精選版 日本国語大辞典 「チェルヌイシェフスキー」の意味・読み・例文・類語
チェルヌイシェフスキー
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1828~89
ロシアの革命的思想家。雑誌『現代人』を実質的に主宰していたが,その存在を危険視され,62年逮捕。投獄・シベリア流刑の27年を送った。唯物論に立つ哲学,歴史の論著が多く,小説『何をなすべきか』は有名。
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…19世紀ロシアのインテリゲンチャにとってつねに心をさわがせた問いかけ。1863年チェルヌイシェフスキーは獄中で,同名の小説を書いた。これは〈新しい人たち〉の相互関係,道徳,生き方をベーラ・パブロブナという女性とその最初の夫ロプーホフ,第2の夫キルサーノフという3人を主人公として描いたものである。…
…彼は1848年革命を亡命先で体験し,西欧文明のあり方に絶望した結果,この考えに到達したのである。19世紀の中ごろにとくに顕著になった資本主義的傾向に対抗して,チェルヌイシェフスキーもまた農村共同体に期待をかける革命理論を唱えた。 このような思想の影響のもとに生まれたのが1870年代の〈人民の中へ〉の運動であり,その参加者たちはナロードニキと呼ばれた。…
…これは49年より50年にかけての一連の著書,論文に展開されている。より若いチェルヌイシェフスキーになると,57年に開始されたロシアの資本主義化の動きに対抗して,先進西欧の存在を条件に共同体から出発する経済発展の別の道を主張した。この二人の思想を受け入れた青年たちの運動は61年以後の農奴解放の実施期に展開されたが,これが広範なひろがりをもち,一世代の青年・学生の運動となったのは70年代のことである。…
…この意味でのニヒリズムは,ロシアの社会主義運動における一種の反体制的立場として,ヘーゲル左派の影響下に1855年のアレクサンドル2世の即位から70年ごろにかけて盛んであった。チェルヌイシェフスキーは60年代におけるこの種の革命運動の精神的指導者である。また革命的無政府主義の創始者バクーニンはニヒリストたちの党派と手を握って革命を扇動した。…
…ビリュイ川流域はヤクート人の居住区で,ビリュイスクはその中心都市である。1634年にコサックの冬営地として建設され,帝政ロシア時代はヤクーツク地区流刑所の一つで,チェルヌイシェフスキーが服役していたことで有名。上流に発電所をつくるに当たり,彼の名前をとった町ができた。…
…そこでレーニンは《ロシアにおける資本主義の発達》(1899)で,一部地域における資本主義的農民層分解をロシア全土にわたって適用しようとする誤りをあえて犯しながらもロシア革命の古典的道筋を示し,ローザ・ルクセンブルクもまたポーランドにおける産業的発展を社会変革の前提として描き出した。だがたとえばロシアでは,西ヨーロッパの社会変革をモデルとした西ヨーロッパ派的発想のほかに,ロシア固有のモデルを追求したスラブ派的発想が生まれ,たとえばチェルヌイシェフスキーのように〈中間段階〉としての資本主義的発展を省略し飛び越して,ロシア共同体から直接社会主義社会を実現しようという非西ヨーロッパ・モデルの構想が生じた。その後,プレハーノフは,マルクス主義者となった後も,ブルジョア革命と社会主義革命のあいだに長い時間をおく,非連続的な二段階革命論をロシアのために構想したのである。…
※「チェルヌイシェフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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