20世紀アメリカが生んだ典型的な社会派画家。絵画とレタリングを組み合わせた新しいイメージをつくった。リトアニアのコブノに生まれ、1906年ニューヨークに移住。13年からリトグラフの徒弟修業についたほか、ニューヨーク大学などで学ぶ。32年、サッコ‐バンゼッティ事件とトム・ムーニー事件を扱った連作を発表して一躍注目される。30年代から40年代にかけて、画家、デザイナー、写真家として活動し、壁画、ポスターなどを制作。第二次世界大戦後も精力的な制作が続き、国際展、個展などの発表が多くなり、そのかたわらハーバード大学などで連続講演を行っている。60年(昭和35)には来日して第五福竜丸事件による連作を描いたことは知られている。彼の業績は大別して二つあり、一つは社会意識を絵画的造形に引き付けた方法論を開発したことであり、もう一つは文字を絵画表現の有力な手段として駆使したことにある。61年ニューヨーク近代美術館で回顧展を開いたほか、没後も各地で作品展が開催されている。
[桑原住雄]
『ベン・シャーン著、佐藤明訳『ある絵の伝記』(1960・美術出版社)』▽『バーナーダ・シャーン著、桑原住雄訳『ベン・シャーン画集』(1982・リブロポート)』
アメリカの画家。リトアニアのユダヤ系の家庭に生まれ,1906年一家で渡米した。25年と27年にヨーロッパと北アフリカを旅行。30年代初頭,《サッコ=バンゼッティ事件》《労働運動家ムーニーの投獄》などの連作で注目され,〈社会的情景(ソーシャル・シーン)派〉の代表画家となる。ニューディール政策によるWPAでは,写真家W.エバンズの助手として貧困,抑圧,差別に苦しむ民衆生活に触れ,その体験に基づきブロンクス郵便局(1938-39)などの壁画を制作する。第2次大戦中はポスター,挿絵も手がけた。戦後は主観的・象徴的リアリズムに転じたが,59年来日して《第五福竜丸事件》連作をつくるなど,社会的主題を追求しつづけた。《内容の形態The Shape of Content》(1957,邦訳《ある絵の伝記》)などの著書がある。
執筆者:針生 一郎
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…さまざまの傾向をふくむが,大きく分けるとキュビスムの影響をうけた半抽象的な系列と写実的な系列の二つがある。前者の舞台になったのは主としてニューヨークで,ブルックリン橋や高層建築をモティーフとして,近代文明を謳歌するステラJoseph Stella,シーラーCharles Sheeler,大都市のバイタリティを抽出したデービスがおり,後者には都会の底辺の日常の光景をとらえたマーシュReginald Marsh,孤独と疎外を描いたホッパー,ソーシャル・リアリズムsocial realismの立場を貫いたシャーンがいる。また,中西部の広大な農村風景を描きつづけたベントン,ウッドGrant Wood(1892‐1942),カリーJohn Steuart Curry(1897‐1946)などの提唱したリージョナリズムRegionalism(地方主義)も写実的な系列を代表する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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