イギリスの政治家。初代ダーラム伯。1813年、ダーラム県選出ホイッグ党(後の自由党)下院議員となり、穀物法案に反対し、議会改革の動議を提出するなど、そのラディカルな主張で注目された。1828年男爵となり上院議員となる。1830年岳父グレーの率いる内閣の国璽尚書(こくじしょうしょ)となり、選挙法改正法案作成にあたった。上院の強い反対に直面して、法案成立のためには国王が貴族叙任権を発動し、上院に賛成派の新貴族創設をすべきだとの立場をとった。同法成立後、1833年に辞職、伯爵の爵位を受けた。駐ロシア大使を経て1838年北アメリカ総督となる。1837年、フランス系住民を含むカナダに統治の民主化を求めて反乱が起こったが、乱後の難局にあたり、反乱指導者を厳罰に処すなどの高圧政策で臨み、本国政府に反対されて半年で辞職した。1839年植民省に提出した『ダーラム報告』は、上下カナダへの自治付与を提案したもので、その後の自治領政策の基礎をなす重要文書となり、彼の名を後世に残すことになったが、内容は腹心ブラーCharles Buller(1806―1848)の作であった。
[石井摩耶子]
イギリス、イングランド北東部に位置するダーラム県(カウンティ)の県都。人口8万7725(2001)。周辺炭鉱地帯の中心地で、大学都市でもある。オルガンとカーペットの小規模な製造業がある。旧市街は、ウィア川が蛇行して深さ約30メートルの峡谷を刻んだ曲流部に囲まれ、天然の要害をなす。995年聖カスバートの遺体を安置する場所に選ばれ、教会が開設されたが、これが町の起源となった。中世以来のダーラム大聖堂、古城、大学、その他の由緒ある建築物や博物館が緑地の間に散在する美しい古都である。
ダーラム県は面積2232平方キロメートル、人口49万3470(2001)。石炭、マグネシウム、石灰岩などの天然資源に恵まれ、鉱工業が発達する。
[久保田武]
アメリカ合衆国、ノース・カロライナ州中央部の都市。人口18万7035(2000)。ピードモント地域に位置し、周囲にはタバコ耕作地が広がる。たばこ製造の中心地として有名であり、その他の工業としては繊維、食品加工、肥料、化学製品などがある。1750年ころから定住が始まり、南北戦争当時には小さな村にすぎなかったが、その後のたばこ産業の発展によって成長した。1959年にダーラム、チャペル・ヒル、ローリーを結ぶ三角地域内にリサーチ・トライアングル・パークが建設され、各種の研究機関が集中している。デューク大学、ノース・カロライナ・セントラル大学の所在地でもある。
[菅野峰明]
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
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