ドイツ生まれのアメリカの電気技術者。ブレスラウ大学で広範に、しかも集中的に勉学する一方、社会主義新聞『人民の声』誌の陰の編集者をつとめるなど社会主義運動に参加したため官憲に追われ、スイスを経由して1889年アメリカに渡った。そこで改名したが、元の名はKarl August Rudolf Steinmetz。電気機器などを製作していたアイケマイヤーRudolf Eickemeyer(1831―1895)の工場を経て1893年ゼネラル・エレクトリック社の顧問となり、スケネクタディの研究所を舞台に、電気機器の設計、水銀灯、避雷器、交流高圧送電機器など195に上る特許を得、また多数の論文を執筆、交流電気技術の確立に決定的な役割を果たした。なかでもヒステリシス現象の発見、過渡現象の理論的解析、複素数を導入した記号法による三相交流回路計算法の確立などの理論的研究は電気工学の成立をもたらした。1902年ユニオン大学教授を兼任。10冊の著書中『交流現象の理論と計算』(1897。1916年の第3版で全3巻に拡大)、『過渡現象の理論と計算』(1909)、『電気工学の理論的諸原理』(第4版1915)、『工業数学』(1910)は版を重ね、日本においても多大な影響を与えた。アメリカ電気学会会長(1901)、照明工学会会長(1915)も務めた。電化の社会的意義にも関心を寄せ、ソビエト連邦成立にも注目する一方、地域の社会的諸政策にも協力した。
[木本忠昭]
交流理論を確立して電気工学を完成させたアメリカの電気工学者。ドイツ名はKarl August Rudolf Steinmetz。当時はドイツ領であったブレスラウ(現,ポーランド領ブロツワフ)に生まれ,同市とベルリンで学んだ。マルクス主義者であった彼は,社会主義鎮圧法から逃れるためチューリヒにいき,そこで学業を終えた。彼は数学,化学,物理学,機械工学,電気工学,天文学,経済学,医学を学び,また終生にわたって学際領域にも関心があった。1889年に渡米したときには,ほとんど金もなく,英語もしゃべれなかった。彼はまずエイケマイアー・アンド・オスターヘルド社Eickemeyer and Osterheld Manufacturing Co.に製図工として入り,技師になり,次いで研究部長となった。ゼネラル・エレクトリック社は彼を傘下に迎えるためにエイケマイアー・アンド・オスターヘルド社を買収し,スタインメッツは交流技術を研究してゼネラル・エレクトリック社を支えた。交流複素計算法,鋼のヒステリシス,過渡現象,雷防護などの研究は著名である。
1902年以後は,スケネクタディにあるユニオンカレッジの電気物理学教授も兼任した。電気工学の普及にも熱心で,彼が書いた教科書は広く用いられた。
執筆者:高橋 雄造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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