16世紀末から17世紀前半に至るイギリスの法や政治に多大な影響を与えたことで知られる法律家(専門家の間ではクックと発音されることが多い)。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジとインナー・テンプルで教育を受け、1578年にバリスター(法廷弁護士)の資格を付与された。彼の経歴は3期に分けられる。第1期は1606年までの行政官としての時期であって、この間は、法務次官(1592~1593)、法務長官(1594~1606)を務め、国王大権の擁護者であった。第2期は1616年までの裁判官としての時期であって、民訴裁判所首席裁判官(1606~1613)、王座裁判所首席裁判官(1613~1616)を歴任したが、この時期には国王と対立するようになり、裁判官の地位を追われた。第3期は1634年に死去するまでの時期で、1620年に下院(庶民院)議員となり、1629年まで議会の反対派の指導者として活躍し、1627年の有名な権利請願を立案した。著作としては、『イギリス法提要』第1部~第4部(1628~1659)がよく知られている。
[堀部政男]
アイルランド共和国南部、コーク県の県都。人口12万3338(2002国勢調査速報値)は同国第2位。コーク湾の奥、リー川河口に臨む天然の良港。地名はアイルランド語で「沼地」の意味。18世紀中葉から沼沢地の干拓、運河の造営事業が行われ、首都ダブリンに次ぐ貿易港として発展した。湿潤温暖な気候に恵まれ、農牧畜業と酪農製品の生産が盛ん。ビール、ウイスキー、繊維製品を産するほか、フォードの自動車組立て工場、ダンロップのタイヤ製造工場など自動車産業も立地する。イギリス海軍の造船所の撤収に伴い、これにかわってアイルランド初の製鉄・鉄鋼圧延工場が設立された。司教区の所在地。アイルランド独立運動の中心地でもあった。シャンドン教会、セント・メアリーズ教会、セント・フィン・バー教会、コーク大学がある。
[米田 巌]
アイルランド共和国南部,同名県の県都。海港としても栄えている同国第2の都市。人口12万3062(2002)。地名は沼地を意味するアイルランド語に由来し,6世紀に沼地に臨んで建立された修道院の周囲にしだいに町が形成された。古くから農産物,酪農製品,家畜などの輸出と穀類,木材その他の原材料の輸入が,イギリスをはじめヨーロッパ各国との間で行われていた。バター市場は17世紀以来著名である。第1次大戦中,コーク県に血縁関係をもつアメリカの自動車王H.フォードが,ここにヨーロッパ最初の農業用トラクター工場を建てたのを契機に,市郊外に工業地域が形成された。第2次大戦後は日本を含む世界各国から化学,肥料その他の工場を誘致して,広大な工業団地がつくられている。1970年代には沖合で天然ガスが発見され,ダブリンまでのパイプラインがつくられた。アイルランド国立大学を構成するコーク・カレッジの所在地でもある。
執筆者:上野 格
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