ジブチ(英語表記)Djibouti

翻訳|Djibouti

世界大百科事典 第2版の解説

ジブチ【Djibouti】

正式名称=ジブチ共和国Jumhūrīya al‐Jibūtī∥Republic of Djibouti面積=2万3200km2人口(1996)=60万人首都=ジブチDjibouti(日本との時差=-6時間)主要言語=アラビア語,フランス語,アファル語,ソマリ語通貨=ジブチ・フランDjibouti Francアフリカ大陸北東部,紅海の出口のバーブ・アルマンデブ海峡の南側に位置し,いわゆる〈アフリカの角〉地域の一部を形成する小国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジブチ
Djibouti

正式名称 ジブチ共和国 République de Djibouti。旧称アファルイッサ Afars et Issas。
面積 2万3200km2
人口 87万2000(2014推計)。
首都 ジブチ

アフリカ大陸北東部の国。北はエリトリア,西,南はエチオピア,南東はソマリアと国境を接し,東はアデン湾紅海の接続点の海域に臨む。国土の大部分は火山性の台地で,アカシアなど低木類の生えた砂漠。中央部に海面下約 150mの低地とアッサル湖がある。気温は 10月~4月は 20~30℃,5~9月は 30~45℃。年降水量は沿岸部で 130mm,北部や山地で 380mm。内陸部は乾燥が激しく農業には適さない。住民はソマリ族とエチオピア系のアファル族が主で,国境を越えた部族間のつながりが強い。ほかにアラブ人やアフリカ人とヨーロッパ人の混血,フランス人などが居住する。ほとんどはヒツジ,ヤギ,ウシを主とする遊牧民で,イスラム教徒(→スンニー派)。公用語はフランス語アラビア語。1862年フランスオボクを占領。1888年フランス植民地ソマリランドとなり,イギリス領ソマリランドとの国境が定められた(→ソマリランド)。1946年フランス海外領に昇格,1956年自治権を得,1967年の住民投票で独立を拒否,フランス海外領にとどまることとなり,領土名をアファルイッサと改称。1977年5月の住民投票で独立を決定,同 1977年6月ジブチ共和国として独立。資源に乏しく,経済は,皮革,塩などを輸出するほか,ジブチとエチオピアのアジスアベバを結ぶ鉄道(1917完成)により,エチオピアの中継貿易,港湾業務など外港の役割を果たすことと寄港船舶の物資補給などに依存。

ジブチ
Djibouti

ジブチ共和国の首都港湾都市。同国南東部,アデン湾支湾のタジューラ湾南岸のサンゴ礁半島に位置。 1888年頃フランス人総督が港を建設したのが都市の起源。 1892年以後フランス領ソマリランドの首都で,独立に伴いジブチの首都となった。高温多湿で,年平均気温 29.5℃。最も暑い7月の平均気温は 35.8℃。エチオピアの首都アジスアベバへの鉄道の起点で,エチオピアの貿易量の大半を扱う。ほかに外洋船の補給港としても重要。精油所がある。人口 35万3801(2009)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジブチ
じぶち
Djibouti

アフリカ北東部、アデン湾(インド洋)と紅海を結ぶバベル・マンデブ海峡西岸に位置する小国。正称はジブチ共和国République de Djibouti。南東はソマリア、北はエリトリア、西、南はエチオピアと国境を接する。旧フランス海外領アファール・イッサで、1977年独立国となった。住民はソマリ系のイッサ人とエチオピア系のアファール人が国を二分しており、その対立が深刻な問題となっている。面積2万3000平方キロメートル、人口63万(2000推計)。首都ジブチ市。

[赤阪 賢]

自然

国土はアデン湾から深く入り込んだタジュラ湾を囲む山地からなり、アフリカ大地溝帯の中にあるため起伏が激しい。最高峰は北部国境にあるムーサ・アリ火山(2063メートル)。国の中央は低平な台地で、アサル湖は海面より低い。国土の大部分は砂漠や半砂漠の乾燥地帯で、植生は乏しい。年降水量は110~170ミリメートルと少ない。6月から9月は酷暑の季節で、平均30~40℃、10月から5月にかけては比較的に涼しいが、それでも25~30℃に及ぶ。

[赤阪 賢]

歴史

1859年スエズ運河の建設に着工したフランスは、62年スエズ航路の要衝であるこの地に進出し、タジュラ湾北岸のオボク、タジュラの両港をスルタン藩王から租借した。1888年にはタジュラ湾南岸に新しくジブチ港を建設し、これらをあわせて97年フランス領ソマリ海岸とよばれる植民地をつくった。ジブチ港は1869年のスエズ運河の開通とともに石炭補給港として発展、また、1917年にはジブチからエチオピアのアディス・アベバに達する鉄道が開通し、以後ジブチはエチオピアの外港の役割を果たすようになった。第二次世界大戦後の1947年、フランスの海外県となってフランス領ソマリランドと称し、56年には自治政府を樹立した。イッサ人はソマリ人の統合を図る大ソマリア計画を支持し、フランスからの完全独立を主張したため、フランスとジブチ港からの鉄道輸送に頼るエチオピアはアファール人の自治政府を支持した。1958年および67年の住民投票ではフランス領にとどまることが決定され、67年7月にはフランス領アファール・イッサと改称した。70年代に入り、イッサ人のアフリカ人民独立連合(LPAI)とアファール人の独立民族連合(UNI)をはじめとする5政党が大同団結し、77年5月の住民投票で独立を決定、6月27日ジブチ共和国として独立を達成した。

[赤阪 賢]

政治・経済

初代大統領はイッサ人のハッサン・グレドが就任、「脱部族政策」を打ち出し、国を二分するイッサ、アファール両部族の均衡政策を政治の基本としている。1992年の複数政党制に基づく総選挙で進歩人民連合(RPP)が全議席を独占した。翌年の大統領選挙でグレド大統領が4選を果たした。また94年には、対立するアファール人の統一民主回復戦線(FRUD)とも和平合意が成立した。97年の総選挙では、RPPとFRUDの連立与党が全議席を獲得した。

 国土が乾燥地帯のため農業は不振で、オアシスや都市近郊での野菜栽培などにとどまる。住民の半数以上は、ウシ、ヒツジ、ヤギ、ラクダなどの牧畜に従事し、畜産物や皮革は輸出の重要産品の一つとなっている。1967年にスエズ運河が閉鎖されるまでは、ジブチ港の港湾収入が重要な位置を占めたが、75年の再開後も往時の勢いは戻らなかった。エチオピアへの鉄道輸送も、1977年から2年間エチオピアの内戦のため中断され、輸送収入が激減して大きな打撃を受けた。国民総生産(GNP)は4億4800万ドルで、1人当りでは780ドル(1995)である。輸出総額は1600万ドル、輸入総額は2億1900万ドル(1995)で、大幅な輸入超過となっている。貿易相手国は輸出はソマリアが42%、輸入はタイが15%(1995)を占める。日本からは、自動車、綿織物、タイヤなどを年間1745万ドル(1994)輸入している。

[赤阪 賢]

社会・文化

住民はイッサ人(60%)とアファール人(35%)で国を二分している。南部のイッサ人はソマリ系でソマリアにまたがって居住している。北部のアファール人はエチオピア北東部にまたがって居住し、エチオピアではダナキル人とよばれている。両部族とも牧畜民であり、ラクダ、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ロバなどの家畜を飼育している。しかしイッサ人はジブチなどの都市人口の大半を占める。ともにスンニー派のイスラム教徒である。ほかにアラブ人やフランス人も居住する。

 公用語はアラビア語であるが、ほかにおもな言語として、アファール語、ソマリ語、フランス語が用いられている。宗教はイスラム教徒が大部分であるが、カトリック教徒も約2万2000人居住している。教育は公立初等学校2万7844人、同中等学校6892人、技術学校1074人(1989)の児童・生徒がいる。テレビ台数は1万7000台(1993)、乗用車は1万3300台(1993)となっている。

[赤阪 賢]


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精選版 日本国語大辞典の解説

ジブチ

(Djibouti) ジブチ共和国の首都。アデン湾支湾のタジューラ湾に面する海港都市。一八八八年、フランスがスエズ航路の拠点として建設。エチオピア鉄道の起点。畜産物、コーヒーなどを輸出。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

ジブチ
Djibouti

アフリカ大陸北東部,アデン湾に面する共和国。首都ジブチ
1863年フランスの植民地となり,第二次世界大戦後の1947年,フランス海外領ソマリランドとなった。1967年自治制に移行し,国名をアファール−イッサと改称。1975年12月フランスにより独立承認の原則が確認されたのにもとづき,77年6月,ジブチ共和国として独立(アフリカ大陸で49番目の独立国)した。初代大統領にはハッサングールド就任

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