第一次世界大戦中、ドイツ社会民主党の戦争協力政策に反対して同党内部で形成された左翼急進派のグループ。彼らはローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトを中心に、1915年『インテルナチオナーレ』誌を発行して反戦活動を行っていたが、16年1月の全国会議でマルクス主義中央派とも対決する革命的な組織の確立を決議し、4月に機関誌『スパルタクス書簡』を刊行したので、以後、彼らは「スパルタクス」の名を冠してよばれるようになった。メーリング、ヨギヘス、ツェトキンらもこのグループに属していたが、組織としては大衆的基盤に欠け、指導下の人数も数千人を超えなかったといわれる。17年、独立社会民主党が結成されると、彼らも行動の自由を条件に同党に参加、労働者に影響を及ぼそうとしたが、指導者の多くが投獄されていたこともあって成果をあげることができず、18年11月のドイツ革命を迎えた。彼らは同月11日、ルクセンブルクらを中央指導部に据え、機関紙『ローテ・ファーネ』Rote Fahne(赤旗)を発行して革命の主導権を握ろうとしたが成功せず、12月に開かれた独立社会民主党のベルリン総会でも労兵協議会に基礎を置こうとする彼らの主張は敗北を喫した。そこで彼らは同月30日から3日間、ベルリンで新党の創立大会を開き、ドイツ国際共産主義派をも加えて「ドイツ共産党(スパルタクス団)」の名称をとる新党を結成した。
[松 俊夫]
『中村丈夫他訳『スパルタクス書簡』(1971・鹿砦社)』▽『フレヒトハイム著、足利末男訳『ヴァイマル共和国時代のドイツ共産党』(1971・東邦出版社)』
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第一次世界大戦勃発直後(1916年)いっさいの戦争協力を拒否して結成されたドイツ社会民主党内の左翼少数派の結社。ローザ・ルクセンブルク,カール・リープクネヒトらを指導者とし,非合法紙『スパルタクス・ブリーフェ』を発行するなど反戦・革命運動を展開した。独立社会民主党の結成に加わり,ドイツ革命では最左翼を形成,18年末他のグループとともにドイツ共産党を創立した。
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…1917年独立社会民主党(USPD)が創設されると独自の組織を維持しつつこれに属した。18年の十一月革命後,スパルタクスブント(スパルタクス団)Spartakusbundと改称,獄中にあった指導者の解放とともに機関紙《ローテ・ファーネRote Fahne》を発行して,社会民主党を批判,社会主義革命実現を掲げて活動した。一方,左翼急進派はボリシェビキ(ロシア社会民主労働党)との連絡を持ち,大戦中から独自の党建設を主張した点に特色がある。…
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