ジャカルタ(その他表記)Jakarta

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デジタル大辞泉 「ジャカルタ」の意味・読み・例文・類語

ジャカルタ(Jakarta/Djakarta)

インドネシア共和国の首都。ジャワ島北西岸に位置する。オランダ領時代にはバタビアと称した。同国の政治・商業・文化の中心地。人口、行政区882万(2005)。

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共同通信ニュース用語解説 「ジャカルタ」の解説

ジャカルタ

インドネシアの首都で政治・経済の中心。ジャワ島北西部に位置し、人口は約1032万人。16世紀末オランダ船が来航し、通商活動を開始。海港として発展し「バタビア」と呼ばれたが、日本軍が占領していた1942年「ジャカルタ」と改名した。インドネシアの在留邦人約1万8千人のうちジャカルタは約1万1千人。インドネシアに進出した約1200社の日系企業のうち、製造業や流通業などの多くがジャカルタに拠点を置いている。(共同)

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精選版 日本国語大辞典 「ジャカルタ」の意味・読み・例文・類語

ジャカルタ

  1. ( Jakarta ) インドネシア共和国の首都。ジャワ島北西岸、チウリン川河口にある。一六世紀以前にはスンダカラパと呼ばれていたが、一五二七年ジャヤカルタ(通称ジャカトラ)と改称。さらに一六一九年にオランダがインドネシアを支配するとともにバタビアと改称された。一九四二年現在名となる。インドネシア最大の貿易港。

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改訂新版 世界大百科事典 「ジャカルタ」の意味・わかりやすい解説

ジャカルタ
Jakarta

インドネシア共和国の首都。ジャワ島北西部海岸,チリウン河口に位置する。オランダ植民地時代の旧名はバタビアBatavia。首都特別州を形成し,面積590km2,人口1230万(2003)。市街は,チリウン川に沿い,南北十数kmにわたって細長く延びている。標高は低く,市の中央部で8mほどである。年平均気温27℃,年較差約1℃で,平均気温は年間を通してほとんど変わらない。平均年降水量は1755mmで,その2/3は12~4月の雨季に集中し,湿度も高い。

 この地から石碑や青銅器が発見されており,古い時代から人々が住み,6~7世紀のタルマ国の外港を形成していたと想定される。しかし歴史書などに登場するのは16世紀以降で,当時西ジャワに栄えたパジャジャラン王国の外港をなし,スンダ・クラパSunda Kelapaの名で知られるにいたった。ここからコショウ,米,野菜,家畜などがマラッカへ輸出されていたと,ポルトガル人トメ・ピレスは記している。1522年8月にポルトガル人が貿易の拠点とするため,パジャジャラン王国との間に条約を交わしたが,要塞が建設される前に,ファタヒラの率いるイスラム軍が攻略してポルトガル人を追放し,地名をジャヤカルタJayakarta(〈偉大なる勝利〉の意)と改めた。これは1527年6月22日のこととされており,現在,ジャカルタ市創立記念日と定められている。ジャヤカルタは,ジャカトラJacatra(日本ではジャガタラ)となまって世界に知られるようになり,王宮,広場,モスクが建設された。16世紀末にオランダ船が来航し,1617年以降は通商活動を開始した。19年にオランダとイギリスの東インド会社がジャカトラの支配をめぐって戦火を交えたが,5月にJ.P.クーンの率いるオランダ軍が勝利し,地名もバタビア(オランダ民族のラテン名バタウィに由来)と改められた。以降1942年に至るまで,バタビアはインドネシアにおけるオランダの政治・経済・軍事の中心として重要な機能を果たした。

 1619年以降,運河の開削,城壁,要塞,商館,住宅等の建設が繰り返し行われ,とくに1628年と29年にマタラム王スルタン・アグンがバタビアへの遠征に失敗してからは,町の拡大は著しく進んだ。町は運河に沿って南へ延びて現在のコタ地区が形成され,18世紀半ば以降はウェルテフレーデン地区(現在のジャカルタ中心部)に教会,広場,総督府,法学校,市庁舎が,また1877年から1917年にかけて東方のタンジュン・プリオクに新しい外港が建設された。さらに,南東方のメーステル・コルネリス地区(現在のジャティネガラ)に軍施設が設置されて町の外縁はいっそう拡大した。1873年に南約50kmのボゴールとの間に鉄道が,81年以降は市街電車が開通し,町の中心部には電信局,電話局,郵便局等が建設された。第2次大戦で日本軍が占領中の1942年,市名はジャカルタと改められた。独立後は首都としての機能が年ごとに強化され,各種の記念碑,軍官庁舎,ホテル,ビジネス街,高級住宅街区,スーパーマーケット,大学等の建築や,ハイウェーバイパス,空港,合弁企業の工場等の建設などが,とくに1960年代末から引き続いている。また政治,経済,文化の各方面にわたって,ジャカルタのはたす機能は,年ごとに肥大化しつつある。

 オランダ植民地時代に統治の中心,また海港として発達したため,住民の大部分は外来の居住者により構成され,他のジャワ都市のそれと異なる。ジャカルタ首都圏での出生者は全住民の半ばにすぎず,他はジャワ各地や各島嶼の出身者で占められ,また外国人系居住者も多く,住民全体がオラン・バタウィ(バタビア人)とよばれている。この外部からの人口の流入は今日も変わっていない。人口は17世紀に3万2000,1924年に28万2000であったが,48年に117万4000,53年に184万6000,63年に310万,70年に420万,75年に527万と第2次大戦後急激に増大し,都市としての社会施設がこれに追いつけなくなった。今も住民の60%は市内のカンポン(村)といわれる小住宅の密集区域に住み,電灯の普及率も20%ほどにすぎない。表通りの近代的都市の外観と裏通りの貧しい市民層の生活の対照は極端である。政府は無制限な人口流入を抑制しようとしているが,容易でない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャカルタ」の意味・わかりやすい解説

ジャカルタ
じゃかるた
Jakarta

インドネシアの首都。ジャワ島北西岸のチリウン川河口に位置する。オランダ植民地時代の旧名はバタビア。行政的にはジャカルタ首都圏に含まれる。人口約1022万6200(2001推計)、1042万8001(2018推計)。市街はチリウン川に沿い南北十数キロメートルにわたり細長く延びる。標高は一般に低く、中心部にある気象台でも8メートル。年平均気温は26.9℃、年較差は1.2℃にすぎない。また年降水量は1755ミリメートルで、その55%は12~3月の雨期に集中している。こうした点でジャカルタは風土的に不健康地といわれてきた。

 市街は17世紀初めからオランダの植民地統治の中心とされたため、その影響を強く受けている。当時の市街地は最北部のコタ地区で、海岸近くにはバタビア城の遺跡も残り、運河に沿ってオランダ風の古い石造りの建物が並ぶ。東インド会社の史料を蔵する古文書館、ジャカルタ博物館(旧バタビア博物館)もこの地区にある。その南は19世紀の初めから造成された市街地で、ムルデカ(独立)広場を中心とし、いまもインドネシアの政治、文化の中核をなしている。大統領官邸、各種官庁、外国公館をはじめ、広場の西には東南アジア屈指の学術施設である中央博物館がある。広場の北側にはショッピングセンターのパサール・バル、南側は近代的住宅地が広がり、学校や病院も多い。さらに南方のクバヨラン地区は高級住宅地として発展しつつある。工場は第二次世界大戦前から多少建設されていたが、戦後はかなり増加し、その種類も増えた。しかしなおその大部分は軽工業で、規模もあまり大きくない。

 植民都市として発展し、また海港として外部との接触も多かったため、ジャカルタの住民は多くの外来居住者により構成される。ジャカルタ首都圏の出身者は全体の半数ほどで、ほかはジャワ島各地の諸民族、インドネシア諸群島各地の出身者で占められる。さらに外国人としては中国人、アラブ人、インド人、欧米人、日本人が含まれる。第二次世界大戦中の人口は約85万程度であったが、戦後の増加が急激なため都市としての社会施設がこれに追い付けず、多数の失業者ないし潜在的失業者を抱えている。このため市内各地に、なお多くの不法占拠者やスラム地区が生まれ、政府は1970年から無制限なジャカルタへの人口流入を抑制する方針を打ち出したが、その解決は容易でない。かつての市民の足であったベチャ(輪タク)は都心から追放されてバスや小型自動三輪車にかわったが、美しい近代的都市の外観と内実的に貧困な市民層の対照はまだ極端なものがある。表通りはネオンがきらめいても、裏通り(市民の大部分はその生活者である)では依然として照明は灯油に頼っている。水道も市民の50%しか利用できない。このアンバランスをいかに克服するかが今後のジャカルタの都市発展の鍵(かぎ)であろう。なお市の北東8キロメートルに全国の貨物輸出入量の60%を占めるタンジュンプリオク港、北西にスカルノ・ハッタ国際空港がある。

[別技篤彦]

歴史

16世紀初めころから、パジャジャラン国の貿易港スンダ・カラパとして知られ、胡椒(こしょう)の取引が盛んであったが、1527年、フアタヒラー(後のスナン・グヌン・ジャティ、バンテン王国の始祖)に占領され、ジャヤカルタ(勝利の町、詰まってジャカルタ)と改称された。日本では訛(なま)ってジャガタラといった。16世紀末、オランダ人が来航して商館を建て、1619年オランダ東インド総督クーンは、東洋経略の根拠地としてバタビアと改めた(1621公認)。その後オランダ人勢力の発展に伴い、市街は繁栄していったが、第二次世界大戦中の1942年、日本軍政が行われたとき以後、ジャカルタの旧名に復した。

[中村孝志]

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百科事典マイペディア 「ジャカルタ」の意味・わかりやすい解説

ジャカルタ

インドネシアの首都。旧名バタビアBatavia。ジャワ島北西岸,チリウン川河口に位置,北部に外港タンジョンプリオクをもつ。海岸に近い下町(商業街)とそれから離れた新市街(官庁,学校,住宅街)に分かれる。商業都市として重要であるが,工業は小規模で,繊維,造船など。大学(1950年創立),歴史館,古文書館,博物館があり,バタビア城をはじめ史跡も多い。もとスンダ・クラパと呼ばれた小集落であったが,1619年以後オランダ東インド会社の基地として発展し,バタビアと称された。第2次大戦では日本が占領,その間の1942年ジャカルタと改称された。独立後,都市機能が肥大化し,地方・島嶼部の人口が大量に流入してアジア最大の都市となった。しかし住宅など社会施設が整わず,深刻な都市問題を抱える。東南アジア諸国連合(ASEAN)の事務局がおかれている。日本では江戸時代にジャガタラと呼んだ。960万7787人(2010)。(図)
→関連項目インドネシアジャガタラ文バタビアマタラムモナス

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジャカルタ」の解説

ジャカルタ
Jakarta

ジャワ島西部に位置するインドネシア共和国の首都。チリウン川河口の港町スンダ・クラパが前身で,バンテン王国の支配下でジャヤカルタ(略称ジャカルタ)と呼ばれた。その後この地に拠点を構えたオランダが,1619年バタヴィアと改名。以来オランダ東インド会社のアジアにおける拠点となり,会社解散後はオランダ領東インドの中心地となった。人口は1930年で43万5000人を数えた。1942年3月の日本軍政の開始とともにバタヴィアからジャカルタへと改名された。その後インドネシアの独立とともにジャカルタが首都名となり,現在に至っている。現在人口900万余をかかえるインドネシア最大の都市で,同国の政治,経済,文化の中心地である。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ジャカルタ」の解説

ジャカルタ

インドネシアのジャワ島西部の港市。オランダはヤカトラ,日本ではジャガタラとよんだが,1619年オランダ東インド会社の支配下に入り,バタビアと改称,アジア貿易の基地となった。39年日蘭混血児が日本からこの地に追放され,鎖国時代にはここからオランダ船が長崎に来航した。19世紀以降はオランダ領東インドの政庁がおかれて近代都市に発展。太平洋戦争中,1942年(昭和17)から日本軍が占領。軍政下に入り,市名をジャカルタの旧称に復した。現在,インドネシア共和国の首都。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ジャカルタ」の解説

ジャカルタ
Jacarta

インドネシア共和国の首都
16世紀初めごろから貿易港スンダ−カラパとして知られ,1527年ごろバンテン王国が占領してジャカルタと改め,これをなまってヨーロッパ人や日本人がジャガタラと呼んだ。1611年オランダが商館を建設し,東アジア経営の根拠地とした。ついで東インド会社がバタヴィアと改名。第二次世界大戦中の1942年,日本による軍政が行われて以降,ジャカルタの旧名に復した。

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世界大百科事典(旧版)内のジャカルタの言及

【オランダ領東インド】より

…やがて東インドに来航する船は激増し,各地の航海会社間の競争を解消するために,1602年にオランダ東インド会社が設立された。バンテン王国の藩属国ジャカルタは良港であったため,イギリス,オランダ両国の争奪の的となり,イギリス・バンテン連合軍はオランダの要塞を19年に包囲したが,第4代オランダ東インド総督J.P.クーンはこれを守り通し,正式にこの地をバンテン王から譲り受けてバタビアと改称した。クーンはモルッカ諸島の香辛料貿易にも進出し,バンダ諸島の原住民を殺したり移住させたりしてニクズクの収穫をほとんど独占した。…

※「ジャカルタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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