ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メンドサ」の意味・わかりやすい解説
メンドサ
Mendoza
メンドサ
Mendoza, Juan González de
[没]1618.2. ポパヤン
スペインの司教。メキシコでアウグスティノ修道会に入会。国王フェリペ2世による中国への友好使節の一人に加えられ,1581年再度メキシコに渡り,中国への渡航を試みたが,フィリピン総督の反対にあって実現をみなかった。メキシコ滞在中,さまざまな情報,資料をもとに『シナ大王国誌』 Historia de las cosas más notables,ritos y costumbres del gran reino de Chinaを著わし,各国語に翻訳された。
メンドサ
Mendoza, Pedro de
[没]1537
スペインの軍人,探検家。リオデラプラタ初代総督。国王カルロス5世はブラジルにおけるポルトガルの勢力増大の脅威に刺激されて,アルゼンチンを植民地として手中に収めるために,1535年メンドサの率いる探検隊を派遣した。彼の探検隊はその当時までにアメリカへ派遣された探検隊のなかでは最大のものであった (船 11隻,隊員 2150人,馬 100頭) 。ラプラタ川地域を探検後,36年ブエノスアイレス市を建設したが先住民に襲撃され退却し,帰路の船上で没した。
メンドサ
Mendoza, Pedro González de
[没]1495.1.11. グアダラハラ
スペインの聖職者,枢機卿,政治家。詩人サンティリャナ侯の子。カスティリアのエンリケ4世 (不能王) ,次いでイサベル1世の治下で国内政治および外交問題をあずかって活躍。人文学者としても知られ,ホメロスの作品などをカスティリア語に訳したほか,政治,神学,法律などに関する著述がある。バリャドリドのサンタ・クルス大学の創立者でもある。
メンドサ
Mendoza, Antonio de
[没]1552. リマ
スペインの植民地行政官。 1530年ヌエバエスパーニャ (新スペインの意。現メキシコ) 初代副王として,H.コルテスの専横を抑制し,インディオの救済,農鉱業の発達,教育施設,病院の設置などに多くの業績を残した。 51年リマ副王となったが翌年没した。新大陸における最もすぐれた行政官の一人とみなされている。
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