不良債権を処理し、企業再建を果たすために公的資金を活用した官民ファンド。2003年(平成15)4月に設立され、2007年3月に解散。英語名はIndustrial Revitalization Corporation of Japan。2002年の「小泉改革」の目玉政策として、1992年のスウェーデン金融危機時に設立された国有資産管理会社のセキュラムSecurumを参考に創設が決まった。株式会社産業再生機構法(平成15年法律第27号)に基づき発足。株主は預金保険機構と農林中央金庫で、最終的な資本金(増資後)は505億0700万円。有望な経営資源をもちながら巨額の借金(不良債権)に苦しむ企業に対し、不良債権の時価買い取り、出資、融資、債務保証、信託などの支援策を実施。主力銀行と協力しながら、債務の一部免除やデット・エクイティ・スワップ(債務の株式化)を進め、企業再建を後押しし、企業から買い取った債権や株式は新たなスポンサー企業などへ売却した。産業再生機構が支援した企業には、日用品・食品のカネボウ、流通・小売りのダイエー、マツヤデンキ、建設・不動産のダイア建設、大京、ミサワホームホールディングス、運輸のスカイネットアジア航空、観光業の日光・鬼怒川(きぬがわ)温泉のホテル群などがあり、4年強の間に合計41企業・グループの再建を手がけた。
公的資金の活用は民間企業の公正な競争を阻害するとの批判があったため、産業再生機構は5年間の時限組織として発足した。しかし当初計画より早めに不良債権処理のめどがつき、計画より1年早い2007年3月15日に解散し、同年6月5日に精算を終えた。清算結了時の残余財産は約940億3200万円で、そのうち約507億4900万円を株主に分配し、残りの約432億8200万円を国庫に納付した。そのほか、存続期間中の国税および地方税の通算納税額は約312億円である。これにより公的資金の活用に伴う国民負担はまったく生じず、日本初の官製再生ファンドである産業再生機構の成功は、日本で企業再生ビジネスが定着するきっかけとなった。機構職員の9割は金融、会計、法務など民間出身者が占めていたため、解散・精算後、機構から多くの企業再生のプロを輩出する結果となった。とくに存続期間をくぎった時限措置が、スピード感ある不良債権処理と企業再生につながったと評価されている。リーマン・ショック後の2009年には、官民ファンドである産業革新機構と企業再生支援機構(現、地域経済活性化支援機構)が誕生し、ふたたび民間企業への公的資金投入が始まっている。
[矢野 武]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(本庄真 大和総研監査役 / 2008年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
出典 ASCII.jpデジタル用語辞典ASCII.jpデジタル用語辞典について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新