堤康次郎(読み)ツツミヤスジロウ

デジタル大辞泉 「堤康次郎」の意味・読み・例文・類語

つつみ‐やすじろう〔‐ヤスジラウ〕【堤康次郎】

[1889~1964]実業家政治家滋賀の生まれ。衆議院議員、同議長。箱根土地(後のコクド)・西武鉄道などを設立西武グループを築き上げた。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「堤康次郎」の解説

堤 康次郎
ツツミ ヤスジロウ


肩書
衆院議長,西武鉄道創立

生年月日
明治22年3月7日

出生地
滋賀県愛知郡秦荘町

学歴
早稲田大学政経学科〔大正2年〕卒

経歴
在学中から株に才覚を現わし、卒業後は雑誌、造船、真珠養殖を手がける。大正6年東京ゴムを設立して実業界に入り、以後、武蔵野鉄道(現・西武鉄道)・駿豆鉄道・近江鉄道を創設、堤コンツェルンを築いた。一方13年に民政党から衆院議員に当選し、以来当選13回。昭和7年拓務政務次官。戦後公職追放を経て、26年政界に復帰。28年から1年半衆院議長をつとめ、第19回通常国会に初めて警官隊を導入、第16回特別国会では会期を延長して警察法案を議決し、未曽有の大乱闘事件を引きおこした。事業哲学は“感謝と奉仕”だったが、実際の事業方法などによりしばしば東急五島慶太と比較対照され、伊豆地方での開発競争は“箱根山の合戦”と呼ばれ、“ピストル堤”の異名をとる。

没年月日
昭和39年4月26日

家族
長男=堤 清二(西武セゾングループ総帥) 二男=堤 義明(西武鉄道グループ総帥) 四男=堤 猶二(インターコンチネンタルホテルジャパン社長) 娘=堤 邦子(西武インターナショナルパリ代表)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「堤康次郎」の意味・わかりやすい解説

堤康次郎
つつみやすじろう
(1889―1964)

実業家、政治家。西武鉄道、西武百貨店など有数の企業を擁す今日の西武グループの創始者。滋賀県生まれ。1913年(大正2)早稲田(わせだ)大学政経科卒業。1917年以降、軽井沢と箱根の土地・観光開発を始め、沓掛(くつかけ)遊園地(株)、箱根土地(株)を設立。関東大震災(1923)後は東京近郊で宅地開発、学園都市の建設を手がけたのを皮切りに、多摩湖鉄道を設立して鉄道界に進出し、その後も駿豆(すんづ)鉄道、武蔵野(むさしの)鉄道、旧西武鉄道を手中に入れ、1945年(昭和20)これらを合併して現在の西武鉄道とした。1924年(大正13)衆議院初当選。戦後も1952年(昭和27)改進党から立候補して当選、1953年から1年半衆議院議長を務めた。

[浅野俊光]

『筑井正義著『堤康次郎伝』(1955・東洋書籍)』『由井常彦編著『堤康次郎』(1996・エスピーエイチ)』『『私の履歴書 経済人1』(復刊・2004・日本経済新聞社)』『大西健夫他編『堤康次郎と西武グループの形成』(2006・知泉書館)』

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20世紀日本人名事典 「堤康次郎」の解説

堤 康次郎
ツツミ ヤスジロウ

大正・昭和期の政治家,実業家 衆院議長;西武鉄道創立者。



生年
明治22(1889)年3月7日

没年
昭和39(1964)年4月26日

出生地
滋賀県愛知郡秦荘町

学歴〔年〕
早稲田大学政経学科〔大正2年〕卒

経歴
在学中から株に才覚を現わし、卒業後は雑誌、造船、真珠養殖を手がける。大正6年東京ゴムを設立して実業界に入り、以後、武蔵野鉄道(現・西武鉄道)・駿豆鉄道・近江鉄道を創設、堤コンツェルンを築いた。一方13年に民政党から衆院議員に当選し、以来当選13回。昭和7年拓務政務次官。戦後公職追放を経て、26年政界に復帰。28年から1年半衆院議長をつとめ、第19回通常国会に初めて警官隊を導入、第16回特別国会では会期を延長して警察法案を議決し、未曽有の大乱闘事件を引きおこした。事業哲学は“感謝と奉仕”だったが、実際の事業方法などによりしばしば東急の五島慶太と比較対照され、伊豆地方での開発競争は“箱根山の合戦”と呼ばれ、“ピストル堤”の異名をとる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堤康次郎」の意味・わかりやすい解説

堤康次郎
つつみやすじろう

[生]1889.3.7. 滋賀
[没]1964.4.26. 東京
実業家,政治家。農家に生れ,幼くして父を亡くし,21歳で上京。早稲田大学政経学部在学中に株でもうけそれを元手に鉄工所を経営するなど,早くから事業経営に手腕を発揮する。 1913年卒業後,箱根や軽井沢の開発に着手。 50年代に東急の五島慶太と繰広げた開発競争は「箱根山合戦」として世間の耳目を集めた。さらに,東京近郊の武蔵野鉄道 (現西武鉄道 ) や近江鉄道を設立して西武グループの基礎を築く。第2次世界大戦後は,一時公職追放されるが復帰し,西武百貨店,国土計画興業を擁する西武コンツェルンを育て上げた。一方,24年衆議院選挙に立候補して以来,13回連続当選。 53年から1年半衆議院議長をつとめた。在任中の 54年には,国会内に初めて警察を出動させ,「乱闘国会」を引起こした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堤康次郎」の解説

堤康次郎 つつみ-やすじろう

1889-1964 大正-昭和時代の実業家,政治家。
明治22年3月7日生まれ。堤清二,堤義明の父。大正9年箱根土地(のち国土計画)を創立。以来,箱根,伊豆(いず),東京近郊で大規模開発を成功させる。西武鉄道などの社長をつとめた。13年衆議院議員(当選13回,自民党),昭和28年衆議院議長。昭和39年4月26日死去。75歳。滋賀県出身。早大卒。
【格言など】人のやらぬこと,やれぬことのみやった。そしてそれで成功したのである

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367日誕生日大事典 「堤康次郎」の解説

堤 康次郎 (つつみ やすじろう)

生年月日:1889年3月7日
大正時代;昭和時代の実業家;政治家。衆議院議員
1964年没

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世界大百科事典(旧版)内の堤康次郎の言及

【西武鉄道】より

…経営の実態はほとんど公開されていないが,事業の主体は全国のホテル,ゴルフ場,スキー場などのレジャー施設の総合的運営で,総売上高は1兆円と推定される(1996年度)。全国に保有する約1億5000万m2の土地が事業の基盤となっているが,その大半は義明の実父,堤康次郎(元衆議院議長。1889‐1964)が大正半ば以来,買い集めたものである。…

【五島慶太】より

…この間,合併・系列化がしばしば株の買占め,乗っ取りといった強引な手段をともなったところから〈強盗慶太〉の異名をとった。44年には東条英機内閣の運輸通信大臣に就任し,第2次大戦後は一時公職追放となったが,54年には東急の会長に就任,箱根その他の観光開発をめぐって,西武の堤康次郎と激しい対立・抗争を展開し,世間の注目を集めた。【野田 正穂】。…

※「堤康次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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