サイクス=ピコ協定(読み)サイクス=ピコきょうてい(英語表記)Sykes-Picot Agreement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サイクス=ピコ協定
サイクス=ピコきょうてい
Sykes-Picot Agreement

第1次世界大戦中,イギリスフランスロシアの3国が大戦終結後のオスマン帝国の領土分割や勢力範囲を取決めた密約。イギリスの M.サイクス,フランスの G.ピコ両代表が協議して原案をつくり,1916年5月9日ロシアを加えて締結された。これによりイギリスはバグダードなどを含む南メソポタミアシリアのハイファ港を支配し,フランスはシリアを領有,ロシアはイスタンブールとダーダネルス,ボスポラス両海峡の両岸および国境地帯の帝国領のほとんどを領有することが定められた。さらに,英仏の分割領有地帯の境にアラブ人国家を樹立し,帝国南部のアレクサンドレタ港 (現イスケンデルン) を自由港とする,パレスチナについてはイギリス,フランス,ロシアが後日改めて協定を結んで特殊地域とする,なども取決められた。しかしこの秘密協定は翌 17年ソビエト政権によって暴露され,パリ講和会議はこの協定をめぐって紛糾し,協定は結局実現されなかった。

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百科事典マイペディアの解説

サイクス=ピコ協定【サイクスピコきょうてい】

1916年,英・仏・露3国間で結ばれた秘密協定。イギリス代表のサイクスM.Sykesとフランス代表のピコG.Picotが原案作成。オスマン帝国の領土を3国で分割し,それぞれの勢力範囲とパレスティナの国際管理化を定めた。1917年革命後のソビエト・ボリシェビキ政府がこれを暴露し,アラブ独立を約したフサイン=マクマホン書簡などとの矛盾が明らかとなった。しかし,その後の中東諸国の国家形成や民族統合などは基本的に西欧列強が定めたこの分割線に沿って進めざるをえなかったため,中東・アラブ世界はさらに大きな矛盾を抱え込むことになった。2014年6月に〈カリフ制国家〉創設を宣言したISは,サイクス=ピコ協定による帝国主義的分割線を認めず,現状の中東地域の国家領土を一切否定すると表明している。→パレスティナ問題
→関連項目IS

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世界大百科事典 第2版の解説

サイクスピコきょうてい【サイクス=ピコ協定 Sykes‐Picot Agreement】

第1次世界大戦中の1916年5月,イギリス,フランス,ロシア3国が,オスマン帝国領土のうち,シリア,キリキア,メソポタミアにおける3国の将来の勢力範囲画定を取り決めた秘密協定である。フランス代表のピコGeorges Picotとイギリス代表のサイクスMark Sykesとが原案をつくり,この協定によって,イギリス,フランス両国は,フランスが領有を主張し,イギリスがフサイン=マクマホン書簡によって1915年10月にアラブに対して事実上公約した独立アラブ王国の領域に入るシリアの処理を調整した。

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世界大百科事典内のサイクス=ピコ協定の言及

【シリア】より

…ファイサル1世は連合国軍の一翼としてダマスクスに入城し,1920年シリア王位につく。 しかし,シリアの権益を争うイギリス,フランスは,すでに戦時中の1916年に秘密裡にサイクス=ピコ協定を結び,戦後の両国の勢力圏を取り決め(図1),さらにイギリスは,ユダヤ人のシオニズム運動にも希望をもたせ,パレスティナへの入植を許し,バルフォア宣言によってユダヤ人国家建設の糸口を与えていた。両国は20年のサン・レモ会議と21年のカイロ会議において,シリア,イラクの委任統治権を旧連合国に承認させ,フランスは,ファイサル1世をシリアから追放した。…

※「サイクス=ピコ協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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