フランスの文学者。パリの町人の家に生まれ,ボーベ学院に学んだのちカステルジャルー親衛中隊に入り,幾多の決闘で勇名を轟かせたが,ムーゾン(1639),アラス(1640)の攻略で重傷を負って軍籍を退いた。その後は哲学に関心をもち,ガッサンディや,懐疑派の自由思想家ラ・モト・ル・バイエに学んだといわれるが,また同時にスカロン,シャペル,モリエールなど自由思想的傾向をもつ文人とも交わって,放蕩無頼の文筆生活をはじめた。フロンドの乱(1648-53)がはじまると《失脚宰相》(1649)など7編の〈マザリナード〉(宰相マザラン攻撃の詩文)を発表したが,1651年には一転して《フロンド派に反対する手紙》を書いた。54年に奇抜な比喩を多用した,想像力あふれる書簡集や,モリエールに多くの影響をあたえたといわれる散文喜劇《かつがれた衒学者》を含む最初の《作品集》を刊行し,またきわめて力強い5幕韻文の悲劇《アグリッピーヌの死》を発表したが,その翌年パリ近郊で没した。
代表作《別世界または月世界諸国諸帝国》(1657),《太陽諸国諸帝国》(1662)が出版されたのはその死後のことであり,さらに20世紀になって前者の未削除手写本が刊行されるに及んで,重要な自由思想家としての相貌がようやく明らかになるにいたった。すなわち,この遺作の日月両世界旅行記は,SF(空想科学小説)めいた枠組みや17世紀の〈滑稽(こつけい)物語〉の体裁をとりながらも,その中に盛られたものは,家父長制社会やキリスト教の禁欲道徳の批判,天動説とこれに支えられた人間中心主義の破壊,キリスト教の主要な教理である神の摂理や霊魂不滅などの否定である。またその中で強調されているのは,〈巨大な動物〉である大宇宙の隅々まで同じ一つの生命の火が貫流し,無生物,動植物さらには人間までも形づくるとするダイナミックなアニミズム的唯物論なのである。なお彼を鼻の大きい義俠の剣士に仕立て上げたE.ロスタンの傑作《シラノ・ド・ベルジュラック》(1897)は日本でもひろく知られている。
執筆者:赤木 昭三
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フランスの劇作家エドモン・ロスタンの五幕韻文戯曲。1897年、コクラン主演、パリのポルト・サン・マルタン座で初演されて大好評を博し、以来世界各国で上演されている。
時代は1640年、軍の幹部候補生の豪傑で大鼻の醜男シラノが劇場で武勇と反骨を発揮し権力に反抗する。その彼が、ひそかに恋する従妹(いとこ)ロクサーヌと菓子屋で会見、幹候隊の新人、美男のクリスチャンとの恋の仲介を頼まれて引き受けるはめになる。シラノは、無器用な色男に粋(いき)な文句を吹き込んで2人の密会を成功させる。彼女はシラノが代筆した手紙に感動し戦場へくるが、クリスチャンは戦死する。第5幕はその15年後。シラノは尼僧院に隠棲(いんせい)した彼女を毎週訪ねて慰めているが、その日、敵の陰謀に傷つきながらも定刻に現れ、ロクサーヌがことばの端に真相を見抜いたときは遅く、息を引き取る。実在した主人公シラノの心意気、詩才、博識、武勇を極端化してロマン的英雄を創造し、いまなお愛唱されている名文句が多い。
日本にも早くから知られ、1926年(大正15)1月、額田六福(ぬかだろっぷく)翻案の『白野弁十郎』として新国劇の沢田正二郎が初演。翻訳台本による本格的上演は52年(昭和27)文学座により行われた。
[岩瀬 孝]
『『シラノ・ド・ベルジュラック』(辰野隆・鈴木信太郎訳・岩波文庫/岩瀬孝訳・旺文社文庫)』
フランスの文学者。パリの小貴族の家に生まれ、軍隊に入るが、アラスの攻囲戦(1640)で重傷を負い退役する。哲学者ガッサンディの講義に列し、自由思想家(リベルタン)たちと交わる。作品としては、悲劇『アグリピーヌの死』(1654)、モリエールに想を与えたといわれる『衒学者愚弄(げんがくしゃぐろう)』(1654)、トマス・モア流のユートピア小説『月世界旅行記』(1657)および『太陽世界旅行記』(1662)のほか、フロンドの乱の際の、宰相マザラン誹謗(ひぼう)文書などがある。
なお彼の実像は、エドモン・ロスタンの韻文劇『シラノ・ド・ベルジュラック』(1897)によって、巨大な鼻の魁偉(かいい)な風貌(ふうぼう)のなかに、繊細な詩魂を秘めた心優しい剣客として多分に伝説化された。
[渡邊明正]
『有永弘人訳『日月両世界旅行記1・2』(岩波文庫)』
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…パリの高校を卒業後ただちに文芸批評と劇作を試み,1894年にユゴーの影響を受けた詩劇《ロマネスク》がコメディ・フランセーズで上演され,その抒情性が自然主義演劇の陰と象徴主義演劇の難解にあきた観客に新鮮な驚きを与える。次いで97年12月にポルト・サンマルタン座で名優コクランによって初演された5幕韻文劇《シラノ・ド・ベルジュラック》はその擬古典的な名せりふと巧みな劇作術と愛国心をくすぐる題材とによって空前の大当りをとり,フランス随一の劇作家と見なされるに至る。次いで1900年にナポレオンの遺児を主人公にした《鷲の子》がサラ・ベルナールによって上演され好評を得るが,1910年コメディ・フランセーズ上演の《雄鶏》は俳優がすべて鳥や家畜に扮するという奇抜な着想にもかかわらず失敗に終わる。…
…まず17世紀初めに詩人ビヨーは16世紀のイタリア・ルネサンス思想の影響の下に,同じ一つの宇宙霊魂が物質と結合して人間をはじめ万物を形成するというアニミズム的宇宙論を展開して個々の人間の霊魂の不死を否定し,また神の摂理をも否定して星辰すなわち宿命,必然にもてあそばれる人間のペシミズムを歌った。このルネサンス思想はその後詩人トリスタン・レルミットTristan L’Hermiteや,〈リベルタンの王〉デ・バローJ.V.Des Barreauxを経て世紀中ごろのシラノ・ド・ベルジュラックにまで影響を与えたが,シラノはまた近代科学の地動説,ガッサンディの原子論,デカルトの自然学など新しい要素をも加えて神なき唯物論のさまざまな形態を模索した。17世紀前半には,この流れとは別に,モンテーニュやシャロンの影響をうけた人文学者リベルタン,たとえば懐疑主義者のラ・モト・ル・バイエF.de La Mothe le Vayerや批判的合理主義者ノーデG.Naudéらがいて,宗教は人間の無知や恐怖から生まれた迷妄であり,またつねに為政者による人民統治の道具に利用されたとする宗教批判を展開した。…
… 鼻の形の分類には,狭鼻,中鼻,広鼻,あるいは直鼻,ローマ鼻,ユダヤ鼻,波状鼻,しし鼻,低鼻など,いろいろある。鼻が大きすぎると,シラノ・ド・ベルジュラックやゴーゴリの《鼻》の主人公のように醜いとされる。これは芥川竜之介の《鼻》の種本の《今昔物語集》や《宇治拾遺物語》の中の禅智内供(ないぐ)または禅珍内供のような長い鼻の場合も同じである。…
…知識の獲得,人知の向上はユートピアの必須条件とされているかのようだ。J.ハリントン《オシアナ共和国》(1656),シラノ・ド・ベルジュラック《別世界または月世界諸国諸帝国》(1657),G.deフォアニ《南の未知の国》(1676)などの例をあげられるが,いずれも構想の奇抜さにもかかわらず,内容的にはひじょうに現実的である。 これにたいして第2の形式は,キリスト教的色彩の強いものである。…
※「シラノドベルジュラック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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