シニャフスキー(英語表記)Andrei Donatovich Sinyavskii

デジタル大辞泉 「シニャフスキー」の意味・読み・例文・類語

シニャフスキー(Andrey Donatovich Sinyavskiy)

[1925~1997]ソ連ロシアソ連の小説家批評家アブラム=テルツの筆名によりフランス評論社会主義リアリズムとは何か」などの作品発表、反ソビエト運動を扇動したとして懲役刑を受けた。1973年フランスに亡命し、パリ大教授となる。ペレストロイカ以降は祖国でも評価された。ほか小説審問」「おやすみなさい」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「シニャフスキー」の意味・わかりやすい解説

シニャフスキー
Andrei Donatovich Sinyavskii
生没年:1925-97

ロシア,モスクワ生れの作家,批評家。モスクワ大学卒業後,科学アカデミー付属ゴーリキー記念世界文学研究所員となり,モスクワ大学で教鞭をとる。1951年父親が反革命容疑で逮捕され,このころから思想的にマルクス主義を離れる。国内では58年から主として現代ロシア詩に関する論文を発表,公式的文学路線に抗して1920年代の文学伝統回復に努める。同時に59年以後国外で,評論《社会主義リアリズムとは何か》(1956),中編小説《審問》(1956),《リュビーモフ》(1962-63),アフォリズム集《思わぬ閃き》(1966)などをアブラム・テルツの筆名で発表。これが当局に知られ,65年8月友人の作家ユーリー・ダニエル(筆名ニコライ・アルジャク)とともに逮捕され,66年2月強制労働7年(ダニエルは5年)の刑を宣告される。この裁判記録は非合法に国外へ持ち出され(ギンズブルグの《裁判白書》など),自由な創造への弾圧として世界の世論を喚起した。71年釈放後はモスクワ居住を許されず,73年パリ大学講師として招かれフランスへ亡命。その後の著作としては,収容所から妻にあてた手紙の集成である《合唱の中の声》(1973),評論《プーシキンとの散歩》《ゴーゴリの影に》(ともに1975),物語《小人ツォレス》(1980)などがある。78年よりロシア語の雑誌《シンタクシス》を妻と協同で編集。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シニャフスキー」の意味・わかりやすい解説

シニャフスキー
Sinyavskii, Andrei Donatovich

[生]1925.10.8. モスクワ
[没]1997.2.25. パリ近郊フォントネーオーローズ
ソ連生れの作家,批評家。モスクワ大学を通信学生として卒業。モスクワ大学その他で教える一方,新進文学批評家として活躍。同時に 1959年からアブラム・テルツ Abram Tertsの筆名を用いて国外でひそかに作品を発表。 65年それが発覚,7年の強制労働刑を受けた。 71年釈放され,73年パリに亡命,パリ大学講師に就任。在ソ中の評論『パステルナークの詩』,筆名で発表した『社会主義リアリズムとは何か』 On Soviet Realism (1961) ,『思わぬ閃き』 Mysli vrasplokh (66) などはその才能をうかがわせる。ほかに『リュビモフ』 Lyubimov (62) ,『合唱の中の一つの声』 Golos iz khora (73) など。 89年からはソ連でも再評価された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シニャフスキー」の意味・わかりやすい解説

シニャフスキー
しにゃふすきー
Андрей Донатович Синявский/Andrey Donatovich Sinyavskiy
(1925―1997)

ロシアの作家、批評家。モスクワ生まれ。ゴーリキーの研究で学位を得、モスクワ大学などで教鞭(きょうべん)をとり、『革命初期の詩、1917―20』(1964)を著した。この間、フランスでアブラム・テルツの変名で『社会主義リアリズムとは何か』(1956)、短編『プヘンツ』(1965?)などを発表したため、65年、友人のダニエルとともに逮捕され、翌年7年の刑を宣告され、服役した。釈放後73年にはフランスへ亡命、パリ大学講師、教授を務める。その後の作品には『合唱の中の声』(1973)、『小人ツォレス』(1980)などがある。作品は幻想芸術に依拠し、スターリニズム批判に貫かれている。ペレストロイカ以後、ソ連でも再評価され、89年に一時帰国した。97年フランスで死去。

[工藤正広]

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百科事典マイペディア 「シニャフスキー」の意味・わかりやすい解説

シニャフスキー

ロシアの作家,批評家。モスクワ生れ。ソ連の公式的文学路線に抵抗し,国外で評論《社会主義リアリズムとは何か》(1956年),小説《審問》(1956年)などをペンネームで発表。このことが当局に知られ反ソ宣伝のかどで1965年逮捕,強制労働に服する。釈放後の1973年フランスに亡命。妻に送った収容所時代の書簡集《合唱の中の声》(1973年),評論《プーシキンとの散歩》(1975年),物語《小人ツォレス》(1980年)などを残す。
→関連項目チュコフスカヤ

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世界大百科事典(旧版)内のシニャフスキーの言及

【異論派】より

…すでに60年代はじめから自らの主張をタイプ・コピーで広めること(サミズダート),広場で朗読集会を開くこと,国外で作品を発表することは始まっていた。この面での最初の衝突は66年2月10~14日のダニエル=シニャフスキー裁判である。作家Yu.M.ダニエルとゴーリキー世界文学研究所員シニャフスキーはペンネームで国外で作品を発表したが,これが〈反ソ宣伝〉だとして刑法70条違反に問われ,自由剝奪5年および7年の判決を受けた。…

※「シニャフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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