弦楽器。東アジアの琴・箏類(ロング・チター属)の一種。細長い胴の表面に水平に多数の弦を張り,柱(じ)を立てて調律したもの。1弦1音を原則とするが,弦を左手で押したり引いたりすることにより半音から1全音半くらい音高を上げ下げすることができる。柱を用いない琴(きん)とは異なるが,日本や朝鮮では,古くから〈琴〉の字をあてて箏類をもさすことがある。単に箏と称するもののほかに,同類の楽器として,中国の瑟(しつ),朝鮮の伽倻琴(かやきん),大箏(たいそう),牙箏(がそう),日本の和琴(わごん),モンゴルのシトク(ヤトク,ヤタグともいう),ベトナムのダン・チャンなどがあり,撥弦楽器が主流であるが,牙箏のように擦奏するものもある。
中国の箏は雅楽用でなくもっぱら俗楽に用いられてきた。箏は,戦国時代(前403-前221)に秦の将軍蒙恬(もうてん)が作ったという説があるが信ずるに足りない。しかし,秦で広く行われていたことから秦箏とも呼ばれ,中国大陸西部に興った秦と箏との関係は密接である。竹製の胴に5弦を張った打弦楽器である筑(ちく)から出たとする説もあり,伝説では秦人の兄弟(父子とも)が25弦の瑟をめぐって争い,12弦と13弦の二つの楽器に分けたために箏の文字があてられるようになったという。後漢時代(25-220)には中国の一部の地域で瑟に似た箏が用いられたといわれ,山東省出土の画像石に後世の箏の形に近い楽器が描かれていることから,このころより12弦,13弦の箏が用いられ始めたと考えることができる。12弦の箏は清楽(せいがく)(俗楽の一種)に用いられた。13弦の箏は前漢の理論家京房(きようぼう)が楽律の実験用に作った13弦の準(じゆん)に基づくとする説がある。三国時代,晋時代は12弦箏が一般的で,胴の長さは古尺の6尺(150cm),柱の高さは3寸(7.6cm)であった。唐代(618-907)に至り,清楽は12弦箏を用いたが,他は13弦箏を普通とした。
奏法には指で奏する搊(しゆう),骨製の爪(義甲)で奏する弾,弦を擦って鳴らす軋(あつ)があったというが,搊と弾の意味はかならずしも明確ではない。宋代(960-1279)になると12弦箏は用いられなくなる。唐・宋以来,13弦箏が宮廷宴饗楽に使われたが,明・清にはしだいに衰えた。その間に弦数が14~16弦と増加し,清代には14弦が宴饗楽に用いられた。近代の箏は,北方の13弦,15弦箏と,南方の16弦箏の二つの系統に大別される。清朝後期以後の箏は胴が小型になり,尾端上面に糸巻用の軸を垂直に挿しこみ,金属弦または絹弦を張る点で古制と異なる。この金属弦16弦箏は台湾で標準型となり,ベトナムにも入って,ダン・チャンと称する。また清代に中国からモンゴルに伝わった箏は尾端が下方に曲がっており,シトク,ヤトクなどと呼ばれている。
中国大陸では近年再び楽器が大型化し,21弦,25弦,26弦,44弦箏などが考案され,弦もスチール弦にナイロンを巻きつけたものを張ってやわらかい音色を出すくふうがされている。調弦は5音音階を基本とする。奏法は,右手の拇指,食指,中指を用いて弾じ,左手は柱の左側で弦を按じて音を高めたり,ビブラートやポルタメントなどの装飾音を生ずる。金属弦16弦箏は通常自分の爪で弾ずるが,ときには竹やべっこうの義爪を用いる。近年の多数弦の箏は,右手にプラスチックなどの義爪をつけて両手を用いたグリッサンドやトレモロ,重音奏法などを頻繁に行い,ハープ属のような旋律形態をも特徴とするようになった。
高麗時代睿宗(えいそう)9年(1114)に宋から伝わった15弦の大箏が,李朝末まで宮廷楽の唐楽に用いられた。大箏は中国,日本の箏と同型であるが,尾部で弦をそのまま巻きとめず,朝鮮の琴・箏類に共通したとめ方,すなわち,尾端で別の紐に弦を連結し,その紐をしめてとめる方式をとる。全長166cm,音域は2オクターブにわたり,5音音階に調弦する。
朝鮮の代表的な箏類である伽倻琴は12弦で,新羅で盛んであったことから日本に伝えられたものを新羅琴(しらぎごと)と称し,正倉院に保存されている。伽倻琴は,《三国史記》によれば,6世紀に伽倻国嘉実王が中国の箏を模して作り,楽人于勒(うろく)が12曲を作曲したという。新羅時代の土偶をみると,現在の正楽(広義の雅楽)用伽倻琴(風流伽倻琴または法琴ともいう)と同じ特徴,つまり胴の尾端に羊耳頭を備えている。正倉院の新羅琴も羊耳頭を有し,12弦であった。胴の造りは中国や日本の箏と異なり,裏板を付けずに1枚の板の裏をえぐって共鳴孔とする。伽倻国が滅亡した後,于勒が伽倻琴を携えて新羅に投じ,以後宮廷の宴饗楽として伽倻琴音楽が栄えた。新羅統一以後,伽倻琴は玄琴,琵琶とともに〈三絃〉と称する代表的弦楽器となり,〈三竹〉(大笒(たいきん),中笒,小笒)と称する縦笛や,拍板,大鼓といっしょに歌舞の伴奏に用いられた。高麗,李朝を通じて伽倻琴は代表的な郷楽(唐楽に対応するもので朝鮮固有の音楽)楽器として広く愛用されたが,とくに李朝中期から盛んになった芸術的声楽曲である〈歌曲〉では,玄琴とともに重要な伴奏楽器として用いられている。また,李朝後期以後歌詞を失って器楽化した《霊山会相》や《与民楽》などの器楽曲でも伽倻琴が活躍している。19世紀末より発達した民俗楽の〈散調(さんぢよう)〉はまず伽倻琴用の楽曲から始まった。民俗楽特有の速い楽句を奏する必要性から,伽倻琴はやや小型で胴の幅が狭くなり弦と弦の間も狭められた。胴は正楽用伽倻琴と異なり,裏板を付けた箱造となっている。正楽用は胴長167cm,幅33cm,散調用は胴長144.5cm,幅は頭部16cm,尾部22.5cm。いずれも絹の12弦を張り,尾部で各弦を青く染めた木綿の紐(染尾)に連結してとめる。木製の柱をたてて調律する。李朝中期には多数の調弦法があったが,現在は,正楽に平調,界面調,羽調(〈軍楽〉用)の3種,散調用には別の調弦法がある。ほかに,中国唐宋の軋箏(あつそう)が14世紀ころ朝鮮に伝来した牙箏がある。大箏よりやや小さく胴長157cm,絹の7弦を張り柱をたてて調律し,松脂を塗ったレンギョウの約90cmの細い棒で弦を擦って奏する。牙箏は高麗時代には唐楽にのみ用いられたが,李朝成宗ころより郷楽にも用いられるようになった。
奈良時代に中国の唐制13弦箏が伝えられたのが日本における箏の始まりであり,その後,箏の音楽に雅楽の箏,寺院歌謡の箏ないし筑紫箏(つくしごと),近世箏曲および沖縄箏曲という三つの流れが生じた。しかし,楽器の構造は基本的には三者同じで,大きな細長い胴と,その上に水平に張った13本の絹弦(近年はナイロン弦,テトロン弦もある)と,13個の柱より成り,右手の拇指,食指,中指に義爪をはめて弾ずる。中国唐代には尾部がやや下に曲がった箏もあったが,日本に伝えられた箏は,正倉院の残欠からもわかるように,まっすぐの胴を有する。奈良時代の箏は箱状の胴であったが,9世紀末には後世の箏と同じく一木造となった。箏の大きさは大小いろいろあるが,普通全長5~6.4尺(152~194cm)のものを用いる。各部の名称は竜の体になぞらえてつけられている。裏板の音穴などの細部の形や柱,爪,弦の太さは箏の種類,流派によって多少の相違がある。弦は演奏者の向こう側から手前に向かって一・二・三・四・五・六・七・八・九・十・斗(と)・為(い)・巾(きん)と呼ぶ。古くはその異名として,仁智礼義信文武斐闌商斗為巾とも称した。雅楽の箏では低音部には太い弦,高音部には細いものを用い,一~五を太緒,六~十を中緒,斗為巾を細緒ともいった。筑紫箏や近世箏曲では各弦同じ太さのものを用いる。
調弦法は,楽箏には平安時代に三調(壱越性調(いちこつせいちよう),大食調(たいしきちよう),平調(ひようぢよう)),三秘調(双調,水調,盤渉調(ばんしきちよう)),壱越調,黄鐘調(おうしきちよう),羽調,角調などがあった。そのうち初めにあげた三調がもっとも普及して,今日の雅楽の箏の基本的な調弦となっている。筑紫箏の調弦法は雅楽の箏のそれを移したものであり,原則として雅楽と同じ音階を用いる。近世箏曲の調弦法は,八橋検校(やつはしけんぎよう)が筑紫箏の調弦を陰音階によるものに改めたといわれている。初めはいわゆる平調子と雲井調子(実際は今日いう本雲井調子)の2種が用いられたが,のちにいろいろな調弦法がくふうされ,現在は多数の調弦法が用いられている。この現象は近代になって調弦法を基本的調弦に整理統合した中国や朝鮮の琴・箏類の場合と逆である。近世箏曲の調弦名称は,地域,流派により異同がある。そのほか,曲の途中で一時的に用いられる部分的変更による調弦には名称のないものが多い。
奏法は,雅楽では按座で,筑紫箏では立膝,近世箏曲では正座をして奏するが,生田流などでは角爪を用いるため爪の弦にあてる角度の関係で箏に対してやや斜めに座る。箏の雅楽の合奏における役割は,主として分散和音によって管楽器の旋律をリズム的に装飾することにあるため,一定の音型を右手のみで奏する。古くは左手に,〈推〉と〈取〉の2種の基本的な手法があって,音を高めたり,装飾的な技法を行ったりしたが,室町時代にすたれて現在は用いない。近世箏曲の手法は,左手法に,柱の左側で弦を押したり引いたりして,音高を変えるもの,装飾音を生ずるもの,などがあるほか,柱の右側の弦に左手の指を当てて騒音的効果を出すもののほかさまざまな奏法があり,近代以降左手で柱の右側を弾く奏法も発達した。右手法には,分散和音に属するもの,速いアルペッジョを奏するもの,和音を生ずるもの,グリッサンドを奏するもの,騒音を生ずるもの,音色に変化を生ずるもの,など種々の手法が発達しており,歌の伴奏のみならず,器楽独奏や合奏用の楽器としても用いられている。
箏は古くから記譜法が発達しており,雅楽では弦名と拍子を表す朱点を用いて奏法を記す楽譜がある。古いものでは《仁智要録》(12世紀末)や《類箏治要》(13世紀)が代表的。筑紫箏,近世箏曲では弦名を一つ一つ記して奏法を示し,これに拍子を表す何らかの記号を加えた記譜を普通とするが,奏法を文字で擬声的に書く場合もある。《琴曲抄》(1695)のように歌詞の右側に〈かけ爪〉などの主要奏法を部分的に記した簡単な記譜法から,《琴曲指譜》(1772)のように横線で拍節を表すもの,《箏曲大意抄》(1779)のように◎○印で拍節を示すものなど,種々の楽譜が考案された。現在では,弦名と拍節および手法を示す記号を記した横書きや縦書きの楽譜がいろいろとくふうされており,各弦の絶対音高が定められていないことから,五線譜のような表音記譜法より,弦名譜を中心とした奏法譜の方が通用している。
現代の箏には,主として新しい創作作品を演奏するために考案された弦数の多いものもある。代表的な多弦箏に,3代山勢松韻による〈二十一弦〉,越野栄松や中能島欣一による〈十五弦〉,宮城道雄の〈十七弦〉〈八十弦〉,宮下秀冽と宮下伸による〈三十弦〉,野坂恵子による〈二十弦〉(実際には21弦)などが発案されてきたほか,米川琴翁による13弦の低音用長箏などもある。これらによって音域を広げることができるほか,低音部専門に用いられたり,独奏楽器として用いられているものもある。
→箏曲
執筆者:三谷 陽子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東アジアのチター属長胴撥弦(はつげん)楽器。単に「箏」といわれるもの以外に、中国の瑟(しつ)、朝鮮の伽倻琴(かやきん)、日本の和琴(わごん)なども箏に類する。日本では近世以来、箏の別名を「琴(こと)」といったために琴(きん)と箏とは紛らわしいが、厳密には調弦用の柱(じ)のないものを琴(きん)、柱のあるものを箏として区別している。
[平山けい子]
箏は中国の戦国時代(前5~前3世紀)に侯国の一つ秦(しん)で生まれたといわれ、秦箏ともよばれた5弦の楽器であった。漢代、ことに後漢(ごかん)(25~220)には俗楽の一種である清楽(せいがく)用として12弦の箏があり、同じころか少し遅れて13弦の箏も現れる。続いて三国時代と晋(しん)代には12弦の箏が一般的であったが、唐代(618~907)では12弦を清楽に用い、その他は13弦が一般に用いられた。
日本へはこの13弦の箏が奈良時代に伝来して、雅楽の管絃(かんげん)の編成楽器として用いられた。これを楽箏(がくそう)という。その後、室町時代に雅楽と中国の七絃琴の音楽の影響下に、九州・久留米(くるめ)の善導寺(ぜんどうじ)において賢順(けんじゅん)(?―1636)が筑紫(つくし)流箏曲(筑紫箏(ごと))を確立した。これを母体として、江戸時代初期の八橋検校(やつはしけんぎょう)以降、近世箏曲(八橋流、生田(いくた)流、山田流(やまだりゅう)などのいわゆる俗箏(ぞくそう))が成立し、大発展を遂げた。さらに、大正時代、新箏曲の出現とともに、低音用の十七絃、十五絃、独奏楽器としての八十絃、三十絃、二十絃などの多弦箏がつくられた。
箏は使用される音楽の種類により、雅楽の楽箏、筑紫流箏曲の筑箏(ちくそう)、近世箏曲の俗箏、新箏曲の新箏と分類されるが、筑箏も含めて俗箏ということもあり、いずれも便宜的な名称にすぎない。現在では一般に箏または「こと」といえば、生田流や山田流で使用される箏をさす。それぞれの箏は、大まかな構造や形態はよく似ており、付属の柱や爪(つめ)に相違がある。
[平山けい子]
普通、箏を竜の体に例え、竜頭(りゅうとう)、竜腹(りゅうふく)、竜尾(りゅうび)などという。材質は、槽(そう)(胴)には桐(きり)、両端の装飾部と竜角(りゅうかく)、雲角(うんかく)には唐木を用い、象牙(ぞうげ)で飾ることもある。また、金蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)などを施した装飾のあるものもある。大きさはいろいろあり長さは一定しない。普通全長5~6.4尺(152~194センチメートル)くらいのものを用いる。幅は頭部で約25センチメートル、尾部はやや細くなっており、厚さは3~4センチメートルである。弦は絹製の13弦を平行に張り、頭部を右にして向こう側から順に一、二、三……十、斗(と)、為(い)、巾(きん)とよぶ。最近では、ナイロン、テトロンなどの化学繊維のものも用いられる。太さは箏の種類、流派、演奏者個人によって異なる。各弦の中間の胴面に可動の柱(琴柱(ことじ)、箏柱(ことじ))を立てて、その位置の調節により音の高さを定める。柱は、シタン、象牙、プラスチック製のものがある。
弾奏に用いる爪(琴爪(ことづめ))は、爪頭(つめがしら)と爪帯(爪袋ともいう)からなる。爪頭は、箏の種類、流派により形と大きさが異なり、楽箏用がもっとも小さく、筑紫箏、生田流、山田流の順に大きい。形は、生田流は現在では長方形で、角爪(かくづめ)とよぶ。山田流は楕円(だえん)形に近く、先端をややとがらせてある。これを丸爪(まるづめ)とよぶ。材質は、楽箏用は竹または獣骨や鹿(しか)の角など、俗箏用は象牙である。爪帯は楽箏用がもっとも太く猫皮製、俗箏では生田流のものがもっとも細く、革、布、紙などでつくる。
[平山けい子]
演奏者は箏の頭部を右にして座る。楽箏では安座し(あぐらをかき)、俗箏では正座する。なお、生田流だけが箏に向かって斜め、ほかは直角に座る。そして、琴爪を右手の親指、人差し指、中指にはめ、柱と竜角との間の竜角に近い箇所の弦を弾奏する。楽箏ではおもに右手は単音を奏したり、分散和音風な旋律型を奏する(閑掻(しずがき)、早掻(はやがき))。左手は、古くは臨時的な音を補うのに使われたが、室町末期に廃れ、現在では用いられない。俗箏では右手は五拍の分散和音風の旋律型を奏したり(かけ爪)、爪の裏を利用してグリッサンドを奏する(裏連(うられん))など、多種の手法がある。左手は、右手で弾奏する際に柱のやや左を押して調弦音よりも高い音を出したり(押し手)、余韻を消したり(消し)など、いろいろな装飾音的手法に使われる。また、明治以降には左手で弦を弾(はじ)くピチカート奏法も行われるようになった。
[平山けい子]
楽箏には、現在では平調(ひょうじょう)、黄鐘調(おうしきちょう)、盤渉調(ばんしきちょう)、壱越調(いちこっちょう)、双調(そうじょう)、大食調(たいしきちょう)の6種類がおもに用いられる。また、筑紫箏は楽箏の調弦法を用いる。しかし、俗箏は、八橋検校が筑紫箏から改革して陰音階による平調子(ひらじょうし)を考案したといわれ、その後、雲井調子(くもいじょうし)、中空調子(なかぞらじょうし)など、種々の調弦がくふうされた。しかし、その音高は絶対音ではなく、声の調子などにより変えるので、各弦間の音程だけが定められている。また、その名称は流派、地域によって異なり、同一名称でも違う調弦の場合も多い。さらに、曲によっては途中で柱を動かして調弦を変える場合もあり、名称がなくても実用されている調弦もかなりある。また明治以降、新しくくふうされ特定の名称をつけたものなど、非常に多種の調弦法がある。
[平山けい子]
『津田道子著『箏の基礎知識』(1983・音楽之友社)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…催馬楽,朗詠で用いるときには〈一竹(いつちく)〉または〈一本(一管)吹き〉といって,単音旋律を奏する。〈弾きもの〉のうち箏(そう)と琵琶は管絃,催馬楽で使われ(《輪台(りんだい)》《青海波》を除く舞楽では用いない),アクセントの効いた独特の音型で旋律線のリズム感を強調する。後世の俗箏,平家琵琶などと区別するため,とくに楽箏,楽琵琶ということがある。…
…中国の撥弦楽器,七弦琴ともいう。細長い胴面に水平に弦を張ったロング・チター属(琴・箏類)の代表的楽器。朝鮮,日本にも伝わった。…
※「箏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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