シャルル10世(読み)シャルルじっせい(その他表記)Charles X

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャルル10世」の意味・わかりやすい解説

シャルル10世
シャルルじっせい
Charles X

[生]1757.10.9. ベルサイユ
[没]1836.11.6. ゴリツィア
フランス王 (在位 1824~30) 。ルイ 15世の孫でルイ 16世,同 18世の弟にあたり,当初アルトア伯として知られる。バスティーユ陥落の直後亡命し,トリノから反革命運動に参加。次いで 1814年までドイツ,イギリスに滞在し,王政復古が成るや兄のルイ 18世から国王代理官に指名され,ユルトラ (極右王党派) の指導者として活躍。兄の死後フランス王となり (24) ,25年ランスでアンシアン・レジーム期の儀式にのっとって戴冠式挙行,フランス革命期に所有地を政府に没収された亡命貴族を補償するための「十億フラン法」の制定,議会に対する強力な反動的てこ入れなどを行なった。このため各地で自由主義運動が広がり,パリでは L.ティエール,F.ミニェらが『ナショナル』紙を発行し,学生,小市民層の共和派と自由主義の結集に力を注いだ。このような情勢に議会は解散したが,新選挙は反政府派の勝利となり,国王はこれに対して出版の自由を停止し,選挙法改正をおもな内容とする「七月勅令」を発布した。これを契機七月革命が起り (30) ,シャルルは孫のボルドー公に位を譲りイギリスに亡命。

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改訂新版 世界大百科事典 「シャルル10世」の意味・わかりやすい解説

シャルル[10世]
Charles Ⅹ
生没年:1757-1836

フランス国王。在位1824-30年。ルイ16世,ルイ18世の弟。即位前はアルトア伯という。王政復古期に旧体制への復帰をめざす王党派の中心となったことで知られる。1789年フランス革命が始まると同時に国外に亡命。91年のピルニッツ宣言に荷担し,亡命貴族を率いてバンデ地方の王党派反乱バンデの反乱)の支援に出発するが失敗する(1795)。1814年王政復古でフランスに帰り,とくに翌15年からルイ18世の欽定した〈憲章〉に反対し,過激王党派ultrasの首領となる。ルイ18世の死後,その年に即位し,革命によって土地を没収された亡命貴族への賠償を定めた〈十億フラン法〉等を成立させるなど,反動路線を推進した。30年の七月勅令が原因で発生した七月革命王座を追われた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャルル10世」の解説

シャルル10世(シャルルじゅっせい)
Charles Ⅹ

1757~1836(在位1824~30)

復古王政期のフランス国王。ルイ15世の孫,ルイ16世およびルイ18世の弟にあたる。フランス革命中は亡命して反革命を組織し,復古王政期には極右王党派を指導し,即位後は反動政策を推進したため七月革命で追われ,亡命地のイギリスで死んだ。

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367日誕生日大事典 「シャルル10世」の解説

シャルル10世

生年月日:1757年10月9日
フランス王
1836年没

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