ダイエー(読み)だいえー

共同通信ニュース用語解説 「ダイエー」の解説

ダイエー

1957年に故中内功なかうち・いさお氏が創業した大手スーパー。価格破壊を武器に急成長し、80年に小売業で初の売上高1兆円を達成した。バブル崩壊などから経営難に陥り、産業再生機構丸紅の支援を受けたが再建できず、2013年以降はイオン傘下で立て直しを進めている。現在は食品スーパー事業に特化し、関東と関西で計約180店舗を運営している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダイエー」の意味・わかりやすい解説

ダイエー(株)
だいえー

スーパーマーケットダイエーを中核とした小売企業。イオングループの一員。1957年(昭和32)中内㓛(なかうちいさお)が大栄薬品工業を設立。同年大阪市京阪電鉄千林(せんばやし)駅前に主婦の店・ダイエー薬局を開店した。「よい品を安く豊かに」をモットーとして、翌年にはチェーン店第1号を神戸に開業したのを手始めに、創立満5年の1962年までに阪神間に6店のスーパーマーケットを開設、あわせて店舗数は20を超え、年商300億円という急成長を示す。1964年東京へ進出。1970年に社名をダイエーに変更、1971年大阪証券取引所(現、大阪取引所)第二部市場に、1972年には大阪・東京両証券取引所第一部市場に株式を上場し、小売業売上高で三越(みつこし)百貨店を追い抜き、百貨店業界第1位を達成して、流通革命の旗手として注目されるに至った。ストア・ブランドあるいはノーブランドの商品を開発し廉価で販売することでも先鞭(せんべん)をつけた。世界30数か国から商品を輸入、1980年にはパリのプランタンと提携しデパートメントストア経営にも乗り出すなど国際的な営業を行った。1988年にはプロ野球球団南海(なんかい)ホークスを買収、福岡ダイエーホークスを発足させる。1992年(平成4)情報産業のリクルート資本参加、1994年には傘下のスーパーマーケットであった忠実屋、ユニードダイエー、ダイナハを吸収合併し、全国チェーンとなる等事業拡大を続けた。しかし1990年代からのバブル経済の崩壊や、1995年におきた阪神・淡路大震災により多くの店舗が被害を受けた影響で経営は悪化、1998年には株式上場以来初の赤字に陥る。翌年中内が社長を退き、鳥羽董(とばただす)(1930― )が後任に就いたが、2000年(平成12)にグループ企業内の株式売買の不明朗取引で利益を得ていたことが発覚、鳥羽は社長職を辞任、創業者の中内も会長職を辞任し経営の一線から退くことになった。ダイエーの株価は経営に対する不信により急落し、同年、1972年以来守り続けた小売業売上高首位の座をセブン‐イレブン・ジャパンに明け渡す。2002年には産業再生法の適用が認められ、経営の建て直しを図ったが、自主再建を断念、2004年産業再生機構に支援を要請するに至った。同年福岡ダイエーホークスをソフトバンクに売却。2013年8月、TOB株式公開買付)によりイオンの連結子会社となり、2015年1月には株式交換により完全子会社化された。資本金565億円(2015)、売上高7564億8700万円(2014年2月)、店舗数218(2015)。

[森 真澄]

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百科事典マイペディア 「ダイエー」の意味・わかりやすい解説

ダイエー[株]【ダイエー】

スーパーマーケット。中内【いさお】〔1922‐2005〕が1957年に大栄薬品工業を設立し,大阪で〈主婦の店ダイエー〉を開店,1959年主婦の店,1962年主婦の店ダイエーと改称,1970年現社名。安売りで人気を集め,流通革命の旗手となる。1964年東京に進出し,以後全国に店舗を開設。1972年三越を抜き小売業トップとなった(1980年小売業初の売上高1兆円突破)。ゼネラル・マーチャンダイズ・ストア的性格をもつ。1985年《オレンジページ》創刊,1988年福岡ダイエーホークス発足,1993年福岡ドーム開業,1994年忠実屋,ダイナハなどを吸収合併などはなばなしい活動をしていたが,平成不況の中での消費不振が続き,1998年2月期に赤字転落。赤字店の閉鎖,リストラ策の展開で再建に取り組む。また持株会社の設立などグループ再編に着手。1999年1月中内社長は退任(2000年12月,取締役も辞任)。2004年12月から産業再生機構の支援下で不採算店舗の大量閉鎖など大掛かりなリストラを実行,2006年に丸紅が筆頭株主となった。2007年イオンの資本を受け入れ,イオン・丸紅傘下で経営再建に挑む。なおプロ野球球団〈福岡ダイエーホークス〉は2005年ソフトバンクが引き継いだ。本社東京,店舗数99(2011年)。2011年資本金565億円,2011年2月期売上高9118億円。
→関連項目中内【いさお】ホールセール・クラブマルエツ[株]リクルート[株]ローソン[株]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダイエー」の意味・わかりやすい解説

ダイエー

イオン傘下のスーパーマーケットチェーン。1957年実業家の中内が大栄薬品工業として設立。1959年主婦の店,1962年主婦の店ダイエー,1970年ダイエーに商号を変更。関西地方を中心に店舗を増設しながら全国展開,良質で安価な商品をモットーに成長し小売業界のトップとなった。1975年コンビニエンスストアのダイエーローソンを設立(→ローソン)。1988年よりプロ野球球団福岡ダイエーホークスを経営。1994年忠実屋ユニードダイエー,ダイナハの 3スーパーチェーンを合併。1997年グループ傘下のサービス,外食,不動産関連の企業 40社を統括する持株会社,ダイエーホールディングコーポレーションを設立。1999年財務再建のため,多角化部門を持株会社の傘下へと分離を進めた。2001年,ローソンを三菱商事に売却。2002年,持株会社を清算。その後も自力再建の努力を続けたが,2004年10月産業再生機構に再建の支援を要請。再建策の一環として,2005年福岡ダイエーホークスをソフトバンク(→ソフトバンクグループ)に売却した。2006年に丸紅が筆頭株主となる。2007年イオンが参入し 3社による資本・業務提携を締結。2013年イオンがダイエーに対する株式公開買付 TOB(→株式公開買付制度)によって筆頭株主となり,ダイエーを子会社化した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ダイエー」の意味・わかりやすい解説

ダイエー[株]

日本の代表的なスーパーマーケット。本社,東京都江東区。1957年中内㓛(1922-2005)が(株)主婦の店ダイエーを設立し,大阪市旭区の京阪千林(せんばやし)駅前に100m2足らずの安売店を開業したことに始まる。次いで59年神戸の三宮に本格的スーパー第1号ともいえる三宮店を開店。その後日本経済の高度成長に伴う大量消費市場の形成とともに,メーカーの決めた価格より安く商品を売る薄利多売の同社は流通革命の旗手として成長を続けた。毎年10店舗前後というハイピッチで店舗網を拡大した。最初は小さい店舗で薬品,化粧品,食料品を中心に販売していたが,やがて大規模な店舗と幅広い品ぞろえとなっていった。64年には東京に進出した。70年社名を(株)ダイエーと改称,72年には長い間小売業界トップの売上げを続けていた三越を抜きトップとなった。以降長くその地位を守り,80年には売上げ1兆円を超えた。積極的に事業の拡大をはかり,多くの小売業やホテル,外食産業などの関連企業を傘下に収めたが,90年代に入り消費不況が続くなかで98年2月期赤字に転落。中内社長退任(1999)の後,2004年から産業再生機構の支援下で経営再建中である。資本金565億円(2005年8月),売上高1兆8338億円(2005年2月期)。
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日本の企業がわかる事典2014-2015 「ダイエー」の解説

ダイエー

正式社名「株式会社ダイエー」。英文社名「The Daiei, Inc.」。卸売業。昭和32年(1957)「大栄薬品工業株式会社」設立。同34年(1959)「株式会社主婦の店」に改称。同37年(1962)「株式会社主婦の店ダイエー」に改称。同45年(1970)現在の社名に変更。本社は東京都江東区東陽。大手スーパーマーケット。丸紅イオンと資本・業務提携。東京証券取引所第1部上場。証券コード8263。

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デジタル大辞泉プラス 「ダイエー」の解説

ダイエー

株式会社ダイエーが展開するスーパーマーケットのチェーン。1957年、大阪府大阪市に「主婦の店・ダイエー薬局」としてオープン。以降、全国各地に出店している。イオングループ。

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