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ジョン[欠地王] ジョン

百科事典マイペディアの解説

ジョン[欠地王]【ジョン】

イングランド王(在位1199年―1216年)。ヘンリー2世の子。フランス国王フィリップ2世と戦ってフランス内領土の大半を失い,ローマ教皇インノケンティウス3世と争い破門されて屈服し,国内では重税を課すなど失政が多かった。
→関連項目ブービーヌの戦プランタジネット朝ヘンリー[3世]

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世界大百科事典 第2版の解説

ジョン[欠地王]【John the Lackland】

1167‐1216
イングランドのプランタジネット朝第3代の国王。在位1199‐1216年。ヘンリー2世の末息子で寵愛を受け,父のアイルランド遠征はジョンへの遺領のためであった。しかし,大陸には所領を与えられなかったので〈欠地王〉または〈失地王〉の異名があった。兄リチャード獅子心王の十字軍遠征で不在のとき,王の腹心でノルマンディー生れの行政長官ロンシャンの独断専横に対して,ジョンは諸侯とともに彼の罷免を要求し成功した(1191)。

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世界大百科事典内のジョン[欠地王]の言及

【プランタジネット朝】より

…帝国の政治的・文化的中心は大陸にあり,イングランドはその辺境にあってアンジュー家に王位と,また主君が大陸で活動するための人的・物的資源とを提供した。しかし大陸の所領はフランス王の家臣として領有していたので,ジョン(欠地)王(在位1199‐1216)の時代に封建法違反を理由にアキテーヌ侯領を除くすべてを没収され,王座はイングランドに定まっていった。他方エドワード1世(在位1272‐1307)はケルト人を主とするウェールズ,スコットランドを支配下におさめようとしたが,後者の征服は成らなかった。…

【マグナ・カルタ】より

…マグナ・カルタを論ずる際には,それが1215年の発布当時に有していた意義と,それ以後今日まで立憲政治の上で果たしてきた意義とを明確に区別する要がある。 マグナ・カルタは直接的には当時のイギリス国王ジョンの失政をきっかけにして発布された。すなわち,ジョンは父王,兄王から継承したフランス内の領土をフランス王に奪われ,一方では戦費調達のため財政改革をし,苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)を行った。…

※「ジョン[欠地王]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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