シュレーダー(読み)しゅれーだー(英語表記)Gerhard Schröder

デジタル大辞泉 「シュレーダー」の意味・読み・例文・類語

シュレーダー(Gerhard Schröder)

[1944~ ]ドイツ政治家弁護士。1963年社会民主党(SPD)に入党。1998年連邦議会選挙でSPDを勝利に導き、コールを辞任させて16年ぶりに政権交代を果たし、ドイツ連邦共和国の第7代連邦首相に就任。2005年10月の総選挙で敗れ辞任した。→メルケル

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュレーダー」の意味・わかりやすい解説

シュレーダー(Gerhard Schröder、ドイツ連邦共和国首相)
しゅれーだー
Gerhard Schröder
(1944― )

ドイツ連邦共和国の第7代連邦首相。モッセンベルク生まれ。労働者階層の出身で、自活しながら弁護士になる。1963年に社会民主党(SPD)に入党、1978年から1980年まで社民党青年部(JUSOS(ユーゾー))議長を経て、1980年から1986年まで連邦議会議員。1990年にニーダーザクセン州におけるSPDと緑の党の連立州政府の州首相に就任、1994年州議会選挙ではSPD単独の州政府を実現した。シュレーダーは、企業家の立場を視野に入れた経済政策を主張した。1998年3月の州議会選挙でさらにSPDの得票率を伸ばし、その直後にSPDの首相候補になった。首相候補シュレーダーは、党首ラフォンテーヌOskar Lafontaine(1943― )とコンビを組み、1998年連邦議会選挙でSPDを勝利に導き、16年ぶりに政権交代を果たした。「90年連合・緑の党」との初の連立政権は、両党のシンボルカラーから「赤と緑の連立政権」とよばれ、選挙戦においてシュレーダーは「新しい中道」を掲げ「雇用、革新(イノベーション)、公正」を訴えた。コール長期政権に飽きた有権者の心を巧みにつかみ、社会的公正とともに経済政策の重視を主張し、SPDの支持基盤を中間層に拡大することに成功した。シュレーダー連立政権においても安保政策やヨーロッパ統合政策については基本的変更はなく、内政では400万人を超える失業者問題の解決を最大の課題とした。さらに、新しい政策として、環境税の導入、脱原発を目標とする新しいエネルギー合意、二重国籍の容認を含む定住外国人の国籍取得を緩和する国籍法の改定を目ざした。2005年9月の総選挙でSPDは僅差(きんさ)ながらキリスト教民主同盟CDU)に敗れたため、シュレーダーは首相の座をCDUのメルケルに明け渡した。2005年11月政界引退。

[坪郷 實]


シュレーダー(Gerhard Schröder、ドイツの政治家)
しゅれーだー
Gerhard Schröder
(1910―1990)

ドイツの政治家。キリスト教民主同盟(CDU)所属。ザールブリュッケン生まれ。弁護士出身。1949年以来連邦議会議員。1953~1961年内相、1961~1966年外相、1966~1969年国防相を歴任し、外相在任中は「西ドイツ・フランス協力条約」に署名し(1961)、他方ポーランド、ルーマニアハンガリーブルガリアでの通商代表部設置を実現させた(1963~1964)。1969年連邦議会外交委員会委員長に就任し、1972年旧西ドイツの政治家として最初に中国を訪問した。

[深谷満雄]


シュレーダー(Friedrich Ludwig Schröder)
しゅれーだー
Friedrich Ludwig Schröder
(1744―1816)

ドイツの俳優。母はシェーネマン一座の女優ゾフィーSophie Charotte Schröder(1714―92)で、3歳から舞台に出ていたが、母が1749年に俳優アッカーマンと再婚、継父の一座で俳優として活躍した。71年に母とハンブルクで劇場を運営し、シュトゥルム・ウント・ドラング疾風怒濤(どとう))期の若い作家を取り上げ、ドイツでは最初にシェークスピアの本格的上演にも取り組んだ。81年にはウィーンブルク劇場の俳優となり、ふたたびハンブルクに戻って劇場を運営した。当時の人気劇作家でもあり、エクホーフに学んだ写実的演技を継承、完成し、俳優年金制度の確立のためにも努力した。

岩淵達治


シュレーダー(Rudolf Alexander Schröder)
しゅれーだー
Rudolf Alexander Schröder
(1878―1962)

ドイツの詩人。ブレーメン生まれ。人文主義とキリスト教を精神的土台として、叙情詩をはじめ散文、翻訳などに優れた業績を残す。叙情詩人としては審美主義から出発したが、つねに古典に範を求め、かつゲーテやヘルダーリンの伝統を継承しつつ、宗教的叙情詩に新生面を開く。『宗教詩百編』(1951)に代表される数多くの宗教詩は新教賛美歌の再興に寄与した。散文ではまた詩人の政治的、宗教的責任を再三問いかけている。翻訳はホメロスなどの古典、シェークスピア、フランス古典劇と広範囲に及び、その訳文は美的感覚と言語能力の豊かさに裏打ちされた格調の高さで定評がある。

[根本道也]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「シュレーダー」の意味・わかりやすい解説

シュレーダー
Friedrich Ludwig Schröder
生没年:1744-1816

ドイツの俳優,座主。はじめアッカーマンの劇団で俳優稼業,1771年以降3度にわたってハンブルクの劇場を主宰(1771-80,1795-98,1811-12),この間ウィーンのブルク劇場の支配人(1781-85)。せりふとしぐさの自然らしさを追求した最初のドイツ俳優として名高い。シェークスピア戯曲を翻案してドイツの劇界に導入した功績は大きい。彼はまたシュトゥルム・ウント・ドラング期の作家たち(F.M. クリンガー,J.M.R. レンツなど),レッシングの市民悲劇《エミーリア・ガロッティ》を演出した。とりわけ《ハムレット》による成功は,ドイツ演劇史上画期的な事件であった(1776)。みずからも若干の市民劇を書いた。またドイツ最初の俳優のための養老施設をつくった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「シュレーダー」の意味・わかりやすい解説

シュレーダー

ドイツの政治家。ノルトライン・ウェストファーレン州モッセンベルク生まれ。ゲッティンゲン大学卒業,弁護士。1963年に西ドイツの社会民主党(SPD)入党,1980年‐1986年連邦議会(下院)議員,1990年‐1998年ニーダーザクセン州首相。1998年の連邦議会議員選挙でSPDが勝利し,首相就任,〈緑の党〉との連立政権を発足させた。1999年‐2004年,O.ラフォンテーヌの後をうけてSPD党首。2002年連邦議会で首相に再任された。2005年,連邦議会解散・総選挙の早期実現のため,自ら提出した信任決議をSPDの棄権で否決に持ち込んだが,総選挙に僅差で敗北して首相退任。後継首相はキリスト教民主同盟のA.メルケル〔1954‐〕。

シュレーダー

ドイツの俳優,演出家。ブルク劇場を経てハンブルク劇場の監督となり,創作劇の振興と写実的演技に尽力。シェークスピアをドイツに定着させた功は大きい。いくつかの市民劇も書いた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュレーダー」の意味・わかりやすい解説

シュレーダー
Schröder, Rudolf Alexander

[生]1878.1.26. ブレーメン
[没]1962.8.22. バイエルン,バートウィースゼー
ドイツの詩人,翻訳家。豪商の家に生れ,1899年雑誌『インゼル (島) 』 Inselの創刊に参画,今日のインゼル書店の基礎をつくった。またホーフマンスタールと雑誌を出す。 99年詩集『不満』 Unmutを出版したのち,絵画,建築,音楽など,多方面にわたってその芸術的才能を発揮したが,再び文学に専念。ホメロス,ウェルギリウスなど多数の翻訳もある。ナチス時代は不遇だったが,第2次世界大戦後の活躍はめざましい。『世俗詩集』 Die weltlichen Gedichte (1940) ,『宗教詩集』 Die geistlichen Gedichte (49) など。

シュレーダー
Schröder,Gerhard

[生]1944.4.3. モッセンベルク
ドイツの政治家。 1966~71年ゲッティンゲン大学で法学を学び,76年弁護士資格を取得,大学卒業後ハノーバーで弁護士事務所を開設した。 1963年 19歳で社会民主党 (SPD) 入党,80年西ドイツ連邦議会 (下院) 選挙に初当選した。 86年より SPDニーダーザクセン州議会議員団長,90年には同州首相に選出された。 94年再選。 98年の州議会選挙で勝利して SPDの連邦政府首相候補に指名され,同9月の連邦議会選挙ではコール首相率いるキリスト教民主・社会同盟 (CDU・CSU) に圧勝,首相に就任した。 99年 SPD党首に選出。

シュレーダー
Schröder, Gerhard

[生]1910.9.11. ザールブリュッケン
[没]1989.12.31. シュレスウィヒホルシュタイン,ジルト島
西ドイツの政治家。ケーニヒスベルク,エディンバラ,ボンなどの大学で法律を学び,1933年にボン大学助手。 37年ナチス党入党,第2次世界大戦中は兵役に服し,45年にはノルトラインウェストファーレン州政府審議官に就任した。 49年に連邦議会議員,52年からキリスト教民主同盟副党首,53~61年内相,61~66年外相,66~69年国防相となり,親米・大西洋同盟路線を推進した。 69年連邦議会外交委員長。

シュレーダー
Schröder, Friedrich Ludwig

[生]1744.11.3. シュベリン
[没]1816.9.3. レリンゲン
ドイツの俳優。養父 K.E.アッケルマンの劇団に H.K.D.エクホフとともに参加。養父の没後 (1771) ,一時ウィーンのコンラート・ブルク劇場に招かれたが,おもにハンブルクを本拠として活動。『ハムレット』 (79) をはじめシェークスピアの作品 12編を紹介,また写実的傾向への努力など,新しいドイツ演劇運動の展開のうえに大きな功績を残した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「シュレーダー」の解説

シュレーダー

生年月日:1910年9月11日
西ドイツの政治家
1989年没

シュレーダー

生年月日:1744年11月3日
ドイツの俳優
1816年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android