出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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コールラウシュ
こーるらうしゅ
Friedrich Wilhelm Kohlrausch
(1840―1910)
ドイツの物理学者。ウェーバーの共同研究者ルドルフRudolf Hermann Kohlrausch(1809―1858)の子。リンテルンに生まれ、ゲッティンゲン、エルランゲン両大学で学び、ゲッティンゲン大学、チューリヒ、ダルムシュタット両工科大学、ウュルツブルク大学を経て、1900年ベルリン大学教授。当初、電解質を抵抗の標準に用いる意図から、1868年以降、電解質の抵抗の測定に向かった。分極防止のため交流の採用、「コールラウシュ・ブリッジ」の考案などにより、1876年までに260種類の溶液の精密測定に成功。その結果、電気伝導度(K)と溶液の濃度(m)の間に関係式
K=λm-λ'm2 (λ、λ'は各定数)
が成り立つことを確かめ、「イオン独立移動の法則」を発見、「易動度」の概念を確立して、後の「自由イオン説」の基礎を築いた。1895年以後、国立理工学研究所長として、その世界最初の国立中央試験研究機関の基盤確立に貢献した。また、実験物理学の古典的名著『実験物理学便覧』Lehrbuch der praktischen Physik(1869)は版を改めながら今日まで刊行されている。
[宮下晋吉]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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コールラウシュ
Friedlich Wilhelm Georg Kohlrausch
生没年:1840-1910
ドイツの実験物理学者。ゲッティンゲン,チューリヒ,ダルムシュタット,ビュルツブルク,ベルリンの各大学の教授を歴任,H.ヘルムホルツ亡き後の国立理工学研究所の所長(1895-1905)も務めた。主として電磁気に関する実験的研究を行い,測定器具の考案など,測定方法の進歩に貢献した。とくに希薄電解質溶液の抵抗測定用にコールラウシュ・ブリッジを考案し(1873),イオンの当量伝導率に関する法則(コールラウシュの法則)を発見して,溶液中のイオンの運動のようすを明らかにした。著書《実験物理学講義》は,彼の死後もたびたび改訂を加えられ,各国語に訳されて,長く用いられている名著である。
執筆者:川合 葉子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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コールラウシュ
Kohlrausch, Friedrich Wilhelm Georg
[生]1840.10.14. リンテルン
[没]1910.1.17. マールブルク
ドイツの物理学者。物理学者 R. H. A.コールラウシュ (1809~58) の子。エルランゲン大学,ゲッティンゲン大学を卒業,同大学教授 (66) を経て,チューリヒのスイス連邦工科大学 (70) ,ウュルツブルク大学 (75) ,シュトラスブルク大学 (80) ,ベルリン大学 (95) 各教授を歴任。電磁気について実験研究を行い,1873年電解質の抵抗測定に使うコールラウシュ・ブリッジを考案,それに基づいて電解質溶液の電気的挙動の解明に貢献した。その著書『実験物理学序論』 Leitfaden der praktischen Physik (70) は実験物理学の指導書として有名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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「コールラウシュ」の意味・わかりやすい解説
コールラウシュ
ドイツの実験物理学者。ゲッティンゲン,チューリヒ,ビュルツブルク各大学教授を経て1903年よりベルリン大学教授。おもに電磁気を実験的に研究,交流による電解質の抵抗測定法(コールラウシュ・ブリッジ,1873年),電解質溶液の電気伝導率に関するコールラウシュの法則(1875年)を発見,弦電流計(1880年),磁力計(1882年)等を考案。著書《実験物理学》は死後も改訂され名著として長く使われた。父Rudolf Kohlrausch〔1809-1858〕も物理学者。
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