サッコバンゼッティ事件(読み)サッコバンゼッティじけん(英語表記)Sacco-Vanzetti Case

精選版 日本国語大辞典 「サッコバンゼッティ事件」の意味・読み・例文・類語

サッコ‐バンゼッティ‐じけん【サッコバンゼッティ事件】

  1. 一九二〇年にアメリカで起きた殺人裁判事件。四月、マサチューセッツ州の製靴会社で二人が殺されて大金が奪われ、目撃者証言からイタリア移民のアナーキスト、サッコとバンゼッティが捕えられた。証拠不十分のまま死刑判決が下り、公正な裁判を要求する世論が国の内外に高まったが、一九二七年八月に処刑。典型的な市民権抑圧事件として知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「サッコバンゼッティ事件」の意味・わかりやすい解説

サッコ=バンゼッティ事件 (サッコバンゼッティじけん)
Sacco-Vanzetti Case

アメリカの裁判史上有名な事件。〈赤〉への恐怖や排外主義が病的にまで高まった1920年代アメリカを象徴し,U.B.シンクレアの小説《ボストン》などの題材ともなった。国内だけでなく,西欧,中南米でも抗議運動が展開されたことでも知られ,アインシュタイン,アナトール・フランス,ロマン・ロランらも参加した。事件は1920年4月15日,マサチューセッツ州サウス・ブレーントリー市の路上で,製靴会社の会計部長と護衛が射殺され,1万6000ドルが奪われたことに端を発する。5月5日,容疑者として,製靴工のサッコNicola Sacco(1891-1927)と魚行商人のバンゼッティBartolomeo Vanzetti(1888-1927)が捕らえられた。2人はイタリア人で,1908年に移住し,第1次大戦中は徴兵を避けるためメキシコに赴いたこと,アナーキズムの信奉者であったこと,など共通点が多い。物的証拠はほとんど皆無であったが,2人の履歴と思想を嫌悪する裁判長と陪審は,7月14日,第一級殺人で有罪を宣告し,ボストンの世論もこれを支持した。2人の無実を信じ,公正を欠く審理に抗議する内外の運動に押され,死刑執行は延び,知事特別委員会を設けたが,結論判決を支持した。執行日が近づくと,ボストンは準戒厳状態におかれた。27年8月23日,2人は処刑された。弾道試験その他の手続を経て62年発表されたF.ラッセルの研究は,サッコは有罪だったかもしれないが,バンゼッティは無罪であると判断している。マサチューセッツ州知事は1977年,2人の無実を公式声明により確認した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サッコバンゼッティ事件」の意味・わかりやすい解説

サッコ‐バンゼッティ事件
さっこばんぜってぃじけん
Sacco-Vanzetti Case

1920年代のアメリカの殺人事件裁判で、政治的でっち上げといわれる。1920年4月、ボストン市郊外の靴工場を数名の強盗が襲い、2人を殺し大金を奪った。3週間後、イタリア移民で靴工のニコラ・サッコと魚行商人のバルトロメオ・バンゼッティとがまず別件で逮捕され、この事件の犯人とされた。彼らはともに無政府主義者、徴兵拒否者であり、拳銃(けんじゅう)を持っていた。またこのころ、司法長官パーマーの赤狩りなど左翼は弾圧され、移民制限が叫ばれていた。翌年5月に裁判が始まり、証言のみで物証不十分のまま、7月に有罪とされた。それは政治信条を超えた多数の人の抗議を呼び起こし、何度か控訴、再審が請求され、さらに25年、自供者が現れたが認められなかった。アメリカ内外で有名人も参加する釈放運動が高まり、執行責任者の知事は委員会に諮ったが、誤審なしとされ、2人は27年8月、電気椅子(いす)に送られた。のち、この問題を扱った多くの芸術作品が生まれた。

 この事件はその後も長く論じられ、1959年にはボストン司法委員会は再審請求を取り上げ、無罪を証した。しかし、61年の条痕(じょうこん)検査ではサッコの拳銃が犯罪に用いられたとされ、彼を有罪とみる者もおり、今日に至るも見解は分かれている。

[長沼秀世]

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百科事典マイペディア 「サッコバンゼッティ事件」の意味・わかりやすい解説

サッコ=バンゼッティ事件【サッコバンゼッティじけん】

米国,マサチューセッツ州サウス・ブレーントリーで1920年に起きた強盗殺人事件の犯人として逮捕されたN.サッコとB.バンゼッティの二人のイタリア人がアナーキストであったことから,証拠不十分のまま,1927年に死刑となった事件。これに対して,思想弾圧のためのでっちあげ事件だとして公正な裁判を要求する運動が米国内だけでなく国際的にも広がった。1920年代の米国の排外主義を象徴する事件で,U.シンクレアの《ボストン》など,多くの小説・詩にも扱われている。
→関連項目アンダーソンシャーンデューイ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サッコバンゼッティ事件」の意味・わかりやすい解説

サッコ=バンゼッティ事件
サッコ=バンゼッティじけん
Sacco Vanzetti Case

アメリカ,マサチューセッツ州で 1920~27年の7年間にわたって続いた殺人犯裁判。 20年4月 15日,マサチューセッツ州サウスブレイントリーで発生した殺人事件の犯人としてアナーキストのイタリア人移民 N.サッコと B.バンゼッティに嫌疑がかけられ,明白な証拠のないまま,同年5月5日逮捕された。社会主義者と進歩派は冤罪を主張して激しい批判を浴びせ,2人のための大衆デモがアメリカ,ヨーロッパで行われた。しかし,州最高裁判所は再審を許さず,27年4月死刑が宣告され,同年8月処刑された。この2人の容疑者の犯行の証拠が不十分で,むしろその無政府主義的思想が有罪判決の隠された真の理由であったことが指摘され,世論も政治的陰謀性を激しく非難した。 59年4月ボストンの司法委員会は再審請求を取上げ,無罪を立証した。

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世界大百科事典(旧版)内のサッコバンゼッティ事件の言及

【デューイ】より

…その中から主著として,《民主主義と教育》(1916),《哲学の改造》(1920),《人間性と行為》(1922),《経験と自然》(1925),《論理学――探究の理論》(1938)などを挙げることができよう。なお彼は,著作活動だけにとどまらない行動する思想家であり,中国,トルコ,ソ連などへの教育視察・指導旅行,サッコ=バンゼッティ事件での被告弁護活動などは特によく知られている。プラグマティズム【米盛 裕二】。…

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