ジャクソニアンデモクラシー(その他表記)Jacksonian Democracy

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ジャクソニアン・デモクラシー
Jacksonian Democracy

アメリカ合衆国第7代大統領A.ジャクソン(在職1829-37)の時代の〈民主的な〉改革運動を総括する概念。第2次英米戦争(1812-14)後,産業革命と西部開拓の進展により人口の急激な流動化が起こり,各地方の名望家支配が動揺し始め,民衆運動や民衆扇動が全国的に展開された。1820年代から40年代にかけて,労働組合運動,勤労者党の運動,反メーソン運動,奴隷解放運動,第2次信仰復興運動,選挙権拡大を要求するロード・アイランド州のドアの乱(1842),ニューヨーク州の地代反対一揆(1839-46)等が噴出した。この間,白人男子普通選挙制が諸州に普及し,政党運営の形式も閉鎖的なコーカス制から党大会(コンベンション)制へと移行した。しかしこれらの諸動向は,ジャクソン派の政治からは独立したものであり,しばしばそれと対立関係にあった。しかもジャクソンは史上初めて連邦軍をスト弾圧に動員し,大規模なインディアン強制移住の先例をもつくった。さらに,彼の最も強固な支持基盤は奴隷制南部にあった。彼の第二合衆国銀行の打倒も,かつては東部の金権勢力に対する人民の勝利として謳歌されたが,むしろそれは奴隷主階級の主張する州権論と,会社設立の自由化を要求する北部の新興企業家の反独占論とを架橋せんとするものであった。確かにジャクソン派(民主党)は敵のホイッグ党と競合しながら,民衆の支配というレトリックをアメリカ政治に定着させ,庶民の政界進出の機会を拡大させた。しかしその結果生まれたものは,猟官制度であり,国務長官から村の郵便局長に至る公職地位利権投機を追求する職業政治家集団の政治支配であった。ジャクソン時代における階級間の流動性の低さと貧富の差の拡大傾向も,近年指摘されている。

 ジャクソニアン・デモクラシーという概念は,世紀転換期ころより永らく歴史叙述に定着してきたが,1960年以降,その歴史学上の概念としての有効性が疑問視されるようになっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ジャクソニアン・デモクラシー
じゃくそにあんでもくらしー
Jacksonian Democracy

アメリカ合衆国第7代大統領ジャクソンの民主的業績を評価し、彼の時代の改革運動を総括する概念。1820年代から40年代にかけてのいわゆる「ジャクソン時代」に、産業革命と西部開拓の進展によって人口が急激に流動化し、名望家支配が動揺して民衆運動ないし民衆扇動が各地で展開した。とくに北部では、労働組合運動、勤労者党の運動、フリーメーソン追放運動、奴隷解放運動、第二次信仰復興運動、ロード・アイランド州の選挙権拡大を求めるドアーの乱(1842)、ニューヨーク州地代反対一揆(いっき)などが続発した。この間、白人男子普通選挙制が諸州に普及し、政党運営もコーカス(議員集会)制から党大会制へと移行した。しかし、これらの動きはジャクソン政治の成果ではなく、むしろ彼が対応を迫られた対抗勢力ないし政治的与件であった。ジャクソン自身のもっとも強固な政治的基盤は南部の奴隷主階級にあったし、彼はインディアンの強制移住や労働運動の武力弾圧の先例をもつくった。さらに反独占の名の下に強行された合衆国銀行打倒政策も、結局ウォール街の大銀行の協力を得て遂行されたのである。したがって、「ジャクソン民主主義」という概念は、1950年代までは確固とした通説の地位を保っていたが、以後その概念構成が疑問視されるようになり、今日のアメリカの歴史学界ではこの用語を避ける歴史家が多くなっている。

[安武秀岳]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ジャクソニアン・デモクラシー
Jacksonian Democracy

アメリカの第7代大統領ジャクソンと第8代大統領ヴァンビューレンの執政期(1829~41年)における民主化の高まりをいう。白人男性普通選挙制が確立し,選挙民の意向をすばやく汲み上げようとする職業政治家の台頭した時代である。同時に自由黒人の選挙権剥奪や先住民の強制移住が行われ,女性の権利運動,禁酒運動,奴隷制反対運動など改革運動が盛り上がりをみせた時代でもある。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

ジャクソニアン−デモクラシー

ジャクソン

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世界大百科事典(旧版)内のジャクソニアンデモクラシーの言及

【民主主義】より

…《コモン・センス》(1776)を書いてアメリカ人に独立の意義を教えたイギリスの急進主義者T.ペインが,《人間の権利》(1791‐92)の中で,アメリカの代表制こそ,アテナイの民主主義を大規模社会で,しかもより完全に実現させた,まさに共和主義の真髄である,と手放しに賞賛できたのもこのためである。
[ジャクソニアン・デモクラシーとトックビル]
 19世紀に入りアメリカでは,〈共和主義の宮廷〉という言葉に象徴される東部共和主義文化の貴族主義化があり,これに対して,独立農民の立場から,アメリカの理念の再純化としてrepublican democracyまたはdemocracyが新たに唱えられ,1828年大統領選挙におけるA.ジャクソンの圧勝とともに,〈ジャクソニアン・デモクラシーJacksonian Democracy〉の時代を迎える。この時代に,宗教的立場のいかんを問わない白人成年男子普通選挙制が,従来の西部各州から全国に拡大され,参加と自治の原理がさらに確立された。…

【アメリカ合衆国】より

…連邦憲法では,選挙権は各州ごとに規定されることになっているが,一般的には西部諸州の方がより民主的であった。19世紀の30年代,ジャクソニアン・デモクラシーの時代には,ほぼ白人成年男子普通選挙制が全国的に認められ,南北戦争後黒人にも一応選挙権が与えられたが,90年代には南部諸州の憲法の改正により黒人は実質的に選挙権を剝奪された。女性参政権については1840年代より活発な運動が行われ,19世紀後半西部諸州でしだいに女性参政権が認められ,1916年の選挙では女性の連邦議会議員も出現しているが,20年に憲法第19修正で女性参政権が全国的に認められることとなった。…

【民主主義】より

…《コモン・センス》(1776)を書いてアメリカ人に独立の意義を教えたイギリスの急進主義者T.ペインが,《人間の権利》(1791‐92)の中で,アメリカの代表制こそ,アテナイの民主主義を大規模社会で,しかもより完全に実現させた,まさに共和主義の真髄である,と手放しに賞賛できたのもこのためである。
[ジャクソニアン・デモクラシーとトックビル]
 19世紀に入りアメリカでは,〈共和主義の宮廷〉という言葉に象徴される東部共和主義文化の貴族主義化があり,これに対して,独立農民の立場から,アメリカの理念の再純化としてrepublican democracyまたはdemocracyが新たに唱えられ,1828年大統領選挙におけるA.ジャクソンの圧勝とともに,〈ジャクソニアン・デモクラシーJacksonian Democracy〉の時代を迎える。この時代に,宗教的立場のいかんを問わない白人成年男子普通選挙制が,従来の西部各州から全国に拡大され,参加と自治の原理がさらに確立された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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