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コンピエーニュ コンピエーニュ Compiègne

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コンピエーニュ
コンピエーニュ
Compiègne

フランス北部,オアーズ県の都市。パリの北北東約 80km,オアーズ川左岸に位置する。パリ-ブリュッセルを結ぶ幹線鉄道の沿線にあり,地方商業,観光の中心地。工業は機械,化学,食品など。美しい森林を控えた王宮の町として有名で,6世紀メロビング朝時代すでに王家の離宮があった。

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デジタル大辞泉の解説

コンピエーニュ(Compiègne)

パリ北方にある都市。森とコンピエーニュ宮殿所在地として有名。百年戦争中、ジャンヌダルクが英国軍に捕らえられた所。また、第一次大戦の休戦条約、第二次大戦の対独停戦協定の締結の地。

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百科事典マイペディアの解説

コンピエーニュ

フランス北部,オアーズ県の都市。オアーズ川河岸にあり,ガラス製造,化学工業行われるルイ15世時代の城館(現在は博物館)があり,公園と森が多い。1430年ジャンヌ・ダルクの捕縛,1918年連合国とドイツ,1940年フランスとドイツの休戦条約締結など,多くの歴史的事件の舞台となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

コンピエーニュ【Compiègne】

フランス北部,オアーズ県の町。人口4万3411(1982)。パリの北北東70km,オアーズ川の渡河点に位置し,近道を意味するラテン語compendiumに由来する。同名の森の北縁にあり,6世紀以来,歴代フランス王の狩猟地であり,教会,修道院,ルイ15世,ナポレオン3世の愛用した王宮など,歴史的建築物が残る。ジャンヌ・ダルクはこの地の戦闘で捕らえられた。1918年11月11日第1次大戦の休戦条約調印,40年6月22日第2次大戦中のフランス降伏調印の地である。

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大辞林 第三版の解説

コンピエーニュ【Compiègne】

パリの北東70キロメートルにあり、離宮・古城と、それをとりまく広大な森で知られる観光地。百年戦争の時、ここでジャンヌ=ダルクが捕らえられた。また、第一次大戦の休戦条約締結、第二次大戦のフランスの対独降伏文書の調印の地としても名高い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コンピエーニュ
こんぴえーにゅ
Compigne

フランス北部、オアーズ県の副県都。人口4万1254(1999)。パリの北北東82キロメートルにあり、オアーズ川両岸に広がる美しい森に囲まれた田園地帯で、パリ市民の優雅な別荘地となっている。タイヤマッチ食品加工化学製品など多種にわたる製造業が行われる。コンピエーニュ宮殿の所在地としてよく知られるが、町の起源は古代ローマ軍の前哨(ぜんしょう)地であり、のちにメロビング王朝の宮廷所在地となった。宮廷の完全な復原はルイ15世治下(1715~74)に始まり、建築家ジャック・ガブリエルが建物をかなり厳密な古典的スタイルに設計した。王と宮廷人が頻繁に狩りに訪れたが、フランス革命(1789~99)後は軍事教練学校、工芸学校として使われた。ナポレオン1世は宮廷を受け継ぎ、修復した。宮廷のもっとも興味をひくものは、上品な装飾を施した綴織(つづれおり)の壁掛けと家具、18世紀後半と19世紀の宮廷人言行録である。1430年にジャンヌ・ダルクが捕らえられた地。また、第一次世界大戦末期にフランス軍総司令部が置かれ、1918年の停戦はコンピエーニュの森の汽車の中で署名された。その記念として保存された同じ汽車の中で、1940年に第二次世界大戦中のドイツ・フランス停戦協定も結ばれた。[大嶽幸彦]

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