シーラカンス(読み)しーらかんす

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シーラカンス(建築事務所)
しーらかんす

建築事務所。1985年(昭和60)、東京大学原広司研究室の博士課程に在籍していた大学院生らがシーラカンス・アーキテクツとして活動をはじめ、86年伊藤恭行(やすゆき)(1959― )、工藤和美(1960― )、小泉雅生(まさお)(1963― )、小嶋一浩(かずひろ)(1958―2016)、堀場弘(1960― )、日色真帆(ひいろまほ)(1961― )により会社組織シーラカンス設立。1998年(平成10)に伊藤、小泉、小嶋と三瓶満真(さんぺいみつまさ)(1964― )、宇野享(とおる)(1963― )のパートナーシップによる「シーラカンス アンド アソシエイツ(C+A)」、そして工藤と堀場による「シーラカンスK&H」が設立され、初期シーラカンスの活動を拡張している。日色はC+A監査役。
 シーラカンスは現代都市が住人の多様なアクティビティを可能にするように多様な住み方を許容する建築をめざす。都市の多様性の分析から組み立てた計画論で、氷室アパートメント(1987、大阪府枚方(ひらかた)市。朝倉賞)や桜台アパートメント(1990、東京都練馬区。吉岡賞)などをデザインした。アドリブのようなランダムなかたちを許容する独自の計画論を進め、さらにコンピュータを用いたシミュレーションや、利用者とのワークショップの方法などを建築デザインへ広く適用した。既存の計画手法や建築プログラムによらない方法論によって数々の公開コンペで優勝し、集合住宅より規模が大きく、プログラムが複雑な公共建築、大阪国際平和センター(通称ピース大阪。1991、大阪市)、千葉市立打瀬(うたせ)小学校(1995)、ビッグハート出雲(1999、島根県)などを実現する。
 千葉市立打瀬小学校は小さな単位の空間が集まった、集落のような低層の建築である。ニュータウンの核になるコミュニティ施設としても機能するように、地域住民に開放され、新しい学校のあり方を示したとして1997年、日本建築学会賞作品賞受賞。ビッグハート出雲は駅前の広場につながるコミュニティ施設である。ホール、ギャラリー、スタジオ、レストランなど多様なプログラムをまとめ、内部と外部が入り組んで人の出会いやコミュニケーションを生む「ラジエター(暖房機)型」と名づけた形態に収めている。内部ではさまざまなボリュームがリズミカルにつながれ、利用者がさほど多くない時間帯でも、活気ある路地のような空間をつくり出している。
 シーラカンスはパートナーシップを組んだ複数の建築家が対等の立場で設計に当たってきた。そのため設計の各レベルの方法論を直観にたよらずに厳密に論理化し、語彙化することが必要であった。組織のあり方や意思決定方法は、クリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」(参加型都市計画・建築設計の方法論。家族、コミュニティ、都市などを家、都市、施工の三つのカテゴリー、253の「パタン」に分け、それを言語のように用いて説明する)の方法と同様で、それは一方で建築物の設計過程に住人や利用者が参加することも可能にしたのである。
 シーラカンスとしてのそのほかの代表的な作品には吉備(きび)高原幼稚園(1997、岡山県)、吉備高原小学校(1998)がある。
 その理論的展開の果てに、1998年を境にシーラカンスは一つの組織体であることを止めた。その後、C+Aは鴻巣(こうのす)市文化センター(通称クレアこうのす。2000、埼玉県)、宮城県迫桜(はくおう)高等学校(2001、宮城県栗原郡)など、K&Hは大阪市水上消防署(1998)、ベイステージ下田(2000、静岡県)、有田陶芸倶楽部(2000、福岡県)、奈良屋幼稚園(2000、福岡県)、福岡市立博多小学校・奈良屋公民館(2001)などを手がけている。[鈴木 明]
『ギャラリー・間企画・編集『シーラカンスJAM』(1997・TOTO出版) ▽「特集 シーラカンス 12年間の展開と次なる展開に向けて」(『SD』1998年7月号・鹿島出版会)』

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