ローリー(英語表記)Walter Ralegh

デジタル大辞泉 「ローリー」の意味・読み・例文・類語

ローリー(Raleigh)

米国ノースカロライナ州中央部の都市。1959年に、同都市とダラムチャペルヒルを結ぶ三角形の地域にリサーチトライアングルというリサーチパークが設置され、ハイテク産業が盛ん。ノースカロライナ州立大学がある。第17代大統領A=ジョンソンの生地。

ローリー(Walter Raleigh)

[1552ころ~1618]英国の軍人。エリザベス1世の寵愛を受け、北アメリカに植民地の建設を試み、その地をバージニアと命名したが失敗。のち、獄中で「世界史」を著した。

ローリー(lorry)

トラック貨物自動車)のこと。日本では特に、タンクローリーをさしていう。

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精選版 日本国語大辞典 「ローリー」の意味・読み・例文・類語

ローリー

  1. ( Sir Walter Raleigh サー=ウォルター━ ) イギリスの軍人。探検家エリザベス一世に寵愛され、一五八四年北米に植民地建設を試み、失敗。九五年南米オリノコ川流域を探検。のち、獄中で「世界史」などを執筆。一六一七年再びオリノコ川に赴いたが、帰国後処刑された。一六一八年没。

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改訂新版 世界大百科事典 「ローリー」の意味・わかりやすい解説

ローリー
Walter Ralegh
生没年:1554?-1618

イギリスの軍人,廷臣,航海者,詩人,歴史家。Raleighとも書く。西部のデボンシャーの出身。一族に異父兄H.ギルバートほか軍人や航海者が多い。1569年故郷を出奔,ユグノー戦争に加わって大陸に転戦,次いでアイルランド戦争にも参加した。72-74年オックスフォード大学に在籍,続く法学院時代を通じて,すでに詩人的天分を示したうえ,その美貌と仁俠でほどなくエリザベス宮廷の寵児となる。83年デボンシャー選出議員,翌年には騎士に叙せられ,鉱山監督官,西部2州の知事,海軍副司令官と昇進が続く。西部を中心に富と権勢を蓄え,84年からは一統を派遣して北アメリカ東海岸を探検,処女王エリザベスにちなんでこれにバージニアの名を与えた。植民者も送り込まれたが,スペイン無敵艦隊の来襲を伝えられる内外情勢の転換によって,87年いったんこれを放棄,アイルランド植民にとり組む。同地で詩人スペンサーに会い,彼を宮廷に紹介する。しかし廷臣としての寵はエセックスの登場とともに次第に減退,ことに92年にはE.スロッグモートンとの秘密結婚が発覚して入獄。寵愛回復の意図もあってか,95年南米ガイアナ遠征に出発,オリノコ河畔を探検した。96-97年スペインのカディスアゾレス諸島を攻撃,しかし1603年女王の死とともに,新王ジェームズ1世への陰謀を疑われて再度入獄,獄中で《世界史》(1614)を書く。16年釈放されていま一度のガイアナ行きを許されるが失敗,スペイン側の要請もあって18年処刑された。イギリスにおける喫煙の風習は,彼と彼が送った植民者によって広められた。
執筆者:


ローリー
Malcolm Lowry
生没年:1909-57

イギリスの作家。世界各地を放浪の末,1937年にカナダへ移り,そのまま54年までバンクーバー市近郊で暮らす。強度のアルコール中毒パラノイアに悩まされ,存命中に出版までこぎつけたのは,いくぶん自伝的な小説《ウルトラマリン》(1933)と,アルコール中毒になった外交官の破滅をメキシコの風物を背景に描いた小説《火山の下で》(1947)の2編だけであった。没後,短編小説集《主よ,あなたのすみかである天国より耳をかし給え》(1961)のほか,E.バーニー編《選詩集》(1962)やローリー未亡人編《書簡選》(1965)などが出た。
執筆者:


ローリー
Raleigh

アメリカ合衆国ノース・カロライナ州中央部の同州の州都。人口34万1530(2005)。ピードモント台地とコースタル・プレーン海岸平野)の境界付近に位置し,同州の商業,政治,文化の中心地。周囲の農業地帯で生産される綿花,野菜,果物,ブロイラー,肉牛の取引中心地であるとともに,繊維,家具,食品,電気器具などを産する工業都市でもある。1792年に集落が建設され,94年に州都となった。1840年に鉄道が開通してから農産物の集散地として発展した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローリー」の意味・わかりやすい解説

ローリー
Ralegh(Raleigh), Sir Walter

[生]1552頃.デボン,ヘーズバートン
[没]1618.10.29. ロンドン
イギリスの軍人,海洋探検家,廷臣,文人。エリザベス朝の典型的なルネサンス人。 1578~79年異父兄 H.ギルバートの航海に参加。アイルランド政策を批判したことからエリザベス1世の寵を得,84年ナイト爵に叙せられた。ぬかるみに高価なマントを広げて女王を通したという伝説は有名。 84~85年北アメリカを探検してフロリダ北部を処女女王 (バージン・クイーン) エリザベスにちなんでバージニアと名づけ,植民を行なったが失敗。 87年近衛隊長。 92年女王の寵を失い,一時入獄したがほどなく放免され,95年南アメリカのオリノコ川を探検。 96年2代エセックス (伯)に従ってカディスを襲撃。ジェームズ1世の治世となり,1603年反逆事件に連座して投獄され,獄中で『世界史』 The History of the World (1614) を書いた。 16年釈放されて再びオリノコ川探検を試みたが失敗し,帰途スペイン領で乱暴を働いたとのスペインからの抗議により,処刑された。 E.スペンサーの友人で抒情詩人としても有名。

ローリー
Raleigh

アメリカ合衆国,ノースカロライナ州の州都。 1792年に州都として建設。古くから商業が発達,20世紀中頃から輸送機関の発達により取引高が急増。食料品の卸売が盛ん。電子機械やコンピュータ,食品加工,繊維や化学などの工業が発達。ノースカロライナ州立大学をはじめ,多くの高等教育機関が集中。第 17代大統領 A.ジョンソンの生誕地。ダラム,チャペルヒルとともにリサーチトライアングル地区を形成し,テクノポリスと呼ばれる。人口 40万3892(2010)。

ローリー
Raleigh, Sir Walter (Alexander)

[生]1861.9.5. ロンドン
[没]1922.5.13. オックスフォード
イギリスの文学研究者。オックスフォード大学の初代英文学教授となり,ナイトに叙せられた。主著『文体』 Style (1897) ,『ミルトン』 Milton (1900) ,『ワーズワス』 Wordsworth (03) ,『シェークスピア』 Shakespeare (07) ,『ジョンソン6講』 Six Essays on Johnson (10) 。

ローリー
Rowley, William

[生]1585頃
[没]1642頃
イギリスの劇作家,俳優。伝記不詳。戯曲の多くは T.ミドルトン,J.ウェブスター,デッカーなどとの共作によるもの。代表作は『チェンジリング』 The Changeling (1622,ミドルトンと共作) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローリー」の意味・わかりやすい解説

ローリー(Sir Walter Raleigh (Ralegh))
ろーりー
Sir Walter Raleigh (Ralegh)
(1552?―1618)

イギリスの軍人、植民者、文人。デボンシャーのジェントリ出身で、青年時代に義勇兵としてユグノー戦争に従軍し、1578年異母兄ギルバートの北アメリカ探検に随行。80年アイルランドで反乱鎮定に功をたて、翌年帰国して以来エリザベス1世の寵(ちょう)を得て急速に出世し、84年ナイトに叙された。85年から探検隊を北アメリカに送って植民を試みたが失敗(新植民地は女王にちなんで「バージニア」と命名)。87年近衛(このえ)隊長、88年スペインのアルマダ(無敵艦隊)来襲時には防衛委員。このころから君寵を失い、92年不義のかどで一時ロンドン塔に投獄された。95年伝説の黄金郷(エル・ドラドEl Dorado)を求めてオリノコ川流域を探検。1603年ジェームズ1世の治世になると疎まれ、陰謀のかどで13年間ロンドン塔につながれ、獄中で『世界史』を書いた。16年釈放され、ふたたび黄金郷発見のためオリノコ川に赴いたが、王命に反してスペイン人と争いを起こしたため、処刑された。詩作や散文にも長じ、エリザベス朝の代表的人物とされる。

[松村 赳]


ローリー(アメリカ合衆国)
ろーりー
Raleigh

アメリカ合衆国、ノース・カロライナ州中央部の都市で、同州の州都。人口27万6093(2000)。ピードモント台地と海岸平野が接する所に位置し、同州の政治・文化の中心地として知られる。周辺の農業地帯で生産される綿花、野菜、果物、ブロイラー、肉牛の取引中心地であるとともに、繊維、家具、食品、電気器具などの工業も発達している。1792年に計画的に建設された町で、94年にロアノークから同地に州都が移った。町のおもな活動は州政府に関係したものであったが、1840年に鉄道が開通してから周辺で産する農産物の集散地として発展した。南北戦争後は繊維工業が発展し、今日の工業活動の基礎となった。ノース・カロライナ州立大学をはじめとした九つの大学をもつ教育都市でもある。ローリー・ダーラム都市圏域にはノース・カロライナ大学、デューク大学もあり、圏域内は人口当りの博士号取得者数が全米一である。カシの木が多く、オーク・シティともよばれる。また、17代大統領アンドリュー・ジョンソンの生地としても知られる。

[菅野峰明]

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百科事典マイペディア 「ローリー」の意味・わかりやすい解説

ローリー

英国の軍人,探検家。エリザベス1世に愛され近衛隊長となり,北米植民を企てたが失敗,寵(ちょう)を失って投獄された。女王死後,ジェームズ1世の即位に際して反逆に荷担し1603年―1616年獄中にあり,その後南米探検に失敗して帰国後処刑。才気に恵まれ波瀾(はらん)万丈の生涯を送ったエリザベス朝ルネサンスの代表的人物。獄中で《世界史》を書いた。
→関連項目ロンドン塔

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旺文社世界史事典 三訂版 「ローリー」の解説

ローリー
Walter Raleigh

1552ごろ〜1618
イギリスの軍人・植民者
エリザベス1世の寵臣。1584〜85年に北アメリカの植民を行い,その地をヴァージニアと名づけた。ジェームズ1世が即位すると,官職を奪われて投獄され,その間に『世界史』を著した。のち南アメリカのオリノコ川を探検し,スペイン人と争ったため帰国後,処刑された。

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デジタル大辞泉プラス 「ローリー」の解説

ローリー

ぺんてる株式会社の油性ボールペン、シャープペンシルの商品名。2~4色の多色ボールペンもある。

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世界大百科事典(旧版)内のローリーの言及

【サウス・オークニー[諸島]】より

…南大西洋,南極半島先端の北東沖にあるイギリス領の諸島。スコシア海とウェッデル海の間,南緯60゜35′,西経45゜30′付近に位置し,コロネーション島,ローリー島とその他の小島,岩礁から構成され,総面積624km2。山地が多く,氷雪に閉ざされて不毛なため,捕鯨船の寄港やシーニー島の観測基地を除いて無人。…

【クラブ】より

…それは支配階級の象徴であったから,政治クラブの性格をもつ場合が多かったが,ほかに文芸,芸術,学問を目的とするクラブ,スポーツ・クラブ,それらすべてに共通する遊興――ダンスやギャンブル――をもっぱら目的とする社交クラブなど,多様なものがある。 近代的なクラブは,エリザベス時代にW.ローリーがつくった〈フライデー通り〉をもって嚆矢とするが,それが一挙に普及するのは,ヨーロッパ大陸よりも早く,コーヒー・ハウス(喫茶店)の群生した17世紀後半のことである。成立期のクラブの集会は,コーヒー・ハウスの特定の一室を定期的に借り切って行われたのである。…

【大航海時代】より

…次いでイギリスは1550年代からヨーロッパ,アフリカ,新大陸を結ぶ三角貿易に進出し,新大陸に奴隷を供給して利益をあげる一方,70年以降はフランシス・ドレークなどの私掠船隊がスペインの商船隊をさかんに襲撃した。このほか北東航路,北西航路の探検も続けられ,また84年にはウォルター・ローリーによるバージニア植民地,95年には同じくローリーによるオリノコ川でのギアナ植民地の建設が行われた。イギリスのこうした積極的な活動に反撃しようとしてスペインは1588年に無敵艦隊を送ってイギリスを攻めたが,かえって敗れてしまった。…

※「ローリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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