日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア哲学」の意味・わかりやすい解説
ロシア哲学
ろしあてつがく
ロシアおよびソ連で発達した哲学。「いかに生きるべきか」がロシア哲学の主要なテーマとなっている。
ロシアとヨーロッパ
ロシアは10世紀末に、ビザンティンからギリシア正教を受け入れ、国教とした。そして、17世紀末にピョートル大帝がヨーロッパに門戸を開くまで、ヨーロッパと異なる道を歩んだ。ギリシア、ローマの古典文化とほとんど無縁であったし、ルネサンスも宗教改革も経験しなかった。ロシアにおいて世俗化が進み、哲学が誕生するのは、ようやく18世紀後半に入ってからである。このため、遅れたロシアは、異質のヨーロッパ文明の奔流のなかで、自己の文化をつくりださねばならなかった。しかも、ロシアでは、19世紀中ごろまで、人間が人間を所有する農奴制が存続し、ツァーリ(皇帝)の専制政体は、自由な知性の活動を厳しく抑圧し続けたのであった。
[安井亮平]
ロシア哲学の特質
この困難な条件のもとで、ロシアのインテリゲンチャは思想活動を営んだ。彼らは、もっぱら、ロシアとヨーロッパ、国粋と欧化、伝統と変革、個人と社会、インテリゲンチャと民衆といった、政治と直結したアクチュアルな問題を追究した。そして、つねに、思想と行動が一致すべきことを厳しく自己に求めた。彼らはきわめて倫理的、禁欲的であった。彼らには、思想自体の体系化への志向は甚だ薄かったし、だいいちそういった余裕は精神的にも物質的にもなかった。彼らの思考活動は、だから、哲学というより思想とよぶのがふさわしい。
[安井亮平]
インテリゲンチャの誕生
ロシア・インテリゲンチャは、フランスの啓蒙(けいもう)思潮の強い影響下で生まれた。その一人、ラジーシチェフは、自然法の理念をロシアに植え付け、急進的なインテリゲンチャの始祖となった。彼に、ペステリ、ルーニン(1787―1845)などロシア最初の革命家のデカブリスト(十二月党ともいう。ロシアで最初の武装蜂起に参加した人々)が続く。
[安井亮平]
ロシアの進路
ナポレオンに対する勝利(1812)による民族意識の高揚と、ヘルダー、シェリング、ヘーゲルらドイツ哲学の影響で、ロシアの進路が、彼らの緊急の課題となった。チャアダーエフは『哲学書簡』(1836)で、この「ロシアとヨーロッパ」という問題を、歴史哲学の深みで提起した。同じころ、オドエフスキーは、ロシアは遅れているがゆえに輝かしい未来を有すると述べた。
[安井亮平]
スラブ派と西欧派
それらを契機に、ホミャコーフ、キレーエフスキー(1806―1856)、K・アクサーコフ、サマーリンらのスラブ派と、ベリンスキー、ゲルツェン、グラノーフスキー、ボトキンらの西欧派が形成された。両派の論争は1840年代に最高潮に達した。彼らの国粋か欧化かの対立の底には、ギリシア正教か無神論か、反合理主義か合理主義かの対立があった。
[安井亮平]
解放思想家たち
1861年に農奴が解放され、ロシアはようやく近代化の道を歩みだした。1860年代のチェルヌィシェフスキー、ドブロリューボフ、ピーサレフら急進的なニヒリスト(虚無主義者)たちは、既存の権威をいっさい否定したが、彼らもまた、インテリゲンチャと民衆、個人と社会、ヨーロッパ化と土着という伝統的な問題を追究したのだった。1870~1880年代には、ラブロフ、ミハイロフスキー、トカチョフらのナロードニキが、ヨーロッパの資本主義を回避するため、ロシア独自の道を求めた。そして、農村共同体に基づくロシア的社会主義の理論を打ち立てた。ナロードニキ出身のクロポトキンは、バクーニンのアナキズムを発展させた。しかし、プレハーノフ、レーニンらマルクス主義者は彼らを厳しく批判した。1917年、レーニンの指導のもとに革命が起き、レーニンの思想は、ソビエト・ロシアにおける思想の唯一の規範となった。
[安井亮平]
宗教思想家たち
一方、ロシア哲学の流れには、ホミャコーフ、キレーエフスキーらのスラブ派や、彼の文学そのものが近代ヨーロッパ文明に対するもっとも根本的な告発であったドストエフスキーを受け継ぐ、K・N・レオンチエフ、K・F・フョードロフ、V・S・ソロビヨフ、ローザノフ、ベルジャーエフ、フロレーンスキーら、ギリシア正教の立場にたつ宗教思想家の系譜がある。彼らは、反ヨーロッパ、反近代、反合理主義で共通している。いずれもソビエト時代には厳しく禁止された。
[安井亮平]
ソビエト崩壊後
1991年にソビエト連邦が崩壊すると、マルクス・レーニン主義は完全に思想的影響力を失った。
かわって長らく禁止されていたフョードロフやローザノフら宗教思想家や、やはり異端視されてきたバフチンらが復活した。
ことにバフチンは、ロシアだけでなく世界中の文学、哲学、歴史学などに深い影響を与えた。彼やフロレーンスキーらの遺産の上に、ロートマンなどが記号論を展開した。1990年代に入ると、ヨーロッパやアメリカの影響もあって、ポスト・モダニズムが広まった。いまやロシアは欧米とほとんどの思潮を共有している。ロシアはヨーロッパの一員であるとの考えは根強い。
この一般的なヨーロッパ志向に対抗して、コージノフВадим Кожинов(1930―2001)らは、ロシア独自の使命を強調するネオ・ユーラシア主義を主張した。これは、トゥルベツコイなど亡命者たちが1920~1930年代に提唱したユーラシア主義(亡命ロシア人の間でみられた思潮。ユーラシア大陸にまたがるロシア独自の全人類的使命感を表明する)を発展させたものである。
[安井亮平]
『ベルジャーエフ著、田口貞夫訳『ロシヤ思想史』(1958・創文社)』▽『プレハーノフ著、石川郁男訳『ロシア社会思想史序説』(1961・未来社)』▽『勝田吉太郎著『近代ロシヤ政治思想史』(1961・創文社)』▽『マサリック著、佐々木俊次・行田良雄訳『ロシア思想史』Ⅰ、Ⅱ(1962、1966・みすず書房)』▽『ヴェイドレ著、山本俊朗他訳『ロシア文化の運命』(1972・冬樹社)』▽『ゼンコーフスキイ著、高野雅之訳『ロシヤ思想家とヨーロッパ』(1973・現代思潮社)』▽『ヴァリツキ著、今井義夫訳『ロシア社会思想とスラヴ主義』(1979・未来社)』▽『エフドキーモフ著、古谷功訳『ロシア思想におけるキリスト』(1983・あかし書房)』▽『ボルシャコーフ著、古谷功訳『ロシアの神秘家たち』(1985・あかし書房)』▽『高野雅之著『ロシア思想史――メシアニズムの系譜』(1989・早稲田大学出版部)』▽『坂内徳明著『ロシア文化の基層』(1991・日本エディタースクール出版部)』▽『御子柴道夫著『ロシア精神のゆくえ――聖と俗の対話』(1993・NTT出版)』