滅んでいく貴族,戦争は繰り返されると考える銀行家,インターナショナルな連帯を夢見る労働者)の収容所生活と階級意識,また国境を超えた人間的な愛情を描いて,人間が殺し合わなければならない戦争の残虐さを,うわべだけの反戦主義や捕虜たちの安っぽいヒロイズムを通してではなく,鋭く強烈な人道主義の立場から糾弾した,映画史に残る反戦映画の傑作。根底にある平和への訴えが各国で高く評価され,アメリカでもアカデミー作品賞にノミネートされたが,ゲッベルスはドイツでの上映を禁止し,さらにムッソリーニにはたらきかけてベネチア映画祭での受賞を妨害しようとしたと伝えられている。なお,反戦的,反国家的であるという理由で戦前の日本では公開されなかった(1949初公開)。…
…ナチス・ドイツでは,1933年のヒトラーの政権掌握直後から失業対策と秘密再軍備のために統制経済が発足し,1936年には本格的な戦争準備をめざす4ヵ年計画がゲーリングを大臣として開始された。宣伝相ゲッベルスの手で大規模な宣伝による大衆操作がすすめられ,ニュルンベルクの党大会の演出と宣伝には著名な建築家,音楽家,映画監督らが動員された。だがヒトラーは電撃戦による短期戦をつぎつぎに積み重ねていくことをめざした。…
… 第4期は,スターリングラードでの敗北から45年4月30日のベルリン陥落のなかでのヒトラーの自殺を経て5月7日のデーニッツ政権による無条件降伏にいたる第三帝国の崩壊期である。そこでは,内政面においては,43年2月のゲッベルス宣伝相による〈総力戦〉体制樹立の宣言,そしてその1年前から軍需相となっていたシュペーアのもとでの軍需生産の最後の高揚,さらには,44年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件で表面化する陸軍の参謀将校を中心とする反ナチ運動の展開が見られる。対外的には,ドイツの占領地を中心にして強制収容所におけるユダヤ人らの民族皆殺し(ジェノサイド)や戦争捕虜の大量致死,労働力の強制調達や生体実験があり,後々まで指弾の的とされることとなる。…
…
[戦中のドキュメンタリー]
第2次大戦前後,各国がドキュメンタリーを政治的な宣伝や戦意昂揚のために利用したことはいうまでもない。ドイツでは,ナチ宣伝相ゲッベルスによってあからさまな宣伝映画がつくられ,レニ・リーフェンシュタールによるニュルンベルクのナチ党大会を記録した《意志の勝利》(1935)やベルリン・オリンピックの記録《オリンピア》(1938)などをはじめ,ドイツ軍の力を誇示する《戦火の洗礼》(1940),《西部戦線の勝利》(1941)などの戦争ドキュメンタリーで,ナチズムとその勝利を宣伝した。 一方,アメリカでも,早くから反ナチ宣伝映画がつくられていた。…
…ディートリヒによる〈セックスの化身〉とそのサディズムによって世界中で大ヒット,パリでは封切り後まもなく映画の題名と同じ名のナイトクラブがオープンしたと伝えられる。しかしドイツでは,33年,ゲッベルスがドイツ人の品性を辱めた〈退廃芸術〉として公開禁止処分にした。同じ題材がハリウッドで59年に,エドワード・ドミトリク監督,クルト・ユルゲンスとマイ・ブリット主演でリメークされている。…
…1923年から37年まで,ナチスの理論的指導者であったA.ローゼンベルクが主筆を務め,デマと宣伝で政敵を攻撃するなどナチズムの強力な宣伝媒体として機能した。その一方,J.ゲッベルスがベルリンで発行していたもう一つの党機関紙《アングリフDer Angriff》とは,つねに対立を続けた。【広瀬 英彦】。…
※「ゲッベルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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