ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
初期キリスト教の指導者の1人。最初の殉教者。ユダヤ人であるが、おそらく外地出身で、ヘレニズムの影響を強く受けていた。イエスの死後エルサレムでキリスト教に接し、教会に加わった。『新約聖書』の「使徒行伝(ぎょうでん)」6、7章によれば、ユダヤ教的伝統からの自由を強調したため、ユダヤ人の反感を買い、石打ちのリンチで殺された。その際、彼の影響下にある人々が周辺各地に散らされたことが、キリスト教の世界伝道の布石となった。
[佐竹 明]
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
…しかし,〈十二使徒〉はルカまたはルカ時代(80年代~90年代)のキリスト教の理念であって,史的存在ではない。またルカによれば,原始教会がまずエルサレムに成立し,ここから,エルサレム教会に対するユダヤ教徒の迫害を契機に,その際律法と神殿に対する批判のゆえに殉教したステパノのグループ(いわゆる〈ヘレニスタイ〉)に担われて,福音がサマリア,シリアへと宣教されていき,それにまずペテロが,次いでパウロが加わって,福音はエーゲ海周縁諸都市から遂にはローマにまで達した(60ころ)といわれる。このような福音宣教の経過は,大筋において史実に合致するが,エルサレムからローマへというキリスト教の直線的展開の描写には,〈エルサレム中心主義〉に傾くルカの傾向が強く出ていて,必ずしも史実と一致しない。…
…1世紀後半の最初期キリスト教におけるユダヤ人伝道者。《使徒行伝》6章5節によれば,ステパノと同じくユダヤの律法から自由なヘレニズム的キリスト教を宣教した7人の指導者の1人とされる。ステパノの迫害ののちサマリアに伝道し,そこでシモン・マグスを入信させ(《使徒行伝》8:1~13),さらにエルサレム南方のガザでエチオピア人の宦官に洗礼を授けた(同8:26~39)とされる。…
…地鳴きは,ウグイスの〈笹鳴き〉に似ていて,チョッチョッと鳴く。【斎藤 隆史】
[民俗]
ミソサザイは,ヨーロッパでは旧年(過ぎ去っていく年)の象徴とされ,毎年聖ステパノの日(キリスト教会最初の殉教者ステパノの祝日,12月26日)に新年の象徴であるロビンに追われるという。そのためイギリスとフランスでは,この日に子どもたちがミソサザイをたくさんつかまえ,死骸をもって家々を回り,金銭をもらい歩く習俗もあった。…
※「ステパノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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