ジブチ(英語表記)Djibouti

翻訳|Djibouti

精選版 日本国語大辞典 「ジブチ」の意味・読み・例文・類語

ジブチ

  1. ( Djibouti ) ジブチ共和国首都アデン湾支湾のタジューラ湾に面する海港都市。一八八八年、フランスがスエズ航路の拠点として建設。エチオピア鉄道の起点畜産物コーヒーなどを輸出。

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改訂新版 世界大百科事典 「ジブチ」の意味・わかりやすい解説

ジブチ
Djibouti

基本情報
正式名称=ジブチ共和国al-Jumhūrīya al-Jibūtī, Republic of Djibouti 
面積=2万3200km2 
人口(2010)=82万人 
首都=ジブチDjibouti(日本との時差=-6時間) 
主要言語=アラビア語,フランス語,アファル語ソマリ語 
通貨=ジブチ・フランDjibouti Franc

アフリカ大陸北東部,紅海の出口のバーブ・アルマンデブ海峡の南側に位置し,いわゆる〈アフリカの角〉地域の一部を形成する小国。旧フランス領アファル・イッサAfars et Issasで,1977年にジブチ共和国として独立した。総人口の過半が国名と同じ名称をもつ首都ジブチに集中している。
執筆者:

国土はタジュラ湾をとりまき,アフリカ大地溝帯内に含まれ,起伏は激しい。凹所には湖面標高が海面下174mのアッサル湖やアッベ湖などをもち,高所ではテーブル状,階段状の地形が目だつ。最高点は北部国境にあるムッサ・アリ山の2063m。北緯12°線にまたがる国土は,熱帯乾燥気候下にあり,海に面しながらその恩恵をあまり受けてはいない。低地部では,月平均気温は25~34℃,平均年降水量は150mm以下,10~4月は比較的しのぎやすい雨季であるが,ハムシンと呼ばれる北寄りの熱風の吹く5~10月は暑さも乾燥度もきびしい。地形性降水にやや恵まれる1000m以上の高所の一部に,ネズ,マキなどの疎林がみられるが,1000m以下の低所では,アカシア,ユーフォルビアのまばらなブッシュが卓越し,雨季にのみ水の流れるワジ沿いにこれらは密度を増し,タマリクスなどを交える。
執筆者:

北部のクシ系のアファル族Afarと,南部のソマリ系のイッサ族Issaが住民構成を二分しているが,アラブ,ヨーロッパ人も居住している。本来,遊牧民のアファル族はエチオピア北東部に,またイッサ族はソマリアに,それぞれまたがって居住している。首都ジブチの住民の大部分はイッサ族からなっている。アファル族はラクダ,羊,ヤギの遊牧を行い,貴族,平民の階層に分かれる。戦闘的な民として,イスラム化しており,歴史的にはタジュラとアウサというスルタン藩王国を形成していた。独立への経過の中でアファル族とイッサ族は反目をつづけた。現在はエチオピアのオガデン地方の戦乱を避けて3万人もの難民が流入してきている。言語はアラビア語が公用語で,アファル語,ソマリ語のほかにフランス語も使用される。宗教は住民の大部分がイスラム教徒である。
執筆者:

フランスはスエズ運河の建設が開始された1859年にタジュラ湾北岸のオボック港を租借して以来,しだいに周辺へと勢力を拡大し,96年にはその勢力圏を正式にフランス領ソマリ海岸Côte française des Somalisとして植民地化した。また1888年ころにタジュラ湾南岸に新しい港町ジブチを開き,植民地の主都を置くなど,関心を新港へと移していった。1917年にジブチ港とエチオピアのアジス・アベバを結ぶ鉄道の建設が完成して以後は,エチオピアの海港としての役割も加わったため,フランス領ソマリ海岸の重要性はさらに大きくなった。第2次世界大戦後のナショナリズムの高まりと制度改革によって,フランス領を含むアフリカ植民地がしだいにその地位を改善し,1950年代末期から60年代初期にはアフリカの独立の時代が到来したが,フランス領ソマリ海岸はフランスの海外県のままであった。それは人口の約半数を占めるソマリ系のイッサ族が隣国ソマリア(1960独立)の影響もあってソマリ海岸の独立を目ざしたにもかかわらず,同じく人口の約半数を占めるエチオピア系のアファル族が,エチオピアのひそかな要望もあって,都市人口の多くを占めるイッサ族主導の独立を忌避したからである。両民族を比較すれば,イッサ族のほうが概して都市化が進んでおり,政治の主導権はイッサ族が握っていた。

 フランス領ソマリ海岸の将来を決定する1967年の住民投票で,〈引き続きフランス領であること〉を選択したのを契機にアファル族の政治的台頭が目だちはじめた。なお同年フランス領ソマリ海岸の名称をアファル・イッサに変更した。68年の議会選挙ではアファル族の指導者アリ・アレフを党首とする進歩党が圧勝した。その後ソマリアからの移住者が増大するなかで,イッサ族を基盤とする独立アフリカ人民連盟(LPAI)が勢力を伸ばしはじめ,独立を強く要求した。また非合法政党であるソマリ海岸解放戦線(FLCS)も独立要求を掲げて暴力的闘争を展開した。こうした内部的圧力に加えて,アフリカ統一機構(OAU)などの外からの圧力もしだいに強まった結果,フランスは70年代半ばにいたって方針を変え,独立の賦与と両民族の融和を考えはじめた。こうした状況のなかで,77年6月にイッサ族のLPAIを中心にアファル族の政党をも含む5政党が大同団結して連合政府,独立人民集合(RPI)を結成し,ジブチ共和国の独立をみた。

ジブチの政治はイッサ族とアファル族の勢力のバランスに依存しており,したがって,隣国エチオピアとソマリアの長年にわたる紛争もジブチの政治の安定性を脅かしてきた。初代大統領にはイッサ族のハッサン・グレド・アプティドンが就任し,独立時における一院制の議会の議席配分は,イッサ族33,アファル族30,アラブ2と割りふられた。その後政党は81年10月にLPAIの後継政党である進歩人民集会(RPP)の一党体制へ移行した。グレド大統領は87年4月の選挙では唯一の候補者として臨み,3選された。91年4月にアファル族を基盤に結成された統一民主回復戦線(FRUD)は北部で政府軍と戦闘を繰り返し,92年9月の新憲法による複数政党制導入ののち12月に実施された民主選挙もボイコットしたためRPPが全議席を独占した。93年5月の大統領選挙でグレドが4選された。95年末,FRUDはそれに先立つ穏健派と政府の和平合意により合法化された。グレド政権はエチオピア,ソマリア両国との友好関係を外交上の柱としている。また,サウジアラビアとの関係も深いが,同時にフランスとの結びつきも強く,軍事協定に基づいてフランスの海軍基地が置かれている。

 この国の経済はエチオピアと鉄道によって結ばれている関係もあり,ジブチ港の関税収入等への依存度が高い。
執筆者:


ジブチ[市]
Djibouti

アフリカ北東部,アデン湾に面したジブチ共和国の首都で,港湾都市でもある。人口35万(2005)。この都市の重要性はアデン湾と紅海を結ぶバーブ・アルマンデブ海峡を制する戦略的な立地条件にあることと,エチオピアの首都アジス・アベバに通ずる鉄道の起点である点に求められる。国際空港も港湾とならんで重要である。造船,船舶修理,建設資材,食品加工,製塩などが主要な工業となっている。ラクダ市場など砂漠地帯にふさわしい経済活動もある。この港町は1888年ころフランスによって開かれ,96年にフランス領ソマリ海岸(1967年アファル・イッサと改称)の主都となった。
執筆者:

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジブチ」の解説

ジブチ
Djibouti

アフリカ北東岸,紅海の入口のバーブ・アルマンデブ海峡の南に位置する小国。19世紀後半スエズ運河建設以降フランスが進出し,1888年港市ジブチを建設。96年フランス領ソマリ海岸の拠点とし,1917年ジブチ‐アジス・アベバ間の鉄道を完成。67年領土名を主要2民族の名称,アファル・イッサに改称。解放闘争やアフリカ統一機構(OAU)の尽力の結果,77年ジブチ共和国として独立。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ジブチ」の解説

ジブチ
Djibouti

アフリカ大陸北東部,アデン湾に面する共和国。首都ジブチ
1863年フランスの植民地となり,第二次世界大戦後の1947年,フランス海外領ソマリランドとなった。1967年自治制に移行し,国名をアファール−イッサと改称。1975年12月フランスにより独立承認の原則が確認されたのにもとづき,77年6月,ジブチ共和国として独立(アフリカ大陸で49番目の独立国)した。初代大統領にはハッサン=グールドが就任。

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