イェルマーク(読み)いぇるまーく(その他表記)Тимофеевич Ермак/Timofeevich Ermak

デジタル大辞泉 「イェルマーク」の意味・読み・例文・類語

イェルマーク(Ermak Timofeevich)

[?~1585]ロシアドンコサック首領シベリアに遠征してシビル‐ハン国を破り、その領土イワン4世献上、ロシアのシベリア植民の基礎を築いた。エルマーク

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イェルマーク」の意味・わかりやすい解説

イェルマーク
いぇるまーく
Тимофеевич Ермак/Timofeevich Ermak
(?―1585)

コサックの首領、シベリアの征服者。ドン・コサックの出身。イワン4世よりオビ川流域の経営を許可された豪商ストロガノフ家によって、イェルマークを首領とする1600余名のコサック部隊がウラルに派遣された(1579年、一説では1581年)。彼の部隊はウラルを越えて前進し、トボル川河口に出た。この地方で勢威を振るっていたシビル・ハン国のクチュム・ハンの大軍を、3日間の激戦ののち撃破し、ハン国の首都シビリ(別名カシュルィク)を占領(1582)。しかしハンはなお勢力をもち、1585年8月6日、コサック部隊を奇襲した。小部隊とともに宿営していた彼は敗れてバガス川河口で溺死(できし)した。伝説的英雄として民謡などの主人公になった。

[伊藤幸男]

『阿部重雄著『コサック』(1981・教育社)』

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旺文社世界史事典 三訂版 「イェルマーク」の解説

イェルマーク
Timofeevich Ermak

?〜1585
ロシアのシベリア征服者
ドン−コサックの族長で,1579(または81)年シベリア地方の征服遠征に出発し,1582年シビル−ハン国の首都を占領し,イヴァン4世に献上した。このことがロシアのシベリア進出の端緒となった。なお,イェルマークとは「石臼」というあだ名

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百科事典マイペディア 「イェルマーク」の意味・わかりやすい解説

イエルマーク

エルマーク

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イェルマーク」の解説

イェルマーク

エルマーク

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世界大百科事典(旧版)内のイェルマークの言及

【エルマーク】より

…西シベリアを征服しロシアによるシベリア併合の端緒をつくったコサック隊長。ロシア語ではイェルマークと呼ぶ。ドン川地方出身ともカマ川地方出身とも言われ,最初はボルガ川を航行する船を襲う略奪コサック団の首領だった。…

※「イェルマーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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