ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
コレット
Colet, John
[没]1519.9.16. サリー,シーン
イギリスの聖職者で当時の代表的人文主義者。オックスフォード大学およびフランス,イタリアで学ぶ。 1496~1504年オックスフォードで新約聖書について講義,エラスムスも聴講した。他方,ロンドンのセント・ポール大寺院の首席司祭として,09年頃寺院付属の学校を創立し,有名なラテン語文法の教科書を書いた。聖パウロの書簡の注釈などの著作,また説教や講義によって,イギリス宗教改革の先駆となった。
コレット
Colette, Nicolette Boillet
[没]1447.3.6. ゲント
聖女。大工の娘。 17歳で両親に死別しフランシスコ第三会に入会。幻視のなかでクララ会を原始会則に復させよとのフランシスコの命を受け,1406年対立教皇ベネディクツス 13世の後援のもとに改革を遂行,コレット派クララ会を開き,新しい修道院を次々に設置した。この修道会改革は,たちまちサボイ,フランス,スペイン,ドイツに広まった。 1807年列聖。祝日3月6日。
コレット
Colette, Sidonie-Gabrielle
[没]1954.8.3. パリ
フランスの女流作家。 20世紀前半の最も著名な女流作家の一人。 20歳で 40代の作家ウィリー (本名 H. Gauthier-Villars) と結婚,夫のすすめで書いた少女時代を扱う自伝的小説『学校のクローディーヌ』 Claudine à l'école以下4冊のクローディーヌ・シリーズ (1900~03) によって認められた。 1906年離婚後,ミュージック・ホールの舞台に立ち,13年に再婚した。第1次世界大戦に記者として従軍,20年に五十女と 17歳の若者の愛欲を描いた『シェリ』 Chériを出版,以後次々と傑作を発表。伝統的心理小説の手法を用いながら,鋭敏な感覚と洗練された感性で未知の領域を開拓した。主著『青い麦』 Le Blé en herbe (23) ,『第二の女』 La Seconde (29) ,『牝猫』 Chatte (33) 。
コレット
Collett, Camilla
[没]1895.3.6. クリスチャニア(現オスロ)
ノルウェーの女流作家。国民詩人ウェルゲランの妹。兄の論敵ウェルハーベンとの恋に苦しみ,長い外国旅行ののち,法学者 P. J.コレットと結婚,夫の死後文筆生活に入った。当時の恵まれない女性のために奮闘,その婦人解放思想はイプセンらに大きな影響を与えた。代表作『知事の娘たち』 Amtmandens døttre (1855) ,評論集『唖者の陣営から』 Fra de stummes leir (77) ,『流れに抗して』 Mot strømmen (79~85) 。
コレット
Corrette, Michel
[没]1795.1.22. ルーアン
フランスのオルガン奏者,作曲家。 1726年マリー・マグダレーヌ聖堂のオルガニストを振出しに,パリ市内のオルガニストを歴任,80年以降はアングレーム公のオルガニスト。声楽,バイオリン,ハープ,チェロ,マンドリンなどのためのすぐれた教則本を著わしたほか,『劇場風の協奏曲』など洒脱な作品が多い。
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