農業の技術革新に基礎づけられた,農業生産および土地所有諸関係の全面的近代化=資本主義的変革を,通常〈農業革命〉という。技術革新を〈技術革命〉というのと同じように,農業の技術的変革を〈農業革命〉と呼ぶこともあるが,農業における生産および所有諸関係の変革,すなわち社会的・経済的な面における変革をともなう場合にのみ,それは言葉の真の意味において〈農業革命〉ということができる。
イギリスでは,第1次エンクロージャーを中心とする16世紀の〈(第1次)農業革命〉と,議会エンクロージャーを中心とするイギリス産業革命の一環をなす〈(第2次)農業革命〉とがある。両者はしばしば,それぞれ〈Agrarian Revolution〉〈Agricultural Revolution〉と呼ばれ,区別されてきた。〈agrarian〉という言葉は,農業における社会的諸関係ないし土地制度を表現するものであるのに対し,〈agricultural〉というのは,主として農業の技術的側面を表現するものであるから,上述のような区別は,前者すなわち第1次農業革命では制度的変革を,後者すなわち第2次農業革命では技術的変革を強調する呼び方といってよい。
第1次農業革命は,農民を追放する〈牧羊エンクロージャー〉によって牧羊大経営をつくり出すものであった。開放耕地制をなくし,村(=農村共同体)を破壊して大牧羊場に変えたという意味では,そしてとくに農業の技術革新がみられなかったという意味では〈Agrarian Revolution〉というにふさわしいが,そうした表現を与えた20世紀初めごろの研究者たちが考えたように,第1次農業革命は資本制農業を生み出したわけではないし,大牧羊場も直ちに資本家的経営となったわけでもない。しかも,その影響をうけたのは,イングランド中部を中心とするごく限られた地域にすぎなかった。
資本制農業をつくり出すイギリス農業の全面的な変革は,むしろ第2次農業革命によって行われた。18世紀の60年代から,議会エンクロージャーの波がイングランドの農村をつぎつぎとまき込んだ。全体としてみれば,それはほぼ1世紀にわたって続いたが,それぞれの村についてみれば,たいていは1年もかからない短期間の間に囲込みが完了し,開放耕地や共同放牧地,採草地等は,一挙に大農場に変えられた。土地を所有しない農民や明確な共有権をもたない農民は,第1次エンクロージャーと実質的に変わらない〈農民追放depopulation〉の憂き目をみることとなった。開放耕地制と農村共同体に代わり,大農場制と〈三分割制〉すなわち大土地所有者-資本家的借地経営者-農業労働者という階級関係が一般的に成立した。そして産業革命がもたらした改良農機具がそれらの大農場にとり入れられ,開放耕地では行えなかった改良農業(〈ノーフォーク式輪作Norfolk rotation〉に代表される〈輪栽式農業〉や,家畜および農作物の改良品種の採用)が普及した。つまり,農業技術の変革に基礎づけられた農業全体の資本主義化が急激に進行したのであって,その意味でまさに〈農業革命〉の名にふさわしい〈Agricultural and Agrarian Revolution〉が現実のものとなった。
イギリスにおけるこのような変革の時期は,大陸諸国には見当たらない。フランスでは〈農業革命révolution agricole〉と呼ばれるものがあるが,それはフランス革命期におけるいわゆる〈農民革命révolution paysanne〉(G. ルフェーブルの命名),すなわち封建的土地所有の廃棄=農民解放のことである。市民革命の一環としての農業革命という把握は,イギリスやドイツの場合には見られないといってよいが,そのことはフランスの農業革命を否定するものではない。
→エンクロージャー →土地改革 →農業
執筆者:椎名 重明
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紀元前8000年ごろ人類は近東地方において初めて狩猟・採集経済から穀類の栽培、家畜の飼育に成功して農業社会へ移行した。この文明史における画期的事件を、18世紀の産業革命と対比して、農業革命とよぶ場合がある。学者によってはこれを「新石器革命」ともよび、アルビン・トフラーは『第三の波』(1980)のなかで、産業革命を「第二の波」、農業革命を「第一の波」とよんでいる。
これとは別にイギリス史では、中世的な開放耕地制度を揚棄した18世紀のエンクロージャー運動と農業技術の進歩、農業経営の近代化の過程を総称して農業革命とよんでいる。すなわち、チューダー朝時代から始まり、とくに18世紀後半に盛んであったエンクロージャー運動は、作付面積の増加をもたらし、土地利用、排水、作物栽培の改良を可能にした。17世紀にすでにカブ、クローバーなどの飼料作物が大陸より導入され、実験的成功を収めていたが、18世紀になると、家畜飼育、穀物輪作、施肥が科学的合理的に結合されたノーフォーク式4種輪作制(小麦―カブ―大麦―クローバーの輪作)が、広く革新的地主企業家によって採用されるようになった。この新しい輪作法の利点は、従来の三圃式(さんぽしき)農法では土地の一部を休耕地として残していたのが、いまや休耕地がなくなって土地をフルに利用できるようになったこと、また飼料作物を輪作で栽培できたために、家畜の増産と肥料の増産が同時に可能になったことである。
この時代の農業技術の進歩に貢献した者には、播種(はしゅ)機および畜力用砕土機を発明したタルJethro Tull(1674―1741)、ノーフォーク式に成功して「カブのタウンゼンド」とよばれたタウンゼンド子爵Viscount Charles Townshend(1674―1738)などが有名である。またベークウェルRobert Bakewell(1725―95)は、従来ヒツジを主として食肉用のためではなく羊毛のために、ウシはミルクと畜役用のために飼育していたのを、品種改良によって、食肉、畜産物用家畜の改良に成功し、食肉増産に貢献した。さらに新農法を基礎とする近代的大農経営の普及にもっとも大きな貢献をしたのがアーサー・ヤングである。こうしてイギリス農業革命は、増大する都市人口のための食糧供給を可能にし、農業所得の上昇が国内市場の拡大、有効需要の増加をもたらし、農業部門から工業部門へ、工業化のために必要な労働力と資本を供給したことによって、産業革命のスムーズな進行を可能ならしめたのである。
[角山 榮]
『飯沼二郎著『増補 農業革命論』(1987・未来社)』▽『楠井敏朗著『イギリス農業革命史論』(1969・弘文堂)』
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…それが産業資本主義の確立を伴ったという意味では,資本と労働の供給,原料供給や製品市場が問題となる。これらの条件を歴史的に準備したのは,エンクロージャーをはじめとする農業の変革(いわゆる〈農業革命〉)と,重商主義帝国の形成を背景とした貿易の成長(いわゆる〈商業革命〉)であったといえよう。エンクロージャーやノーフォーク農法(輪栽式農業)の採用によって,一方では農民は土地に対する権利を失って賃金プロレタリアート化したが,他方では,農業の生産性が高まって,人口増加が可能になった。…
…この結果,穀物耕作の比重が圧倒的に高まり,農業生産力の飛躍的上昇が実現された。最近の研究者はこの現象を中世初期の農業革命と名づけている。古典荘園と呼ばれる大土地所有の経営形態が重要な意義をもってくるのも,このような背景に支えられたからである。…
…これを〈囲込み〉(エンクロージャー)という。囲込みの進展とともに,畜産物と麦,とくにコムギの生産は飛躍的に増加した(農業革命)。それは産業革命による農産物需要の急増に対応するためであった。…
※「農業革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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