スリコフ(その他表記)Vasilii Ivanovich Surikov

改訂新版 世界大百科事典 「スリコフ」の意味・わかりやすい解説

スリコフ
Vasilii Ivanovich Surikov
生没年:1848-1916

ロシアの歴史画家。〈移動展派〉の主要作家。シベリアクラスノヤルスクコサックの家に生まれる。1869-75年,ペテルブルグの美術アカデミーでチスチャコフに師事,教育を終えてモスクワに移り住む。絵画がブルジョア階級のものであることに疑問を抱いた画家の一人で,支配階級ブルジョアジーに対する反感は,民衆敗者への共感となり,《銃兵処刑の朝》(1881)や《大貴族夫人モロゾワ》(1887)のような悲劇的な歴史を回顧した大作を生んだ。群衆個々の心の動きと表情をとらえた人物描写は,A.A.イワーノフやK.P.ブリュローフの作品に学んだという。また,《雪合戦》(1891)のような明るい風俗画もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スリコフ」の意味・わかりやすい解説

スリコフ
Surikov, Vasilii Ivanovich

[生]1848.1.24. クラスノヤルスク
[没]1916.3.19. モスクワ
19世紀ロシアの代表的画家。移動展派の一人で,社会主義リアリズム先駆をなした。サンクトペテルブルグ美術アカデミーに学び,イタリアスペインを旅行,中世の絵画ならびにパオロ・ベロネーゼティツィアーノ・ベチェリらの影響を受けた。歴史画が多く巨大な構図と激しい色彩で,専制圧政に立ち向かった自国人民の姿を表現。主要作品『大貴族モロゾワ』(1887,トレチヤコフ国立美術館),『エルマクのシベリア征服』(1895,ロシア国立美術館)など。(→ロシア美術

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スリコフ」の意味・わかりやすい解説

スリコフ
すりこふ
Василий Иванович Суриков/Vasiliy Ivanovich Surikov
(1848―1916)

ロシアの画家。クラスノヤルスクのコサックの家庭に生まれる。サンクト・ペテルブルグの美術アカデミーでチスチャコフPavel Chistyakov(1832―1919)に師事した。学生時代から歴史画に興味をもち、一貫して歴史画を描いた。『親衛兵処刑の朝』(1881)、『ベリョーゾボのメンシコフ』(1883)、『モロゾフ大貴族夫人』(1887)、『イェルマークのシベリア征服』(1895)、『スボーロフのアルプス越え』(1899)などが有名。いずれもロシア史にとってきわめて重要な歴史的エピソードを題材としており、国民的な共感を得た。ソビエト時代になっても高く評価され、国立モスクワ芸術大学は彼の名を冠し、スリコフ記念芸術大学とよばれていた。生地クラスノヤルスクには個人美術館が開かれている。

[木村 浩]

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百科事典マイペディア 「スリコフ」の意味・わかりやすい解説

スリコフ

ロシアの画家。シベリア,クラスノヤルスク生れ。社会主義リアリズムを標榜した〈移動展派Peredvizhniki〉の画家の一人で,ロシア史に題材を求めたモニュメンタルな作品を得意とした。代表作にトレチヤコフ美術館蔵の《銃兵処刑の朝》(1881年),《ベリョーゾフのメンシコフ》(1883年),《大貴族夫人モロゾワ》(1887年)などがある。

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