スタージェス(読み)すたーじぇす(その他表記)Preston Sturges

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スタージェス」の意味・わかりやすい解説

スタージェス
すたーじぇす
Preston Sturges
(1898―1959)

アメリカの映画監督脚本家。本名はエドムンド・プレストン・バイデンEdmund Preston Biden。イリノイ州シカゴに生まれる。幼少期に長くヨーロッパ暮らしを経験し、いくつかの発明で特許をとるなどした後、1928年に最初の戯曲を書く。1932年、ユニバーサル社の脚本家として映画界入りし、やがて機知に富んだ作風で頭角を現す。自らの脚本が他人によって監督されるのを潔しとせず、1940年、移籍先のパラマウント社で『偉大なるマッギンティ』を初監督。その後も『レディ・イヴ』(1941)、『サリヴァンの旅』(1941)、『パームビーチ・ストーリー』(1942)など、入り組んだ話術に奇抜な笑いと洗練された会話、さらに辛辣(しんらつ)な社会風刺を巧みに盛り込み、脚本家兼監督としてヒット作を連発する。1944年にパラマウントを去った後は低迷し、晩年はおもにパリで過ごした。全盛期は短かったが、ハリウッドにおける脚本家兼監督の先駆けとして、その仕事はジョン・ヒューストンやビリー・ワイルダーといった後続にもチャンスを開くものであった。

[藤井仁子]

資料 監督作品一覧(日本公開作)

偉大なるマッギンティ The Great McGinty(1940)
七月のクリスマス Christmas in July(1940)
レディ・イヴ The Lady Eve(1941)
サリヴァンの旅 Sullivan's Travels(1941)
パームビーチ・ストーリー(結婚五年目) The Palm Beach Story(1942)
モーガンズ・クリークの奇跡 The Miracle of Morgan's Creek(1944)
凱旋の英雄万歳 Hail the Conquering Hero(1944)
偉大なる瞬間 The Great Moment(1944)
殺人幻想曲 Unfaithfully Yours(1948)
バシュフル盆地のブロンド美人 The Beautiful Blonde from Bashful Bend(1949)

『ドナルド・スポトー著、森本務訳『プレストン・スタージェス――ハリウッドの黄金時代が生んだ天才児』(1994・キネマ旬報社)』『Ephraim KatzThe Film Encyclopedia, 5th edition(2005, Collins, New York)』

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改訂新版 世界大百科事典 「スタージェス」の意味・わかりやすい解説

スタージェス
Preston Sturges
生没年:1898-1959

アメリカの映画監督。フランク・キャプラ,エルンスト・ルビッチュ,レオ・マッケリーとともに〈スクリューボールscrewball〉と呼ばれた1930-40年代のアメリカ喜劇の四大監督とみなされているが,〈40年代の寵児〉〈ローズベルト時代の産物〉とも評されるように,その笑いは40年代に頂点を極めたものの,ローズベルト時代の終りとともに急速に力を失った。シカゴ生れ。劇作家からシナリオライターとして映画界入りし,40年,自作の戯曲を映画化した《偉大なるマッギンティ》(アカデミー脚本賞を受賞)で監督になり,以後,マック・セネット流のどたばた喜劇(誇張された滑稽な身振り,下品な笑い)に〈しんらつで鋭利で懐疑的な〉タッチを加味した風刺喜劇を次々に発表し,一時はチャップリンに対抗する存在とみなされた。アメリカ民主主義の力にゆるぎのない楽天的な信念をもっていたキャプラとは対照的に,スタージェスは《七月のクリスマス》《淑女になったイブ》(ともに1941),《結婚五年目》(1942),《ハイル・ザ・コンカリング・ヒーロー》(1944),《モーガンズ・クリークの奇跡》(1944)等々で,アメリカ人の金に対する夢や英雄崇拝,乱れた選挙運動や性風俗を皮肉たっぷりに描き出し,〈戦時下のサッカリン・エンタテインメント〉(ロジャー・マンベル評)として喝采を浴びた。なかでも,社会派のシリアスな映画を撮ることを志して貧民街を探訪した映画監督が結局は人間に必要なものは笑いであると悟って単純な喜劇をつくるという《サリバンの旅》(1941)が最高傑作といわれ,ジョルジュ・サドゥールの《世界映画史》では〈彼のもっとも個性的な作品で,18世紀趣味の寓話〉と評されている。そのほか,1920年代のハロルド・ロイドの喜劇をよみがえらせたロイド最後の主演作《マッド・ウェンズデー》(1947),嫉妬深いオーケストラ指揮者がタクトを振りながら妻と間男の殺害を空想する《殺人幻想曲》(1948)などがある。50年代にはフランスにいき,《トンプソン少尉の日記》(1955)を撮り,ボブ・ホープとフェルナンデルという米仏の人気コメディアンの競演で話題になった《パリの休日》(1958)にゲストスターとして特別出演したりしたが,ふるわなかった。その風刺喜劇のタッチはマーティン=ルイスの底抜けコンビの喜劇の監督として知られるフランク・タシュリンに受け継がれた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スタージェス」の意味・わかりやすい解説

スタージェス
Sturges, Preston

[生]1898.8.29. シカゴ
[没]1959.8.6. ニューヨーク
アメリカの劇作家,脚本家,映画監督。 1940年代の風刺喜劇映画で活躍,みずからの脚本による監督作品が多い。アカデミーオリジナル脚本賞を受けた映画『偉大なるマックギンティ』 The Great McGinty (1940) が有名。

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世界大百科事典(旧版)内のスタージェスの言及

【喜劇映画】より

…得意のジャンルは洗練された艶笑譚だが,ルビッチの後継者ビリー・ワイルダーは,艶笑味よりも,《アパートの鍵貸します》(1960)以降の,人情喜劇に本領を発揮した。プレストン・スタージェスは,日本公開は《結婚五年目》(1942),《殺人幻想曲》(1948)の2本のみだが,しんらつな喜劇作家として定評がある。戦前からの名監督は,ほとんどが喜劇を手がけていて,例えば,西部劇,活劇の監督と考えられがちなハワード・ホークスも,多くの喜劇を撮っているし,ジョン・フォードも,ホークスに共通する,豪快な〈男の哄笑〉を好んで描いた。…

※「スタージェス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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