ダルエスサラーム(読み)だるえすさらーむ(その他表記)Dar es Salaam

デジタル大辞泉 「ダルエスサラーム」の意味・読み・例文・類語

ダル‐エス‐サラーム(Dar es Salaam)

タンザニア連合共和国事実上首都インド洋に面する港湾都市で、コーヒーサイザル麻綿花などを輸出。1973年にドドマが新首都に指定され、段階的な移転が計画されているが、現在も首都機能の大部分を担う。人口、行政区296万(2008)。

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精選版 日本国語大辞典 「ダルエスサラーム」の意味・読み・例文・類語

ダルエスサラーム

  1. ( Dar es Salaam ) アフリカ東部、タンザニア連合共和国の首都。インド洋に面する港湾都市で、一八六二年ザンジバル王国サルタンが建設。八四年ドイツに占領され、九一年ドイツ領東アフリカの、第一次世界大戦後はイギリスタンガニーカ委任統治領の主要都市として発展した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダルエスサラーム」の意味・わかりやすい解説

ダルエス・サラーム
だるえすさらーむ
Dar es Salaam

東アフリカ、タンザニア東部の都市。インド洋に臨み、政治、経済、交通、文化の一中心で、実質的な首都機能をもつ。同国最大の港湾都市でもある。人口254万5000(1999推計)、514万7070(2018推計)。地名はアラビア語で「平和の家」を意味する。1862年ザンジバル王国のスルタンが町を建設、91年ドイツ領東アフリカの首都となってから発展し、港湾も整備された。1914年にはタンガニーカ湖畔のキゴマまで鉄道が建設され、中部アフリカ開発の拠点となった。1975年にはザンビアのカピリ・ムポシまでタンザン鉄道が開通し、ザンビアの外港となっている。石油精製、サイザル麻の製袋、カシューナッツほかの食品加工などの工業が発達し、コーヒー、サイザル麻、綿花などタンザニアの主要生産物の過半数を輸出する。住民構成は複雑で、地元のザラモ人が人口の3分の1を占めるが、ニャムウェジ人、ヤオ人、エンゴニ人など他地方出身の住民も多い。近年人口の増加が目だち、住宅地はマゴメニ地区、カリアコ地区など郊外に拡大している。植民地時代に開けた高級住宅地はオイスター湾に面している。ダルエス・サラーム大学や教員養成専門学校がある。パン・アフリカニズムを推進した初代大統領ニエレレの政策で、アフリカ統一機構(OAU)のアフリカ解放調整委員会の本部が置かれた。南西16キロメートルには国際空港がある。また、内陸部のドドマへの首都移転計画が決定し、大統領府、立法府が移転した。

[赤阪 賢]

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改訂新版 世界大百科事典 「ダルエスサラーム」の意味・わかりやすい解説

ダル・エス・サラーム
Dar es Salaam

東アフリカ,タンザニア連合共和国の首都。人口234万(2002)。この名称はアラビア語で〈平和の家〉を意味するが,このことは古くからイスラムの影響をうけ,インド洋岸の港として栄えたことを反映している。ここを起点とする鉄道はタンガニーカ湖畔,ビクトリア湖畔,およびザンビアの銅山地帯に達し,それら内陸の生産物の輸出と内陸向け輸入品の積卸しで,港湾活動が盛んである。商工業の中心であり,国立大学,博物館,植物園,総合病院なども整っている。また南アフリカ共和国のアパルトヘイトに反対し,アフリカ人の独立運動を支援する政治活動の基地になり,アフリカ統一機構(OAU)の解放委員会も置かれていた。1860年代にザンジバルのアラブの首長が夏の離宮を建設し,小さな港町となったが,84年ドイツに占領され,91年にはドイツ領東アフリカの主都がバガモヨから移された。第1次世界大戦に際してドイツ人は港の入口に浮きドックを沈めて自ら封鎖した。この港湾都市が発展したのは第2次世界大戦中からで,1940年代に南部・中部アフリカ開発の拠点として港湾,交通施設の整備が始まり,56年に港湾施設近代化が完了した。最近はザンビアに通じるタンザン鉄道が建設されたため,港湾の拡張が必要となっている。61年に独立したタンガニーカの首都,64年ザンジバルを合わせて首都となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダルエスサラーム」の意味・わかりやすい解説

ダルエスサラーム
Dar es-Salaam

タンザニアの首都。同国東部,インド洋に臨む港湾都市で,ダルエスサラーム州 (面積 1393km2) の州都。高温多湿。 1862年ザンジバル島のスルタンが築港,ダルエスサラーム (「平和の港」の意) と命名。 1885年ドイツ東アフリカ会社が内陸との貿易拠点として支配下に置き,1891年ドイツ領東アフリカの首都。 1916年イギリスが占領。 1962~64年タンガニーカ共和国の首都。 1964年のタンザニア独立に伴い同国の首都。 1974年ドドマへの遷都が決定され,首都機能をドドマに移行中。同国第1の輸出港で,鉱産物やタバコ,コーヒー,皮革,サイザルアサ,綿花,カシューナッツなどを輸出。海運の 80%を扱う。内陸へ通じる鉄道およびザンビアと結ぶタンザン鉄道の起点。商工業中心地でもあり,食品加工,石鹸,たばこ,ガラス製品などの工業が立地。銀行,ホテルなど近代的建物が多く,町はずれにはヨーロッパ人,インド=パキスタン人の高級住宅街がある。ヤシ林の美しい町として有名で,ザンジバル王国の遺跡,ローマ・カトリック聖堂,ルター派聖堂などが残る。ダルエスサラーム大学,植物園,国際空港がある。都市部人口 280万5500(2006)。

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百科事典マイペディア 「ダルエスサラーム」の意味・わかりやすい解説

ダル・エス・サラーム

タンザニアの実質的な首都。名称はアラビア語で〈平和の家〉の意。同国東部,インド洋岸の貿易港。サイザル麻,コーヒー,綿花,ダイヤモンドを輸出。タンガニーカ湖岸のキゴマ,ビクトリア湖岸ムワンザ,およびザンビアの銅山地帯へのタンザン鉄道の起点。政府諸機関,大学(1963年創立),博物館がある。現在の市の起源は17世紀で,1884年ドイツに,1916年英国に占領された。1961年タンガニーカ独立とともに首都となった。1974年に同国中央部のドドマDodomaに遷都が計画され,公式にはドドマが首都になっているが,政府機能の多くはダル・エス・サラームに残っている。436万4541人(2012)。
→関連項目タンザニアドドマ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダルエスサラーム」の解説

ダル・エス・サラーム
Dar es Salaam

東アフリカ,タンザニアの事実上の首都。インド洋の港市として1862年ザンジバルスルタン,サイイド・マジドによって建設される。ザンビアの産銅地帯に至るタンザン鉄道の起点でもある。

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