ジャーンシ(英語表記)Jhansi

デジタル大辞泉 「ジャーンシ」の意味・読み・例文・類語

ジャーンシ(Jhansi)

インド北部、ウッタルプラデシュ州都市。16世紀初頭に城郭都市が建設され、18世紀後半から19世紀半ばまでジャーンシ藩王国の都が置かれた。インド大反乱において、藩王国王妃軍勢を率いて英国兵と戦い、「インドのジャンヌ=ダルク」とよばれたことで知られる。ジャーンシー

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャーンシ」の意味・わかりやすい解説

ジャーンシ
Jhānsi

インド北部,ウッタルプラデーシュ州南西部の都市。ジャーンシ県の行政庁所在地。カーンプル南西約 210km,ビンディア山脈の北に続くブンデルカンド丘陵上,260mの地点に位置。 17世紀の初めムガル帝国の城塞が築かれ,18世紀中頃からマラータの勢力下に入り,1853年イギリス領となった。 57年のインド大反乱の中心地の一つで,このときジャーンシの藩王妃ラクシミー・バーイーが反英闘争の先頭に立った。州南部の政治上の中心であるとともに,マディヤプラデーシュ州北部にかけて広い商業圏をもち,鋼板圧延製粉綿工業,食品などの工業も盛ん。人口 30万 1304 (1991) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャーンシ」の意味・わかりやすい解説

ジャーンシ
じゃーんし
Jhānsi

インド北部、ウッタル・プラデシュ州南部の都市。人口38万3248、周辺部を含む人口46万3281(2001)。デカン高原ヒンドスタン平野接点に位置し、古くから交通の要地として発達した。1857年、「インドのジャンヌ・ダルク」として有名なジャーンシ藩王国の王妃がインドの大反乱(セポイの反乱)に加わってイギリスに対抗し、大量のイギリス兵をこの地で殺害したことは有名である。農産物集散、伝統工芸品、鉄道車両の製造、金属の圧延などの産業が行われる。

[中山晴美]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android