シスレー(読み)しすれー(英語表記)Alfred Sisley

デジタル大辞泉 「シスレー」の意味・読み・例文・類語

シスレー(Alfred Sisley)

[1839~1899]フランスで活躍した英国人の画家印象派代表者の一人で、静穏な風景画を描いた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「シスレー」の意味・読み・例文・類語

シスレー

  1. ( Alfred Sisley アルフレッド━ ) フランスで活躍したイギリスの画家。明るい色調で光の効果を巧みにとらえ、パリ近辺の風景を好んで描く。印象派の代表的画家の一人。作品ポール‐マルリーの洪水」「サン‐マルタン運河」など。(一八三九‐九九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シスレー」の意味・わかりやすい解説

シスレー
しすれー
Alfred Sisley
(1839―1899)

画家。イギリス国籍だが、生涯大半をフランスで過ごし、フランス印象派の代表的な画家の一人に数えられる。パリ在住の富裕なイギリス人家庭の生まれで、父親は輸出業を営んでいた。1857年から4年間、商業を学ぶべくロンドンに送られたが、コンスタブルターナーの絵に強い関心を抱いた。パリに戻り両親の許可を得て、1862年にグレールMarc Gabriel Charles Gleyre(1806―1874)のアトリエに入門、そこでモネルノワールバジールJean-Frédéric Bazille(1841―1870)らと知り合う。1866年のサロンに初入選。プロイセン・フランス戦争後の1871年に破産状態で父親が他界するや、家計の負担がシスレーの双肩にのしかかり、経済的困窮を強いられる。このころからしだいに初期のコロークールベからの影響を脱して、自然を外光のもとでとらえる明るい色調の画風を確立、モネらと印象主義運動を推進し、8回開かれた印象派展に4回出品した。1879年にはサロンでの成功を企てたが不首尾に終わり、翌1880年からはグループから離れるようにセーヌをさかのぼって、ブヌー・ナドンやモレ・シュル・ロワンに居住し、モレに没した。彼は印象派のなかでももっとも純粋な風景画家で、微妙な光のもと、透明な大気に包まれた自然の情景を、前景から後景へと退く奥深い遠近法を用いて表現した。穏やかで詩情に富む作風は終生変わらず、本来の印象主義様式を生涯守り通したほとんど唯一の画家であった。代表作『ポール・マルリーの洪水』(1876)。

[大森達次]

『フランソワ・ドールト著、松本芳夫訳『ファブリ版世界の美術 印象派の巨匠たち7 シスレー』(1976・小学館)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「シスレー」の意味・わかりやすい解説

シスレー
Alfred Sisley
生没年:1839-99

フランス印象派として活躍したイギリス人画家。印象派の中ではC.モネ,C.ピサロとともに風景画家グループをなし,1870年代の印象派の画風を最後まで変わらず持ちつづけた唯一の画家である。パリで生まれる。父は貿易商を営んでおり,彼を商売の見習にとロンドンに留学させた(1857-61)が,シスレーがそこで学んだのは母国のJ.M.W.ターナー,R.P.ボニントン,J.コンスタブルらの風景画であった。帰国して入ったグレールM.G.C.Gleyreのアトリエで,F.J.バジール,モネ,A.ルノアールらと知りあい,風景画の戸外制作に励む。普仏戦争の際に父は破産し,はじめて経済的苦労を知るが,ルーブシエンヌ,マルリ,モレ・シュル・ロアンなどの田舎に住み,生涯穏やかな光に満ちたイル・ド・フランス地方の田園風景を描きつづけた。画風はイギリスの風景画からの影響が濃厚で,低い地平線によって空の大気の微妙な状態や雲の力強い動きを伝えようとし,かつその自然の堂々たる威容を安定した構図で表現した。引込みがちな性格もあって,生前にはごく少数の画商や愛好家と取引があっただけで,経済的には恵まれなかった。20年暮らしたモレ・シュル・ロアンの地で,癌で没した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シスレー」の意味・わかりやすい解説

シスレー
Sisley, Alfred

[生]1839.10.30. パリ
[没]1899.1.29. モレシュルロワン
フランスの画家。父母はイギリス人であるが生涯のほとんどをフランスでおくり,晩年フランスに帰化。フランス印象派の代表的画家の一人。 1862年 C.グレールの弟子となり,モネルノアール,J.バジールと知合い,生涯親交を結んだ。 63年にグレールのもとを離れ,クールベ,コローの影響が認められる風景画を描いた。 73年頃から色彩はより明るくなり,印象派的な特徴を強く示しはじめ,74年の第1回印象派展に出品。モネの印象主義が,光の効果の表現のために対象の形態を溶解してしまったのに反し,シスレーの風景画は力強く堅実な形態をもっている。 79年以後モレシュルロワンに住み,パリ周辺の風景を描いた。代表作『ポール=マルリーの洪水』 (1876,オルセー美術館) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「シスレー」の意味・わかりやすい解説

シスレー

フランス印象主義の風景画家。英国人を両親としてパリに生れ,生涯の大半をフランスで送った。時にマンネリズムも認められるが,1870年代と1890年代の作品には穏健な造形感覚とさわやかな抒情性がみえる。貧窮のうちに没し,死後声価が高まった。代表作に《ポール・マルリーの洪水》(1876年,オルセー美術館蔵),《サン・マメスの眺め》(1880年,ボルティモア,ウォルターズ美術館蔵),《モレ・シュル・ロワンの教会》(1897年,ルーアン美術館蔵)などがある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「シスレー」の解説

シスレー
Alfred Sisley

1839〜99
フランスの画家
国籍はイギリスだが,生涯の大半をフランスで過ごした。印象主義絵画の代表的画家のひとりで,モネの感化をうけ,おもに風景を描いた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android