デジタル大辞泉
「ダラム」の意味・読み・例文・類語
ダラム(dram)
ヤードポンド法 の質量の単位。常用では、1ダラムは16分の1オンスで、約1.772グラム。薬用では、8分の1薬量オンスで、約3.888グラム。ドラム 。
出典 小学館 デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by
ダラム
〘 名詞 〙 ( [英語] dram )[ 異表記 ] ドラム ヤード‐ポンド法による質量の単位。常用と薬用があり、一ダラムは、常用では十六分の一常用オンス(約一・七七グラム)。薬用では八分の一薬用オンス(約三・八九グラム)。〔工学字彙(1886)〕
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by
ダラム Durham
目次 大聖堂 イギリス ,イングランド北部,ダラム州の州都。人口8万6000(1991)。ウィア川に囲まれた小丘上の要害に位置するため,アングロ・サクソン時代から,ノーサンブリア王国 などの政治・軍事上の主要都市として発展。10世紀末には,バイキングに破壊されたリンディスファーンから司教座 が移って,司教座都市となった。ノルマン ・コンクエスト後,北方スコットランド との対抗の必要上,城が建設され,司教には王権に準ずる大幅な権限が与えられたので,以後中世を通じて,同司教は辺境伯 として半独立の地位を保った。近代以降はダラム州の行政および宗教の中心として機能を果たしている。また,1832年にはダラム大学 が設立された。 執筆者:青山 吉信
大聖堂 ダラム大聖堂はノルマン・ロマネスク様式による。正称はキリスト ・聖母大聖堂Cathedral of Christ and Our Lady。司教ウィリアム・オブ・セント・カリレフWilliam of Saint Carilephが1093年に起工し,大部分 が1130年ごろに完成を見た。13世紀に,3祭室式の東端アプス(後陣)が現在の袖廊式チャペルに改められ,また西正面に低層のポーチ が付加された。交差部の大塔は15世紀末に完成。堂内全体に交差リブ・ボールトをかけた最も早い例のひとつで,12世紀中葉,北フランスのイル・ド・フランス地方(サン・ドニ修道院教会堂など)に始まるとされる,ゴシック式ボールトに一歩先んじた原型を示す。身廊大アーケードの円柱に深い溝彫による幾何学文様が刻まれるなど,後期ノルマン式装飾をとどめる。 執筆者:藤本 康雄
ダラム Durham
アメリカ合衆国 ノース・カロライナ州中央部のタバコ都市。人口20万4845(2005)。ピードモント地域に広がるタバコ畑の中に位置し,タバコ製造の中心地として有名。繊維,食品加工 ,肥料,化学製品 などの工業もある。1750年ごろ集落が建設され,南北戦争後,タバコ産業の発展によって町が成長した。ダラム,チャペル・ヒル,ローリーを結ぶ三角形の地域に,1959年建設されたリサーチ・トライアングル・パークがあり,各種研究機関が集中している。デューク大学 (1838創立)の所在地 。 執筆者:菅野 峰明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by
ダラム Durham
イギリス ,イングランド 北東部の単一自治体(ユニタリー unitary authority)。行政府所在地ダラム 。1974年の自治体再編により,それまでのダラム県の一部がタイン・ウィア 地域とクリーブランド 県に分離され,ヨークシャー 県の一部が編入された。1997年にダーリントン が分離し,2009年に県から単一自治体に移行した。北海 に面し,ウィア川河谷を挟んで西のペナイン山脈 ,東の東ダラム台地からなり,南部にはティーズ川 沿岸低地が広がる。ローマ時代は対スコットランド の前哨地であり,のちにノーサンブリア王国 に編入。中世には外敵 の侵入と反乱 が続き,不安定で,経済的な重要性をもたなかったが,19世紀には炭田開発に伴ってイギリスの工業地帯の一つとして発展し始めた。1825年ダーリントンに世界最初の旅客鉄道が開通し,鉄鋼 や造船 など重工業が発達したが,石炭産業の斜陽化に伴い,第2次世界大戦後,北東開発地域に指定され,軽工業への転換が進められた。炭鉱労働者を収容するため,エイクリッフとピーターリーの二つのニュータウン が建設された。農業は西部の高地では牧羊,東部では混合農業が中心で,乳製品の製造も盛ん。ダラム市は教育の中心地で,名門大学がある。面積 2226km2 。人口 49万9800(2005推計)。
ダラム Durham
イギリス ,イングランド 北東部,ダラム の行政府所在地。ニューカッスルアポンタイン の南約 20kmにあり,ウィア川に臨む。7世紀の聖人カスバート司教の名声と,スコットランド とイングランド間の戦略拠点にあったことから発展し,宗教,教育,行政の中心地として繁栄した。文化,行政の中心地で,大規模な工業はないが,オルガンと絨毯の製造で有名。ダラム大聖堂 や,聖マーガレット聖堂,聖オズワルド聖堂,町を囲む城壁など,史跡や古い建築物が多い。1832年創立のダラム大学がある。1986年ダラム城と大聖堂が世界遺産 の文化遺産に登録された。都市圏人口 4万2939(2001)。
ダラム Durham
アメリカ合衆国,ノースカロライナ州中北部の都市。州都ローリーの北西約 30km,ピードモント地方東部にある。 19世紀中頃建設され,州で最も新しい都市の一つ。たばこ産業で発展し,現在国内の巻たばこの約5分の1を生産。綿織物,メリヤス加工などの繊維工業や木材,機械,電気器具の製造工業も発達。黒人の地位が高く,多くの企業に進出している。有名なデューク大学をはじめ,多くの大学や研究所がある。グリーンズバラとローリーを結ぶ鉄道の要所。ローリー,チャペルヒルとともにリサーチトライアングル地区を形成し,近年テクノポリスとして各種ハイテク産業が立地している。人口 22万8330(2010)。
ダラム(伯) ダラム[はく] Durham, John George Lambton, 1st Earl of
[生]1792.4.12. ロンドン [没]1840.7.28. ワイト島 イギリスの政治家。 1813年自由党下院議員。 28年男爵を授かる。 32年 C.グレー 内閣で第1次選挙法改正法案の起草者の一人となる。 33年伯爵。 38年カナダ総督。 39年有名なダラム報告 を書き,その後のイギリス植民政策の基本構想を明確にした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by