改訂新版 世界大百科事典 「サラーフアッディーン」の意味・わかりやすい解説
サラーフ・アッディーン
Ṣalāḥ al-Dīn
生没年:1138-93
アイユーブ朝の第1代君主。在位1169-93年。クルド人で,イラク中部のタクリートに生まれ,1154年からダマスクスに住んでザンギー朝のヌール・アッディーンに仕えた。69年ファーティマ朝の宰相となってエジプトに実権を確立した後,74年にヌール・アッディーンが没すると,シリアからジャジーラへと領域を拡大して十字軍包囲の体制を築き上げ,87年にはヒッティーンの戦に十字軍を破ってエルサレムの奪回をなしとげた。これを機に起こされた第3回十字軍のリチャード1世とアッカをめぐる攻防戦を続け,92年の休戦協定によってエルサレムを含むパレスティナの領有権を確保した。翌年,ダマスクスで没。武人として優れた才能を発揮したばかりでなく,イスラムの慣行に基づいて異教徒を公正に扱い,その博愛主義のゆえにヨーロッパの文芸作品にもサラディンSaladinの名でしばしば登場する(レッシングの《賢者ナータン》やW.スコットの《タリズマン》など)。財政難に苦しみながらも,カイロにモスクやマドラサを盛んに建設して,イスラム諸学の振興に努めた。
執筆者:佐藤 次高
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報