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スペインの作曲家,ピアニスト。民族主義楽派の確立者として重んじられる。カタルニャ地方のカンプロドンに税官吏の子として生まれ,早くからピアノ演奏に才能を現した。4歳のときバルセロナで公開演奏を行い,9歳でマドリード王立音楽院に入ったが,生来のいたずら好きと冒険心のため幾度も寮から脱走し,スペイン各地でリサイタルを開いた。12歳のとき単身南アメリカにわたる。1876年ライプチヒ,77-80年ブリュッセルの音楽院で学び,85年からマドリードに住み,ピアノ演奏のかたわら本格的な作曲活動に入った。90-93年にはイギリスでの生活が多かったが,94年暮れごろからパリを本拠とした。晩年は病気がちとなり作曲に専念,南フランスの保養地カンボ・レ・バンで49歳の生涯を終えた。作品はオペラ《ペピータ・ヒメネス》(1896),管弦楽曲《カタロニア》(1899)などもあるが,おおむねピアノ曲で,スペインの民俗音楽を素材にした独創的な楽曲が多い。中期までの比較的簡明な作品では《スペイン組曲》(1886-96ころ),組曲《スペインの歌》(1895-96ころ)がよく知られ,後期の複雑で高度な作品では《イベリア》全12曲(1906-09)がピアノ音楽史上画期的な名作とされている。
執筆者:浜田 滋郎
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スペインの作曲家、ピアノ奏者。カタルーニャ地方に生まれる。4歳でデビューしたといわれるほどの神童で、6歳のときにパリでマルモンテルに師事、8歳から演奏旅行を始めた。しかし冒険を好み、12歳のときには1人で中南米に密航するなど放浪の一生を送ったためか腎臓(じんぞう)病に苦しめられ、スペイン国境に近いフランスのピレネー地方で49歳の生涯を終えた。彼の演奏技巧の完成には1880年のリストとの出会いによるところが大きいが、もう一つの転機はその3年後、バルセロナに居を構えたときに訪れる。演奏よりも作曲活動を優先させ、故国の音楽を素材とした作品を書き始めたのである。1893年、ロンドンからパリへ活躍の舞台を移し、ダンディ、デュカスらと交際、ドビュッシーやラベルなどのフランス近代音楽に強い影響を与えた。彼の本領はサルスエラ(スペインの歌劇)や歌曲よりもピアノ曲にあり、代表作に『スペイン組曲』(1886)、『旅の思い出』(1887)、『イベリア組曲』全4巻(1906~1908)がある。とくに『イベリア』は高度な演奏技巧、ギターやカスタネットの模倣など大胆な効果を駆使した傑作で、F・アルボースの管弦楽編曲でも有名。
[関根敏子]
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