インドネシア,ジャワ島中部の都市。別名ソロSolo。人口49万2325(2003)。マタラム・イスラム王国の流れを汲むスラカルタ王国の旧都。ソロ川流域の肥沃な平野に位置し(標高95m),市街はソロ川の西岸に広がる。第2次大戦後,王国の廃絶に伴い市勢は衰えたが,ジョクジャカルタに比べていっそうジャワの伝統文化をよく保存し,ジャワ文化研究のメッカとさえいわれる。
マタラム・イスラム王国の首都は,16世紀末の建国当初にはスラカルタの南西約65kmのジョクジャカルタの南東郊コタ・グデに置かれたが,その後カルタ→プレレッド→カルタスラと次第に東方に移され,パクブウォノ2世の1746年,華僑暴動に端を発した内乱のため荒廃したカルタスラを去ってこの地に都し,これをスラカルタ・アディニングラットSurakarta Adiningratと名づけた。しかし,わずか3年後に王が死去し,オランダ東インド会社の保護のもとでその子がパクブウォノ3世として即位したが,先王の弟マンクーブーミとの間に王位継承の争いが起こった。第3次ジャワ継承戦争と呼ばれるこの戦いは1749年から6年間続いたが,容易に勝敗が決しなかったので,オランダ東インド会社は和平工作に乗り出し,パクブウォノ3世はスラカルタに都してマタラム王の伝統的称号であるススフナンSusuhunanを名のり,マンクーブーミはジョクジャカルタに都してスルタン・アマンクブウォノ1世と称することになった。そしてススフナンは内領5万3100戸・外領3万2350戸,スルタンは内領5万3100戸・外領3万3950戸の住民を統治することで決着がついた。それゆえ,境界線を地図上にはっきり引くことはできないが,スラカルタはだいたいにおいてマタラム旧領の北東半分を得た。王のいとこマンクーヌゴロ(通称マス・サイド)は最初マンクーブーミに味方していたが,のちに不和となり,和平成立を不満としてなお2年戦ったが,57年に降服した。彼はススフナンの所領から,住民を4000戸与えられて分家して,マンクーヌゴロMangkunegoro家を開く。のちに1813年にスルタンの所領から分家したパクアラム家を併せて4土侯と総称する。以後スラカルタはますます領土を縮小され,とくに1825-30年のディポネゴロの反乱(別名ジャワ戦争)に際しては,終始オランダ領東インド政庁に忠誠を保ったにもかかわらず,ジョクジャカルタとともに所領を削減され,これに不満を示したパクブウォノ6世はアンボンに追放された。概してジョクジャカルタが植民地支配に対してやや批判的であったのに対し,スラカルタの両王家は従順であった。そのため一方ではジャワの文化的伝統の象徴と見なされながら,他方では民族主義運動に対して冷淡であった。ジョクジャカルタがインドネシア共和国独立後もなお特別区として自治を認められたのに対し,スラカルタの王室が特権を失ったのはこのためである。
市の中心をなすのはかつてのススフナンの王宮で,今はラジャプスタカと称せられ,1963年以来博物館となっている。ジャワでも最もすぐれた博物館の一つである。王国が栄えた当時,ソロ川を航行するのに用いた御用船キアイ・ロジョモロ号(長さ35m,最大幅7m)も陳列されている。市の北部にはススフナンの分家マンクーヌゴロ王家の王宮があり,これも一部は博物館として開放されている。スラカルタの伝統文化としてはここで発達した宮廷舞踊があるが,今もそれは継承されており,ことに完全なワヤン・ウォン(人間が演ずる古典劇)は毎夜スリウィダリ舞踊として公演される。またここはバティック(ジャワ更紗)工芸の一大中心でもあり,パッサル・プレウェルを中心に特色あるデザインのバティック生産が盛んである。金銀細工も伝統の香りにあふれる。北部のパッサル・トレウィンドゥはソロの〈蚤の市〉と呼ばれ,貴重な掘出物が多いことで知られる。市の周辺は史跡に富み,東にそびえるラウー火山(3265m)は,その頂上からの展望と中腹のチャンディ・スクー寺院などの遺跡で有名である。
執筆者:別技 篤彦+永積 昭
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インドネシア、ジャワ島中部の都市。別称ソロSolo。肥沃(ひよく)なソロ川流域の平野に位置する。人口46万9888(1980)、51万5865(2018推計)。第二次世界大戦まではかつてのマタラム王国の末裔(まつえい)としてのススフーナン、マンクネゴロ両王の統治下にあり、王宮を中心に栄えたが、戦後王家の廃絶に伴い市勢は衰えた。しかしなおジョクジャカルタと並ぶジャワ伝統文化の中心地として訪れる人が多い。かつてのススフーナン王宮は1963年に博物館となり、またマンクネゴロ王宮も一部は博物館として開放されている。パッサル・トレウィンドゥはスラカルタの「のみの市」として掘り出し物が多い。バティク(ジャワ更紗(さらさ))工場が多く、また農産物の集散地でもある。
[別技篤彦]
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