幕末・明治の文明開化期に,欧米から伝わった揚物料理クロケットを,日本風にアレンジした洋食の一種。欧米のクロケットは,ボイルもしくはソテーした魚貝,鳥獣肉,ハムなどをこまかく刻むか,またはそれらをすり身にし,これに,刻みタマネギと,スライスしたシャンピニオン,トリュフなどをソテーして加えた具に,ソース・ベシャメルやポテト・ピューレをあわせて好みの形をつくり,小麦粉,卵黄,パン粉の順に衣をつけて油で揚げ,トマトをベースにしたソースを添えるのが一般的である。これに対して,日本風にアレンジされたコロッケは,衣こそ欧米式に小麦粉,卵黄,パン粉の順につけるものの,中身の具とソースはいかにも日本人好みである。すなわち,タマネギと少量のひき肉をいためた具に,ゆでてつぶしたジャガイモをまぜあわせ,小判型などにまるめて衣をつけ,油で揚げる。この日本風コロッケは日本人の主食である米飯にあわせたそうざい料理としてくふうされたものらしく,かけて食べるソースもしょうゆ味にちかい和製ウースターソースが用いられている。こうしたコロッケの調理法を紹介した日本の料理書のなかで,最も古いと思われるものに,1872年(明治5)刊になる《西洋料理指南》(敬学堂主人)がある。そこには,〈馬鈴薯(ジヤガタライモ)ヲ以テ俗ニ云ガンモドキノ如キモノヲ製スル法アリ。大ナル馬鈴薯十個ヲ研(ス)リ,生牛肉半斤ヲ細末ニシテ之ニ交ゼ,我ガ菓子ノ唐饅頭様ニ容(カタチヅ)クリ,小麦粉(ウドンコ)ヲ着セ第一衣トナシ鶏卵黄(タマゴノキミ)ヲ着セテ第二衣トナシ焙麦粉(パンコ)ヲ着セテ第三衣トナシテ牛脂(ウシノアブラ)ヲ以テ煮ルナリ〉とある。これでみると,文明開化期に欧米からもたらされた〈クロケット〉は,数年を経ずして日本人好みの〈コロッケ〉にアレンジされてしまったことがわかる。このコロッケが町の洋食屋にみられるようになったのは明治30年代のことであるが,日本人にとって最もポピュラーな洋食の一つになったのは1920年(大正9)以後のことと思われる。その年5月,東京丸の内の帝国劇場は女優劇10周年の記念興行を行い,その演目の一つに益田太郎冠者作の笑劇《ドッチャダンネ》を上演,その中で益田の作詞になる《コロッケの唄》が歌われた。〈今日もコロッケ,明日もコロッケ〉という,その歌はたちまち巷にあふれ,コロッケはハイカラな家庭料理としての位置を確立させたのである。
執筆者:村岡 實+鈴木 晋一
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鶏肉、牛肉、豚肉、魚、エビ、カニなどを野菜とともに下調理し、ホワイトソースで和(あ)えて、コルク栓形にして揚げた揚げ物料理の一種である。
名はイギリスのクロッケーcroquetというゲームに由来するといわれている。球(たま)を転がすゲームだが、転がすのに用いるものは木製で持ち手があり、球を打つところがコルクの栓をかたどってつくられている。コロッケには2種類あり、つなぎが違う。一つはホワイトソースを土台としてつくった洋風料理で、他はジャガイモをベースにした日本風のものである。日本風のコロッケは、1872年(明治5)刊の『西洋料理指南』にその調理法が紹介されているが、普及したのは昭和初期で、以来、一般家庭で広く親しまれている。
[小林文子]
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