セゾングループ(読み)せぞんぐるーぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セゾングループ」の意味・わかりやすい解説

セゾングループ
せぞんぐるーぷ

西武(せいぶ)百貨店を中核とした企業グループ。西武流通グループが発展してセゾングループとなったが、2000年代初頭には事実上解体している。西武流通グループの起点は、西武鉄道の創設者堤康次郎(つつみやすじろう)が1940年(昭和15)に東京・池袋(いけぶくろ)に設立した武蔵野(むさしの)デパートで、1949年(昭和24)に西武百貨店と改称し、有力なターミナルデパートに発展していった。1964年の康次郎の死後、彼が創設した西武グループの企業は、堤義明(よしあき)(1934― )が統括する鉄道グループ(国土計画興業〈現、プリンスホテル〉、西武鉄道等)と、堤清二(せいじ)が統括する流通グループ(西武百貨店等)に分担統治されるようになった。当時の流通グループのおもな企業には、百貨店のほか、1956年に設立されたスーパーマーケットの西友ストアー(現、西友。当初の名称は西武ストアー)があり、1970年には、西武化学工業が鉄道グループから流通グループに移管されたが、同社は工業部門と都市開発部門の2社に分離していった。

 西武流通グループは1970年代から1980年代にかけて、都市における多様に成熟した消費形態やライフスタイルに対応しつつ、積極的な事業多角化を行った。西武百貨店、西友、パルコロフトファミリーマートのような流通業の有力企業に加え、事業活動の範囲は、金融(西武クレジット、後のクレディセゾン)、保険(西武オールステート生命保険、後のセゾン生命保険)、外食産業(レストラン西武、後の西洋フードシステムズ)、地域・都市開発(西武都市開発、後の西洋環境開発)、航空事業(朝日ヘリコプター、後の朝日航洋)、ホテル業(インターコンチネンタルホテルズコーポレーション。1988~1998)などの広い範囲に及んだ。文化事業にも積極的で、こうした多彩な活動は、経営者であり、作家・詩人(筆名辻井喬(つじいたかし))でもあったグループのリーダー、堤清二のパーソナリティーによるところも大きかった。生活総合産業を標榜(ひょうぼう)し、1985年には西武セゾングループと称するようになり、傘下企業も100社を超えた。1990年(平成2)にはセゾングループと名称を変更した。

 しかし、バブル崩壊後の1990年代に入ると、業績悪化に苦しむ企業が増え、しだいに苦境に陥った。2000年(平成12)に西洋環境開発が破綻(はたん)したのを機に、堤清二はグループから引退し、求心力が失われた。中核企業の西武百貨店は、損失を埋めるため、所有するグループ各社の株式の売却を加速しなければならず、その結果グループ各社は外資や大手商社の傘下に入ったり、グループ外企業の資本参加を受け入れるなど、それぞれ独自の道を歩み始めた。セゾン生命保険がGEエジソン生命保険(AIGエジソン生命保険を経て、現、ジブラルタ生命保険)と合併したほか、西友がアメリカのウォルマート傘下(のちに楽天とアメリカの投資ファンドKKRが株式の大半を取得)に、ファミリーマートが伊藤忠(いとうちゅう)商事傘下に、西洋フードシステムズがイギリスのコンパスグループ傘下にそれぞれ入り、パルコやロフトは森トラストの出資を仰いでいた(のちにパルコはJ. フロントリテイリング傘下に、ロフトは株式会社そごう・西武傘下に入る)。経営再建を目ざす西武百貨店自体も、そごうと提携して、独自にミレニアムリテイリンググループを形成していたが、のちにセブン&アイ・ホールディングスの傘下に入って株式会社そごう・西武となり、さらに2022年(令和4)、ロフトを除き、同社はアメリカの不動産投資ファンドへ売却されることとなった。

[中村青志]

『由井常彦編『セゾンの歴史』上下(1991・リブロポート)』『セゾングループ史編纂委員会編『セゾンの活動 年表・資料集』『セゾンの発想』(1991・リブロポート)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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