シンガー(Isaac Bashevis Singer)(読み)しんがー(英語表記)Isaac Bashevis Singer

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

シンガー(Isaac Bashevis Singer)
しんがー
Isaac Bashevis Singer
(1904―1991)

アメリカの小説家。ポーランドに生まれる。1935年渡米後、イディッシュ語で創作を続け、その作品がほとんど英訳されている特異な作家。主として過去のポーランドのユダヤ村落の歴史や庶民を描く。『ゴライの悪魔』(1955)、『ルブリンの魔術師』(1960)、『奴隷』(1962)は、ユダヤ社会の正統的、異端的生き方の葛藤(かっとう)と救済の問題を扱い、『モスカト家の人びと』(1950)、『領地』(1967)、『資産』(1969)の連作長編は、ユダヤ教本来の強い伝統意識と近代的啓蒙(けいもう)思想の相克のなかで動揺しながら生きてゆく多数のユダヤ人の実像を詳細に描く。ナチス迫害の悪夢から脱しきれない男の悲喜劇的状況を描いた『愛の迷路』(1972)、成人後も処女性を失わない純潔な女性に対する青年作家の献身を主題とする『ショシャ』(1978)、娼婦(しょうふ)の前歴をもつ一女性をめぐって展開する男女の愛欲図『ヤルメとカイレ』(1979)などは、いずれもヨーロッパとアメリカを舞台にした自伝的要素の濃い長編。ほかにユダヤ民話の語り口を活用して書かれた8冊の短編集、『愛を求める若者』(1978)など4冊の回想録、『恐怖宿屋』(1967)ほか多数の児童書がある。78年、ポーランド・ユダヤ人の文化伝統に根ざし、普遍的人間条件に生命をもたらした感動的物語の芸術に対してノーベル文学賞が授与された。

[邦高忠二]

短編

シンガーには、『ばかものギンペル』(1957)、『市場通りのスピノザ』(1961)、『短い金曜日』(1964)、『カフカの友人』(1970)のほか、4冊の英語版短編集がある。もとはイディッシュ語で書かれたこれらの諸作品は、平凡な庶民の通用語の土俗的特質や、ユダヤ民話の屈折した語り口が生かされていて、素朴と深遠の独自な融合を示す佳編が多い。

 描かれる人物像は、たとえば底抜けに純真で、世間の欺瞞(ぎまん)すら疑うことを知らぬお人よし(「ばかものギンペル」)、スピノザ哲学に没頭して現実生活から遊離してしまう学者(「市場通りのスピノザ」)、実生活では無能そのもののユダヤ社会の精神的指導者(「短い金曜日」)、悪霊に取り憑(つ)かれ固有の伝統から逸脱し破滅に至る男女、過去の苦難の体験から心に深い傷を負い、現実と非現実の区別もつかずちぐはぐの人生を送る不幸な男(「カフカの友人」)などである。

 シンガーはこうした作品を通じて、神と悪魔、聖と俗、賢と愚、理性と情念など相反する価値の併存する状況を設定し、一種の唐突感、怪奇性、エロティシズムの漂う独自の世界を描出した。同時に巧妙な寓話(ぐうわ)や風刺の手法を駆使して、特殊な環境を生きる人間像に読者の共感を誘う生き生きとした普遍性を与えた。

[邦高忠二]

『田内初義訳『愛の迷路』(1974・角川書店)』『邦高忠二訳『短かい金曜日』(1971・晶文社)』『工藤幸雄訳『まぬけなワルシャワ旅行』(岩波少年文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android