サンフアン(読み)さんふあん(英語表記)San Juan

翻訳|San Juan

デジタル大辞泉 「サンフアン」の意味・読み・例文・類語

サン‐フアン(San Juan)

米国領プエルトリコの都市。1519年にスペイン人が建設。旧市街には植民地時代に建造されたエルモロ要塞サンクリストバル要塞などが残り、1983年に「ラ‐フォルタレサとプエルトリコのサンフアンの歴史地区」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。人口、行政区44万(1991)。
アルゼンチン北西部、サンフアン州の州都。16世紀半ばにサンフアン川沿いに建設されたが、洪水による被害を受けて移転。1894年と1944年に大地震が発生。のちに近代的な街並みが整備された。周辺ではブドウを産し、ワイン産地として知られる。世界遺産(自然遺産)に登録されたイスチグアラスト州立公園タランパヤ国立公園への観光拠点。

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精選版 日本国語大辞典 「サンフアン」の意味・読み・例文・類語

サンフアン

  1. ( San Juan )
  2. [ 一 ] アルゼンチン中西部、アンデス山脈の東側のふもとにある都市。サンフアン州の州都。一五六二年に建設された古い植民都市で、ブドウ酒の生産地として知られる。
  3. [ 二 ] 西インド諸島にあるアメリカ合衆国の自治領プエルトリコの中心都市。プエルトリコ島北東岸の港湾都市。一五二一年スペイン人が建設。サトウキビ、タバコ、コーヒーの輸出港、観光保養地。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンフアン」の意味・わかりやすい解説

サンフアン
San Juan

西インド諸島中部,アメリカ合衆国自治領プエルトリコの首都。プエルトリコ島北東岸,大西洋に臨む港湾都市。旧称プエルトリコ Puerto Rico。 1508年スペイン人が現在の市の南西郊カパラに集落を建設したが住みにくく,1521年湾口の二つの小島 (のち橋と堤道で本島と連絡) に移転。まもなくエルモロ,サンクリストバルなどの要塞や城壁が建設され,その後長く外敵を防いだ。アメリカ=スペイン戦争の結果,1898年合衆国領となった。 20世紀に入って市域が急速に拡大。周辺のカロリナ,グアイナボなどを含めて大都市圏を形成し,プエルトリコの行政,経済,文化の中心地となっている。港からは島の主産物,サトウキビ,タバコ,コーヒーなどを輸出。主要工業は石油精製,製糖,ラム酒,セメント,医薬品,たばこなど。プエルトリコ大学 (1903) がある。合衆国領で最古の都市で,要塞をはじめラフォルタレサ (現知事官邸) ,聖フアン大聖堂など古い建築物が多数現存する旧市街は,1983年世界遺産の文化遺産に登録。ホテルや娯楽施設などが完備し,保養・観光地としても発展している。東郊に国際空港がある。人口 42万6618(2006推計)。

サンフアン
San Juan

アルゼンチン中北部西寄り,サンフアン州の州都。コルドバの西約 400km,アンデス山脈東麓の盆地にあり,コロラド川水系サンフアン川にのぞむ。標高約 630m。 1562年建設されたが,洪水によってしばしば被害を受けたため,93年やや南の現在地に移転。現在は堤防が築かれて洪水から守られている。 1944年の大地震により,18世紀初めに建てられた大聖堂や修道院も含めて市街は大破,その後近代的市街が再建された。現在周辺の肥沃な灌漑農業地帯の中心地で,農産物を集散するほか,食肉,ワイン,製粉などの工業が立地。教育者として知られ,同国の大統領ともなった D.サルミエント (在任 1868~74) の生地で,その生家は博物館,図書館となっている。メンドサの北にあたり鉄道,道路で連絡。人口 11万 9399 (1991推計) 。

サンフアン
San Juan

正式名称はサンフアンデラマグアナ San Juan de la Maguana。西インド諸島中部,ドミニカ共和国西部の都市。セントラル山脈南麓にあり,サンフアン川にのぞむ。インディオタイノ族の中心集落があったところに,1508年スペイン人が建設。 19世紀初めハイチとの戦いの戦場となった。米,コーヒー,トウモロコシ,果実,ジャガイモなどの集散地で,牧畜も盛ん。首都サントドミンゴの西北西約 150kmにあり,道路で連絡。人口4万 9764 (1981) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「サンフアン」の意味・わかりやすい解説

サン・フアン
San Juan

西インド諸島中央部,アメリカ合衆国の自由連合州であるプエルト・リコの主都で,同島の政治,経済,文化の中心地。人口42万8591(2005)。1521年にスペイン人征服者によって建設された。プエルト・リコはカリブ海の軍事上の要衝に位置していたため,スペイン本国政府はサン・フアンの要塞化に努め,16世紀末に築かれたエル・モロと呼ばれる要塞が現在でも残っている。街は植民地時代の総督府の建物や教会を中心とした旧市街と近代的な建物が並ぶ新しく開けた地域に分かれている。1898年以来アメリカ合衆国領となったこの島では,英語とスペイン語が公用語として使われているが,サン・フアンに住む一般民衆はスペイン語を話している。市内には州立プエルト・リコ大学(1903創立)が置かれ,カリブ海地域研究の一つのセンターとなっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンフアン」の意味・わかりやすい解説

サン・フアン(アメリカ領プエルト・リコ)
さんふあん
San Juan

アメリカ領プエルト・リコの首都。西インド諸島中部のプエルト・リコ島北東岸に位置し、同島の交通、商業の中心地である。人口42万1958(2000)。古い市街は天然の良港サン・フアン湾の入口を囲むようにしている二つの島にある。精糖、ラム酒の醸造、金属加工、印刷・出版、宝石製靴、衣服、家具、電子部品、化学薬品プラスチックなどの工業が発達し、砂糖、タバコ、コーヒー、果物が主要輸出品である。1521年集落がつくられ、18~19世紀に西インド諸島の中継ぎ貿易港として栄え、1898年のアメリカ・スペイン戦争の際アメリカに占領された。古い市街には狭い通り、小さな商店、バルコニーの突き出た家々があり、植民地時代の雰囲気を漂わせている。また、港を見下ろす地点にはエル・モル城塞(じょうさい)(1539建設)、サン・クリストバル城(1631建設)、サン・ホセ教会(1523建設)などの古い建物が多い。付近には美しい砂浜が多く、アメリカ本土から多くの観光・保養客が訪れる。なお、サン・フアンの歴史地区と16世紀に建てられた要塞(ようさい)のラ・フォルタレサは1983年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[菅野峰明]


サン・フアン(アルゼンチン)
さんふあん
San Juan

アルゼンチン中西部、アンデス山脈沿いにあるサン・フアン州の州都。都市圏人口11万4547(2001)。サン・フアン川に面し、東方1200キロメートルにある首都ブエノス・アイレスと鉄道、道路網で結ばれる。後背地は土壌、降水量に恵まれないが、灌漑(かんがい)地では果実、牧草栽培が盛んで、銅、鉄、鉛、岩塩、石炭、金、銀などの鉱脈に富む。1562年フアン・フフレにより建設され、1894年、1944年の大地震で壊滅状態に陥ったが再建された。

[今井圭子]

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百科事典マイペディア 「サンフアン」の意味・わかりやすい解説

サン・フアン

プエルト・リコの主都で,同島北東部大西洋岸の港湾都市。サトウキビ,タバコ,コーヒーなどの輸出港。1510年スペイン人が創設,岬の突端に要塞(ようさい)を構築。旧市内には16世紀の聖堂や教会,総督府などが残っているほか,パブロ・カザルス博物館もある。1950年代以降,リゾート開発が進んでいる。ラ・フォルタレサ市とともに,歴史地区は1983年世界文化遺産に登録。43万2692人(2005)。

サン・ファン

サン・フアン

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世界大百科事典(旧版)内のサンフアンの言及

【プエルト・リコ】より

…アメリカ合衆国の自由連合州(スペイン語でEstado Libre Asociado,英語でCommonwealth)。主都はサン・フアン。カリブ海域北東部に位置する本島とクレブラ,ビエケスなど周辺のいくつかの小島とからなる。…

※「サンフアン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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