シムラ会議(読み)シムラかいぎ(その他表記)Simla Conference

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シムラ会議」の意味・わかりやすい解説

シムラ会議
シムラかいぎ
Simla Conference

1913~14年インドシムラで開かれた,チベット独立に関する中国,イギリス,チベット3者間の会議。 11年辛亥革命が勃発してチベットにあった清軍は敗退し,インド亡命中のダライ・ラマは急いでラサへ帰りチベット独立を宣言し,イギリスもこれを支持する強硬な覚え書を中華民国政府に送った。 12年夏,中国の主権の回復を目的として四川軍がチベットに進入し,このため中英間の外交交渉が始り,13年 10月からシムラで3者代表会議が開かれた。チベット代表はチベットが事実上の独立国となることを主張し,中国代表はチベットの主権を認めず,西康地区を確保しようとし,イギリスはチベット側を支持し,中国の宗主権は認めるが,チベットを完全な自治国として,中国の干渉を排除することを目標に協定を結ぼうとした。6ヵ月の討議を経て,14年4月 27日中国,イギリス,チベット3者は暫定協定 (草案) に仮署名したが,中国政府は署名の2日後に自国代表の全権委員を取消し,これに正式署名の権限を与えない旨を声明した。イギリス側は中国政府に対して,中国側が正式署名を拒絶するならばイギリスとチベットの両者代表のみで正式条約とする準備があると申入れた。7月中国とチベットの両代表はともにシムラを引揚げるにいたり,やがて第1次世界大戦が勃発し,会議は決裂のまま放置されることになった。中国政府が正式署名を拒否した理由は,暫定協定 (草案) 第1条の境界線問題に対する反対であった。のち 19年に中英両国間でシムラ会議の再開が論議されたが,結論に到達しなかった。

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百科事典マイペディア 「シムラ会議」の意味・わかりやすい解説

シムラ会議【シムラかいぎ】

(1)1913年―1914年に行われた,チベット独立に関するチベット,英国,中国の三者会議。インド北部シムラSimlaは,英領インドの夏の主都。1911年に独立を宣言していたチベットの自治とその領域については一応解決したが,最終的に中国が調印しなかったため,チベットの地位は不安定なものとなった(チベット問題)。またチベットと英国は現在の中国・インド国境〈マクマホン・ライン〉を秘密裏に合意,後に中印国境問題の原因となった。(2)1972年に開かれた第3次インド・パキスタン戦争の講和会議。停戦合意のほか,戦勝国インドは両国間の紛争に第三国を介入させないことを主張,これを含むインド・パキスタン協定(通称シムラ協定)が締結された。

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改訂新版 世界大百科事典 「シムラ会議」の意味・わかりやすい解説

シムラ会議 (シムラかいぎ)

チベットの独立に関して,チベット,イギリス,中国の3国間で行われた会議。清朝末期チベットは清朝の強硬政策により動揺していたが,1911年の辛亥革命を契機として独立を宣言した。このようにして発生したチベット問題解決のため,チベット,イギリス,中国(袁世凱政権)の代表は,インドのシムラにおいて,1913年11月~14年5月にわたり会談した。会議では,チベットの中国宗主権下での自治およびその領域等について一応の合意ができたものの,結局中国は離脱しチベットとイギリスのみで調印した。中国の承認を欠いたチベットの不安定な地位・境界は,第2次世界大戦後のチベット問題,中印国境紛争の原因となるのであった。
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