シュタイア(その他表記)Steyr

改訂新版 世界大百科事典 「シュタイア」の意味・わかりやすい解説

シュタイア
Steyr

オーストリア北部,リンツの南にある都市で,オーバーエスタライヒの郡庁所在地。シュタイアSteyr川とエンスEnns川との合流点に位置。人口3万8942(1981)。有数の製鉄業の中心。冶金,電気,装身具製造のほかオーストリア最大の自動車メーカー,シュタイア・ダイムラー・プッフの主力工場がある。また市立商科大学,ドレスメーカー学院などがある。旧市街には,ゴシック様式の教区教会(1443),バロック様式のドミニコ会教会(1472創建,1642-47再建),ロココ様式の市庁舎(1765-78),ランベルク城(1727,バロック様式,旧シュティラブルクの跡地に造営)がある。

 10世紀にマジャール人を防ぐためシュタイア川右岸に築いた砦シュティラブルクStirapurchが起源で,オタカルOtakar伯一門が領有した。同家が奨励したエルツベルク周辺における鉄の採掘が,シュタイアの経済発展に寄与した。1192年同家の断絶バーベンベルク家(オーストリア大公)の手に帰したが,1246年この家門も断絶,一時ボヘミア王オタカル2世が占領した。1287年,新オーストリア大公,ハプスブルク家アルブレヒト1世は従来の諸特権を安堵した。鉄製品はベネチアに,鉄と鋼はアルプス以北の全ヨーロッパとスペインにまで送られた。1397年異端ワルド派の蜂起があり,約100名が火刑に処せられた。16世紀初めには再洗礼派の牙城となった。1570-1630年には,洪水悪疫,新教徒系豪商の追放などで経済的に沈滞し,その後も三十年戦争,オスマン・トルコ軍の侵入,1727年の大火,オーストリア継承戦争中のフランス・バイエルン軍の進駐などで打撃を受けた。19世紀後半に携帯火器の製造で内外の需要にこたえたが,第1次大戦後は自動車生産に転向した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュタイア」の意味・わかりやすい解説

シュタイア
しゅたいあ
Steyr

オーストリア中北部、オーバーエスターライヒ州の都市。人口3万9340(2001)。シュタイア川とエンス川の合流点に発達した鉄の町で、この一帯に産する鉄鉱石の積出し地として15世紀にはすでに州内の富裕都市であった。しかし反宗教改革を機に有力な市民たちが移住したため衰微し、19世紀以降、武器工場設立でようやく回復し、現在は自動車工業の中心地となっている。段丘上に立地しているため、旧市街の歴史的景観がいまも保存されている。

[前島郁雄]

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