タージマハル(読み)たーじまはる(英語表記)Tāj Mahall

デジタル大辞泉 「タージマハル」の意味・読み・例文・類語

タージ‐マハル(Tāj Mahal)

インド北部、ウッタルプラデシュ州の都市アグラにある廟堂ムガル朝第5代皇帝シャー=ジャハーンが亡くなった妃ムムターズ=マハルのために建てたもので、1632年から約20年かけて完成装飾美術の粋をこらした白大理石造りで、正面には噴水を設けた細長い池にイスラム風庭園が広がる。同国を代表するイスラム建築傑作として知られる。1983年、世界遺産文化遺産)に登録された。

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共同通信ニュース用語解説 「タージマハル」の解説

タージマハル

インド北部ウッタルプラデシュ州アグラにある総大理石造りの巨大なびょう。17世紀にムガール帝国の5代皇帝シャー・ジャハーンが先立った妃ムムターズ・マハルのために建設した。後に皇帝自身も埋葬された。インド・イスラム建築の最高傑作に数えられる。1983年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。(アグラ共同)

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精選版 日本国語大辞典 「タージマハル」の意味・読み・例文・類語

タージ‐マハル

  1. ( Tāj Mahall ) インド北部のアグラ市、ジャムナー川の右岸にある回教廟。ムガル朝のシャー=ジャハーン帝が妃ムムターズ=マハルのために建造。一六三二年から約二〇年かけて完成。白大理石造りで四隅に塔をもつ台上に直径約一八メートル、高さ二五メートルのドームをもつ。装飾美術の粋をこらした代表的なイスラム建築。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タージマハル」の意味・わかりやすい解説

タージ・マハル
たーじまはる
Tāj Mahall

インド北部、ウッタル・プラデシュ州アグラ郊外にある廟墓(びょうぼ)で、インドの代表的イスラム建築。ムガル朝第5代皇帝シャー・ジャハーン(在位1628~58)が1631年に36歳で亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのためジャムナ(ヤムナ)川右岸に建造したもので、完成まで18年あるいは22年をかけたといわれる。タージ・マハルとは「マハルの王冠」の意味。建築の主体は大きな方形の基壇の上にそびえ、1辺56メートル、中央の大ドームの高さ58メートル、基壇の四隅にはミナレットが建つ。これら建築の素材はすべて白大理石で、外側の石面には黒・黄などの貴石を象眼(ぞうがん)した装飾を施している。廟の内部中央には王妃の、その傍らに王の墓石を安置し、その周囲には透彫りをした大理石の障屏(しょうへい)を巡らし、真の墓石は地下墓室に安置されている。廟と楼門の間は噴水を一列に設けた細長い池があり、イスラム風庭園の形式につくられている。また廟の両側には赤砂岩造のモスクと集会堂が対称をなして建ち、建築全体の均衡を保っている。設計者には皇帝の主任建築家ウスタッド・アフマド・ラホリの名があげられるが、彼は各工匠のまとめ役とみるべきで、イスラム世界各地から一流の技術者が参画したと考えられる。1983年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[永井信一]

『渡辺建夫著『タージ・マハル物語』(1988・朝日新聞社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「タージマハル」の意味・わかりやすい解説

タージ・マハル
Tāj Mahal

インドのアーグラ市にあり,ムガル帝国シャー・ジャハーンが造営した愛妃の廟墓。名称は妃の名ムムターズ・マハルMumtāz Mahalに由来する。1632年着工し,43年完成したとする説が有力。広大な庭園の三方を壁で囲み,ヤムナー川で限られた北辺中央に白大理石造の廟堂が建つ。56m四方の基壇の四隅にミナレット(尖塔)があり,廟堂の中央の大ドームは高さが58mある。さまざまな色の石を象嵌して壁面を飾るほか,透し彫や浮彫による繊細な装飾がある。大広間の中央に王妃の墓石,そのかたわらに王の墓石があるが見せかけのもので,遺体を納めた真の墓石はその直下の地下室に安置されている。インド・イスラム建築の傑作で,均斉のとれた清純な美しさの中に弱さもあわせもつ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タージマハル」の意味・わかりやすい解説

タージ・マハル
Tāj Mahal

1632頃~54年,インドのアーグラに,ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルのため巨費を投じて建てた墓廟。のちに帝も同廟に葬られた。インド=イスラム墓廟建築の一つの頂点とされる。敷地はジャムナ川南岸にあり,およそ南北 560m,東西 300mの広さをもつ。墓廟本体は1辺約 57mの隅切り方形プランの設計がなされ,四方に大イーワーンを開く。上には球根形大ドームと四つのパビリオン (小亭) とが載り,高さは基壇上約 58m。基壇の四隅には高さ約 42mのミナレットが建つ。外壁はすべて白大理石張りで精細な象眼彫刻が施されている。内部には中央に妃のセノタフ (墓石) ,その脇に帝のセノタフがあり,それを囲むスクリーンの象眼は精巧をきわめる。また,墓廟の前の庭には,十字形の水路が設けられている。 1983年世界遺産の文化遺産に登録。

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世界遺産詳解 「タージマハル」の解説

タージマハル【タージ-マハル】

1983年に登録されたインドの世界遺産(文化遺産)で、首都ニューデリーに近いウッタル・プラデシュ州アーグラの、ヤムナー川岸にある建築物。ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーン(在位1628~1658年)が、亡き王妃ムムターズ・マハルのために建てた大理石造りの霊廟で、デリーのフマユーン廟を模して造られた。廟の敷地は東西約300m、南北約560m。楼門をくぐると中央に水路のあるチャハルバーグ(四分庭園)が広がり、庭園の三方は壁で囲まれている。約100m四方の基壇の中央に建つ高さ58mの大ドームを持ち、基壇の四隅には高さ42mの尖塔(ミナレット)が立っている。完成までに22年の歳月を要したこの廟は、皇帝の涙の結晶といわれ、廟建築の最高峰とされる。このようなイスラム世界の楽園を象徴する庭園を持つ、世界で最も美しい霊廟であることが評価され、世界遺産に登録された。◇英名はTaj Mahal

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百科事典マイペディア 「タージマハル」の意味・わかりやすい解説

タージ・マハル

インドのアーグラにある,シャー・ジャハーン帝国の妃ムムターズ・マハルの廟。帝が妃の死を悲しんで1632年ころ着工,各地の名匠を集め,巨費を投じて1653年に完成したという。白大理石で築かれた方形の主建築は,広大な庭園の北端に設けられた高さ約5.5mの基壇の中央にあり,高さ約25mの大ドームをもつ。ドームの下の広間の地下に墓室を置く。基壇の四隅にあるミナレットや,基壇の東西にある建物も白大理石で構築されており,インド・イスラム建築の代表作。1983年世界文化遺産に登録。
→関連項目アーグラ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「タージマハル」の解説

タージ・マハル
Tāj Mahal

インド,ムガル帝国シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルのために建てた廟。インド北部のアーグラー市,ジャムナー河畔にある。美しいドームを持ち,白大理石で造られたこの建物は,ムガル帝国期の代表的建造物の一つに数えられている。

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世界遺産情報 「タージマハル」の解説

タージマハル

世界一美しい墓として知られる、北インドのタージマハル。白大理石でできた絢爛たる墓廟は、ヒンドゥー教国インドにおいて栄華を極めたイスラム王朝、ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、最愛の妻のために建造したものです。正確無比なシンメトリーが美しいパレス風の建物で、亡くなった王妃のために1632年から22年の歳月をかけて造営されました。インド・イスラム建築の最高峰ともいわれるこのタージマハルは、腕利きの職人を集め、のべ2万人が携わったといわれています。

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20世紀西洋人名事典 「タージマハル」の解説

タージ マハル
Taj Mahal


1942 -
シンガー・ギタリスト。
ニューヨーク生まれ。
1968年ソロ・デビュー。他の白人ブルース・バンドと同じ感覚から、のちレゲエ、カリプソ、アフロ等に取り組み、アメリカから外へ拡がるタージ独特の放射黒人音楽を作り出す。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「タージマハル」の解説

タージ−マハル
Tāj Mahal

ムガル帝国の第5代皇帝シャー=ジャハーンが,若死にした皇妃ムムターズ=マハルのために建てた廟
1632年起工,48年竣工。北インドのアグラ市にある代表的なインド−イスラーム建築。白大理石の大建築は,構成の均整,装飾の華麗さなどで世界建築史上異彩を放つ傑作とされる。

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世界大百科事典(旧版)内のタージマハルの言及

【アーグラ】より

…当時のアーグラ城は,今日,町の中央ヤムナー河畔に残る。これより約2km東に,世界最高のイスラム墓廟とされるタージ・マハルがある。これはシャー・ジャハーンが,愛妃のために1632年から22年の歳月を要して建立したもの。…

【インド美術】より

…それらは大きなドームとアーチを多用し均斉のとれた構成になり,16世紀のムガル朝の出現とともにその様式の完成をみた。デリーのフマーユーン廟墓(1565),アーグラのタージ・マハル廟墓(1652),デリー城,アーグラ城などがその代表例である。
[彫刻]
 彫刻はおもに建築に付属して展開し,石彫が大部分であるが,ほかにスタッコ(塑土),テラコッタ(焼成粘土),ブロンズも用いられた。…

【シャー・ジャハーン】より

…晩年は皇子の間に帝位継承戦争がおこり,アウラングゼーブによって廃位させられた。なお,アーグラにあるタージ・マハルは,31年に死去した妃のために造らせたものである。【小名 康之】。…

※「タージマハル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」