パキスタンのイスラマーバードの北西約40kmにあり,前6世紀から後6世紀にわたって栄えた古代都市。別名タクシャシラーTaxaśilā(サンスクリット語)。古くはバドラシーラと呼ばれたが,アレクサンドロス大王遠征時代にはすでにタッカシーラないしタクシーラ(タッカ族の町)と言い,ギリシア語やラテン語でタクシラと写された。19世紀にA.カニンガムが調査し,1912-34年にJ.マーシャルが大規模に発掘してその歴史や文化を明らかにした。当地は,北はカシミール,北西はガンダーラを経て中央アジアや西アジアに通じ,南東はガンジス流域,南はインダス川からアラビア海沿岸に通じる四通八達の地。前6世紀にアケメネス朝の版図と西接し,前4世紀末にアレクサンドロス大王の侵入を受け,前3世紀中頃にはマウリヤ朝下に入った。のちバクトリアのギリシア諸王の南下に伴い,ガンダーラとともに彼らの主要な拠点となった。ここまでの歴史は,南の丘陵上にビール丘遺跡として残されている。ギリシア人はその丘にアクロポリスをつくり,続く北の平野部に市街を建設した。この都市は引き続きサカ族やパルティアが占拠し,クシャーナ時代にもっとも繁栄した。シルカプ遺跡はその歴史を7層の都市遺構として残している。発掘後もっとも整備されたいまみるシルカプは,第2層パルティアからクシャーナまでの時期のもので,丘陵から平野へ不整形の長方形プランを呈し,突角堡つきの石積み市壁をもち,中央に一大路を南北に通し,小路がこれに直交する。クシャーナ族はシルカプの北にいまシルスクの名で知られる方形都市を建設したといわれるが,検出された半円形望楼つきの市壁の石積法はクシャーナ時代より新しいものであり,市街の実体は明らかになっていない。タキシラではこの3都市のほかに14の仏教寺院跡と二つの神祠が発掘され,都市外の丘陵や平野に点在する。なかでもビール丘と対する東の丘陵にあるダルマラージカーはもっとも壮大かつ古い歴史をもち,ジャウリアーンやモフラー・モラードゥなどの山寺とともにガンダーラ式の寺院建築や仏教芸術の歴史に重要な資料を提供している。タキシラはとくにガンダーラの仏寺と比較してスタッコ像が多く,アフガニスタンのハッダと双璧であり,古くにインド・アフガン派といった彫刻様式が提唱されたことがある。またジャンディアール神祠やモフラー・マリアラーン神祠は仏寺とは全く異なったプランをもち,ゾロアスター教寺院とも言われるが,実体は明らかでない。なお,ビール丘の南西2.5kmの丘陵サライ・コラでは,インダス文明に先行するいわゆるプレ・ハラッパー時代から前1000年までの先史遺跡が1968年に発見され,以後発掘がおこなわれて,タキシラの歴史にあらたな側面を提供するとともに,インダス流域の先史文化に新しい資料を加えた。
執筆者:桑山 正進
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パキスタン北部、イスラマバード北方にある都市遺跡。この遺跡は1980年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。サンスクリット語ではTakaśilā、漢訳仏典などでは特叉尸利、得叉始羅、玄奘(げんじょう)の『大唐西域(さいいき)記』では叉始羅(国)と記されている。古代西北インドの商業、交通、政治、学術の中心地で、マウリヤ朝時代にはアショカ王の王子、クナーラが総督として統治していたともいわれる。タキシラには多くの遺跡があるが、1912年以後、イギリスのJ・マーシャルSir John Hubert Marshall(1876―1958)が指揮したインド考古局が、都城址(とじょうし)、仏教寺院址を発掘し、マウリヤ朝からクシャン朝に及ぶ西北インドの文化解明に多大の貢献をした。都城址はビリ・マウンド(マウリヤ朝時代)、シルカップ(インド・グリーク、インド・スキタイ、インド・パルティア)が発掘されたが、クシャン朝時代のシルスフ遺跡は未発掘である。仏教寺院址としては、アショカ王創建のダルマラージカ仏塔、ジャウリヤーンなど多数発掘され、出土した仏像および都城址出土の工芸品はタキシラ博物館に収蔵されている。
[田辺勝美]
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…現,ラージギル)では今も城壁が山稜をめぐっている。また北西インドのタキシラではバクトリアのギリシア人の侵入以前から相次ぐ異民族の支配期に至る四つの都市址が発掘された。しかしこれらはいずれも基礎をのこすのみであり,建造物の形態を明らかにしがたい。…
…パキスタン北西部のペシャーワル県にほぼ相当する古代の国ガンダーラGandhāraを中心に,東のタキシラ地方,北のスワート地方,西のアフガニスタンの一部をも含む地域で1~5世紀に展開した仏教中心の美術。クシャーナ朝時代に初めて仏陀の姿を表現してその図像を定型化したことは特筆に値し,インド,中央アジア,中国の仏教美術に多大の影響を及ぼした。…
…初期の石窟には木造建築を忠実に再現した形跡があり,それ以前の寺院形式を推測する手がかりとなる。野外の建築寺院としてはタキシラの諸遺構が最古の例であり,古いものは1世紀にさかのぼる。2世紀には方形の囲壁の内側四辺に多数の房室を並べ,内庭を比丘たちの集会堂とし,一方にのみ狭い入口をもうけるという広大な僧院が現れた。…
※「タキシラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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